第13話「月見亭の主」
ギルドでの一件から数日、ルートたちは調査依頼の準備を進めながら、宿の「月見亭」を拠点にする日々を送っていた。
いつしか、シィナとゼクスもこの宿に部屋を取るようになり、四人が揃って食堂に顔を出すのが、ちょっとした日課になっていた。
「おう、今日も揃ってるな」
カウンターの奥から顔を出したのは、宿の主人――名をオーウェンといった。恰幅のいい体躯に、白髪交じりの髭をたくわえた初老の男だ。
「オーウェンさん、おはようございます」
「おはよう。今日の朝飯は野菜スープと黒パンだ。しっかり食っとけ、ガキども!」
ぶっきらぼうな口調だったが、湯気の立つスープを配膳する手つきには、どこか温かみがあった。ルートたちは席につき、それぞれ食事を始める。
「そういえばオーウェンさん、ギルドマスターのシルヴァンさんって、昔すごい召喚士だったって本当ですか?」
ルートが尋ねると、オーウェンは片眉を上げた。
「『翠風のシルヴァン』のことか。ああ、本当だ。俺が若い頃、あいつの武勇伝は大陸中に轟いてたもんさ」
「オーウェンさんって、シルヴァンさんと知り合いなんですか?」
「知り合いってほどじゃないが……まあ、この街で長く商売してりゃ、色々耳に入ってくるもんだ」
オーウェンは意味深に笑いながら、空いた皿を片付け始めた。その仕草に、ルートは何か引っかかりを覚えたが、深くは追及しなかった。
食堂の隅では、旅装束の商人らしき数人が、酒を片手に噂話に花を咲かせていた。
「聞いたか、東の街道でも行方不明者が出たらしいぞ」
「またか……。この街だけの話じゃなかったのか」
「運営も、そろそろ本腰入れて調査すべきだと思うんだがな……」
その会話の切れ端に、ルートは思わず耳を澄ませた。行方不明者の問題は、この街だけに留まらず、もっと広い範囲で起きているらしい。アシュルも、肩の上で静かに耳を動かしている。
「東の街道…か。厄介なことになってきたな」
「アシュルも聞いてた?」
「聞いていないわけがないだろう。この規模の異常が、局所的なものであるはずがないと思っていた」
小声でそんなやり取りを交わしていると、オーウェンが厨房から戻ってきて、商人たちのテーブルに料理を運びながら、軽く相槌を打っていた。長年宿屋を営んでいるだけあって、様々な噂話が自然と耳に入ってくるのだろう。
「にしても、お前ら」
朝食を終える頃、オーウェンが不意に、真剣な声で切り出した。
「聞いたぞ、街の周辺を調査する依頼を受けたそうだな」
「はい。魔物の異常発生の調査を」
「無茶するなよ」
その一言には、これまでにない重みがあった。
「お前らの噂は、この街じゃ知らねえ奴はいねえ。忘却の迷宮の一件も、規格外の力のことも、な。だが、規格外だからって、無敵ってわけじゃねえ。むしろ、力があるからこそ、無茶をしがちになる」
「オーウェンさん……」
「若い連中が命を落とすのを、俺は何度も見てきた。……お前らには、そうなってほしくねえんだよ」
その言葉には、単なる説教以上の、何か重い実感が込められているようだった。ルートは、思わず箸を止めて、オーウェンの顔を見つめた。
「オーウェンさんも、昔は冒険者だったんですか?」
シィナの問いに、オーウェンは少し驚いたように目を見開いたが、やがて小さく頷いた。
「ああ。若い頃はな。それなりに名の知れたパーティにいた」
「引退したのって、何かあったのか?」
ゼクスが率直に尋ねると、オーウェンの表情が一瞬、陰った。
「……仲間を、失った。俺の判断ミスでな」
その一言に、食堂の空気が静かになった。オーウェンは、しばらく黙り込んでから、ゆっくりと続けた。
「無茶な依頼を受けて、仲間の忠告を聞かずに突っ込んだ結果だ。俺だけが生き残って、それからは冒険者を辞めて、この宿を始めた」
「オーウェンさん……」
「昔話だ、気にするな」
オーウェンは、努めて明るい口調に切り替えると、空になった皿をまとめて厨房へと向かった。
「だが、これだけは言わせてもらう。お前らを見てると、昔の俺たちと重なるんだよ。だからこそ、無茶だけはするな。危ないと思ったら、すぐに退け。命あっての物だ」
その背中に、ルートたちは、しばらく声をかけられずにいた。
夜、ルートは一人、宿の外に出て夜風に当たっていた。オーウェンの言葉が、頭の中で何度も反響していた。
「アシュル。オーウェンさんの話、聞いてどう思った?」
肩の上のアシュルは、静かに答えた。
「重みのある言葉だった。あの男は、本気でお前たちのことを案じている」
「うん……なんか、こういう風に心配してもらえるの、初めてかもしれない」
その言葉に、アシュルは少し目を細めた。
「現実にはいなかった存在だな。お前を無条件に案じてくれる者は」
「うん」
ルートは、宿の窓から漏れる灯りを見つめながら、小さく息を吐いた。オーウェンの厳しさの奥にある温かさが、じんわりと胸に染みていた。
その時、宿の裏口から、オーウェンが姿を現した。手には、湯気の立つカップを二つ持っている。
「まだ起きてたのか」
「オーウェンさん……」
「ほら、温かい茶だ。飲め」
差し出されたカップを受け取ると、優しい香りが鼻をくすぐった。オーウェンは、ルートの隣に腰を下ろす。
「さっきは、余計なお世話だったか」
「いえ……嬉しかったです。心配してもらえて」
その言葉に、オーウェンは少し照れたように鼻を鳴らした。
「別に、お前だけを特別扱いしてるわけじゃねえ。ここに来る若い連中には、大体こんな調子だ」
「それでも、嬉しいものは嬉しいですよ」
ルートが笑うと、オーウェンも小さく笑みを浮かべた。
「……お前、良い顔で笑うようになったな。最初にここに来た時は、もっと、こう……何かに怯えたような目をしてた」
その指摘に、ルートは少し驚いた。
「気づいてたんですか」
「宿屋を長年やってりゃ、客の顔色くらい読めるようになる。まあ、詮索はしねえがな。ただ――」
オーウェンは、夜空に浮かぶ二つの月を見上げながら、静かに続けた。
「ここでの日々が、お前にとって、少しでも良いものになってるなら、それでいい。宿屋の親父としちゃ、それが一番の望みだ」
その言葉に、ルートは胸の奥が温かくなるのを感じた。誰かに、こんな風に見守られている実感。それは、これまでの人生で、ずっと欲しかったものだった。
「ありがとうございます、オーウェンさん」
「礼はいらねえよ。それより、明日からの調査、気をつけてな。何かあったら、すぐ俺を頼れ」
「はい」
二人は、しばらく無言のまま、夜風に当たりながら茶を飲んだ。肩の上のアシュルも、静かにその時間を共有していた。
翌朝、調査への出発準備を整えたルートたちを、オーウェンは宿の前で見送った。
「行ってきます、オーウェンさん」
「ああ。無事に帰ってこい。飯、温めて待ってるからな」
その一言に、ルートたちは自然と笑みをこぼした。誰かが待っていてくれる場所がある――それは、この世界に来てから初めて実感する、確かな安心感だった。
街を出発する四人の背中を、オーウェンはしばらく見送っていた。その目には、かつて失った仲間たちの面影が、わずかに重なっていたのかもしれない。
お父さーーーーーん




