第11話「束の間の休日」
忘却の迷宮での一件から数日、ルートたちはひとまず街での日常を送っていた。
命の危険と隣り合わせの真実を知ったからこそ、時には気を緩める時間も必要だ――そう提案したのは、意外にもアシュルだった。
「四六時中気を張り詰めていては、いざという時に力が出ない。休める時に休むのも、戦いの一部だ」
その言葉に従い、ルートたちは久しぶりの「何もしない一日」を過ごすことにした。
朝、宿の食堂で待ち合わせたシィナとゼクスは、揃って驚いた顔をした。
「休日、ですか? ルートさんが?」
「僕だって、たまには休むよ」
「意外だな。てっきり、寝る間も惜しんで訓練でもしてるのかと思ってた」
ゼクスの軽口に、ルートは苦笑しながら肩をすくめた。
「アシュルに言われたんだ。休むのも大事だって」
「珍しいこと言うじゃないか、規格外」
テーブルの隅で紅茶を飲んでいたアシュルが、ゼクスをじろりと睨む。
「お前にだけは言われたくないな。数日前まで、独りで無茶な調査を続けていたそうじゃないか」
「うっ……それとこれとは話が別だ」
バツが悪そうに視線を逸らすゼクスに、シィナがくすくすと笑った。
「みなさん、仲がいいですね」
「「良くない」」
アシュルとゼクスの声が綺麗に重なり、その場に笑いが起きた。
朝食の後、四人は特に目的もなく街を歩くことにした。市場を冷やかし、露店の食べ物を味見し、時には大道芸人の芸に足を止める。命の危険や重い真実から離れた、ただの日常の一コマだった。
「見て、これ美味しそう」
ルートが指差したのは、香ばしい匂いを漂わせる串焼きの屋台だった。
「食ってみるか。奢ってやる」
ゼクスがそう言って財布を取り出すと、シィナが目を丸くした。
「珍しいですね、ゼクスさんが奢るなんて」
「今日くらいは、な。……礼をちゃんと言えてなかった分だ」
照れ隠しのように早口で言うゼクスに、ルートは笑いながら串焼きを受け取った。
「ありがとう、ゼクス」
「別に、大したもんじゃない」
そう言いながらも、ゼクスの表情はどこか満足げだった。串焼きを頬張りながら、四人は市場の喧騒を眺める。
「そういえば、アシュルは食べないの? さっきから僕の分ばっかり気にしてるけど」
「私は人間の食事を必要としない。だが……」
アシュルは少し迷うような表情を見せた後、小さく手を伸ばした。
「一口くらいなら、味を見てやらんこともない」
差し出された串焼きを一口かじると、アシュルは意外そうに目を見開いた。
「……悪くないな」
「気に入った?」
「否定はしない」
素直じゃない返事に、ルートは思わず笑った。こういうやり取りが、いつの間にか当たり前になっていることに、自分でも少し驚く。
昼過ぎ、四人は街外れの丘に登った。眼下に街並みが広がり、遠くには忘却の迷宮のある山々も見える。
「こうして見ると、平和な街だよな」
ゼクスが呟くと、シィナも頷いた。
「本当に。……行方不明者のこと、身体ごと転移してるってこと、知る前は、私もただ楽しく過ごしてました」
「知ったからって、今この瞬間まで楽しんじゃいけない理由はないよ」
ルートの言葉に、シィナは少し驚いたように目を瞬かせた。
「ルートさん……」
「怖いことも、辛いこともある。でも、こうやって笑える時間があるから、頑張れるんだと思う。少なくとも、僕はそうだから」
丘を渡る風が、ルートの髪を揺らした。かつて、教室の隅で息を潜めていた自分には、想像もできなかった時間だった。
「お前、たまにいいこと言うよな」
ゼクスがそう茶化すと、ルートは苦笑しながら返す。
「たまには、じゃなくて、いつもだと思うけど」
「自分で言うか、それ」
軽口の応酬に、シィナが小さく笑い、アシュルも呆れたように目を細める。だが、その表情には、確かな温かさが滲んでいた。
夕暮れ時、四人は丘の上でしばらく街の景色を眺め続けた。誰からともなく、それぞれの他愛のない話をした。ゼクスが語る魔族の里の風習、シィナが好きな魔法の本の話、ルートが現実で好きだったゲームの話。
「現実の話、あんまり聞かないな、お前から」
ゼクスの何気ない一言に、ルートは少し言葉に詰まった。
「あんまり、いい思い出がないから」
「……そうか。悪い、突っ込んで」
「ううん、大丈夫。でも――」
ルートは、夕日に染まる街並みを見つめながら、静かに続けた。
「今は、こっちの方が、僕にとっての現実に近い気がするんだ。おかしいかな」
その言葉に、誰も茶化さなかった。アシュルが、静かにルートの隣に寄り添う。
「おかしくはない。お前が、ここで初めて手に入れたものが多いなら、そう感じても不思議はない」
「アシュル……」
「だが、忘れるな。お前を待っている者が、あちらにも――」
「いないよ」
ルートは、静かに、けれどはっきりと遮った。
「僕を待ってる人なんて、あっちにはいない。だから、大丈夫」
その声には、寂しさと、どこか吹っ切れたような強さが同居していた。アシュルは何かを言いかけて、結局、何も言わずに、そっとルートの手に自分の手を重ねた。
「なら、私が、ここでお前の『待っている者』になろう」
その言葉に、ルートは息を呑んだ。ゼクスとシィナも、静かにこちらを見守っている。
「アシュル……」
「大袈裟に受け取るな。当然のことを言っただけだ」
いつもの素っ気ない口調に戻りながらも、アシュルの手は、ルートの手を離さなかった。
夕日が完全に沈み、二つの月が空に昇り始める。丘の上に佇む四人のシルエットが、静かに夜の帳に溶け込んでいった。
束の間の休日は、こうして穏やかに幕を閉じた。だが、この平和な時間もまた、これから訪れる大きな嵐の前の、束の間の凪に過ぎないことを、まだ誰も知らなかった。
休憩も大事ですよ…




