最奥場所にて……
鬼人殿は、その情景を見つつ、ある種の諦観を抱かれたのだろうか。 開かれつつある第六隔壁の向こう側は、これまでの様相から一変している事が伺えた。 根源的な部分で、危険と判断できる情景だったからだ。 しかし、征かねば成らない。 それが我等に課された『神勅』であり、『本懐』でも有るのだから。
ぼそりと鬼人殿が疑問を口にされる。
「あんまり長い事、いちゃいけねぇな、こんな場所にゃ。 狂っちまうぜ、俺達が。 下手こきゃ、俺ら自身が大変容しちまう。 しっかし、どうにか成るのか…… コレ?」
「如何にか…… 出来るのではないか。 遣り切るしか方策も無い」
「意志の強さは判った だが…… 楽観的だな」
「こと、此処に至っては、心を決めねば。 周囲の状況を勘案しますと、これだけの魔力濃度…… 小さな魔法の行使でも爆発的な効果を発揮するでしょう」
「だな。 身体強化系の魔法に留める。 付加魔法もご法度としようか。 【種火】を紡いだら、【大爆裂】になりかねん」
「しかし、なぜこれほどの濃度の魔力を必要としたのかが気にはなる所です」
「わからん…… こんな『イド』の濃度下では付与魔法でさえ暴発するぞ? 『イド』を動力とする道具だって、暴走する可能性すらある。っておい、トレーラーやら、通信機は大丈夫なんだろうな」
「乗せて来たトレーラーは完全に停止状態で封印されています。 始動術式すら展開されていませんよ。 それにこの通信機、本来ならば莫大な量の『魔力』を消費する型らしいのです。 『充魔器』と『蓄魔池』らしきものが付属してましてね…… そこからの供給です。 魔力の超高濃度状況下に於いての運用を明確に想定していますね。 其処だけは判りました。 与えられた手順書に、そう記載されております。 サーバント族の執事殿は、その辺りもちゃんと理解されていたようです。 彼等の計算に間違いが無ければ、安全に運用できると思っているのでしょうね。 現実的に、現在も稼働を続けておりますが支障はありません。 ですが、何処まで持つかは不明です」
「…………喰えねぇ金床野郎だなぁ、おい。 行くだけで…… 命懸けとはなぁ」
「そういう『天命』の元に導かれていると…… 私はそう理解しているのですよ」
「肚が座ってるこって。 まぁ、問題の焦点がそこに有るってんだ。 いくしかあんめぇな。 そろそろ、次の隔壁か」
「はい」
静かに、そして滑らかに滑り落ちていく斜行エレベーター。 行く先は、第六隔壁以降は暗い。 通常の白色灯火は点灯してはおらず、柑橘類の表皮の色の様な非常灯火が…… あえて記憶にある言葉に置き換えるならば、橙色の光を投げていた。 ナトリウム灯の色彩に似ているのだ…… 古いタイプのトンネルの照明と非常に似通っているのだ。 それが故に…… 我等の姿はモノトーンの影となる。 ここはもう、非日常の中の非日常。異常な空間だと云う事を物語っているのかもしれない。
ただ、私と鬼人殿はその光景を目の当たりにしても、大して動じていない。 非日常、異常な空間と云うのは、我等にとって『魔の森』中層域の常態だとも云えるのだ。 だから、この様な光景を目の当たりにしても、何が異常なのかを真に理解する事は無いのだ。 つまりは、『この地に於ける常識』そのものが、我等には欠落している事に他ならない。良い事なのか、悪い事なのか…… 不安を抱く前に、『知らない』『認知していない』と云う、非常に不快な現実が、其処には横たわっていたのだ。
鬼人殿は、淡々と、そして、冷静に斜めの隧道の先を見詰めていた。 私は腰の、あの時『我が佳き人』が用意してくれた彼女の腰鞄の中に手を入れている。 簡易結界を刻んだ羊皮紙を引き抜ける様にしていたのだ。 鬼人殿はその巨魁をして腕を組みつつも、巨大な得物の持ち手を、何時でも握れるように用心している。 油断は無い。 行く先に何が在ろうと、どうとでも対処できるように……
行く先は、更に深部。 見通せず、昏い道行は…… これから目の当たりにするモノが、超常現象と云うべき物である事を予感させる。 気持ちは堅く、自我を保ち、目的を忘れず…… 征くしかない。 傍らの鬼人殿が、これ程頼もしく見えるとは、思わなかった。
————— ☆ —————
第十隔壁。 隔壁は重く…… 私達の前に開く様子を見せてはいたが、その動きは遅々として進んでいない。 足踏み状態のまま、事態の推移を見守る我等は、ややもすると憔悴感で暴走したくなる。 空間魔力濃度は濃度限界を超え、結晶化した純粋な魔力がまるで粉雪の吹雪の様に……
嵐の中の淡雪の様にそこかしこに漂っていた。 マスクを付けても尚、濃い魔力が肺に入って来る。 小さく細く息をするしかない。 兜の面体裏は既に赤く染まり切っている。 最大制限を掛けてようやく暗視装置程の視界しか得る事が出来ない程だ。
「何時まで待たなきゃならんのだ?」
「隔壁が開き切るまで…… でしょうか」
「なんで、こんなに遅いんだ? それに音も酷い」
「隔壁扉の軌道か、扉自体が歪んでいるのでは?」
「そう見えるか?」
「ええ…… 幾つかの滞りが、その状況を示しています。 穀物倉庫の吊扉が開き難くなっているのと同じでしょうか。 別に潤滑剤が喪失しているとかではないのでしょう。 長い間、保全作業をしていない為の『整備不良』と考えますね。 単なる作動不良とは別次元の動きです」
「壊れてるって事でいいのか? 長年……放置していたつけなのか? いや、保全が機能していなかったと? あれ程の都市を守って来た連中なのに?」
「そうでしょうね。 不断の努力が途切れれば、機械など十年も持ちません。 物理的な限界と異常と見ても間違いないでしょう。 隔壁扉自体が、大層大きく重く、重量と容積を持っていますので、それだけ保全は必要不可欠です。 見るに…… 完全に歪んで動かなくなっている訳ではないのでしょう。 しかし、主要部に著しい損壊が有る事は間違いなさそうです。 幾許か隔壁扉が開いている事から、開扉の指令は出ているのでしょうが、現実がそれに追い付いていない。 今は…… 待つしかありませんね」
「だろうな。 しかし、なんつうイド濃度だ。 こっちも耐えられるか解んねぇぞ?」
「私もです。 ですが、何とか『繭』を管理している中央演算装置に到達せねば、この状況を打破できるとは思えませんね」
「それも、また…… めんどくせぇな…… おっ、動き出したぜ?」
何かが大きく破壊された、バキッと云う音が響く。 移動を阻害していた部分が本格的に壊れ、それと共に重いモノを引きずる様な音が響き渡ると同時に、第十隔壁扉は、ガタッビシッと異音を撒き散らしつつ開いて行った。 本当に重量のある扉なのだろう。 幾つかの軌条が斜行エレベーターの端に立った私達の目にも映る。
斜行エレベーターの隧道内は、橙色の緊急灯火がそれを照らし出していた。 状況が一変したのは、開いた隔壁扉の向こう側。 サーバント族が云うには、『繭』の管制室らしき場所は、赤色灯が紅に周囲を照らし出していたらしい。 鬼人殿は裸眼でこの場所を見ているのだ。 彼が綴る言葉から、私はそれを理解した。 と云う事は、……緊急事態が継続中だと云えるのか。
「なあ…… 元の世界の『戦争映画』でさぁ、潜水艦戦闘を描いたモノってあっただろ? 爆雷を投下されて、海ん中を逃げ回るヤツ。 あれってな、なんで艦橋の中で赤色灯使ってんだ?」
「一説には…… 血の気を失った指揮官やら上官の顔に、赤みを足して兵達を落ち着かせる役割が有るのだとか…… 通説の一つだそうですよ」
「へぇ…… それも、捨てられていた『本』やら『雑誌』からの知識か?」
「雑学と云う奴です。 真偽のほどは判りませんがね。 その手の雑誌や書籍は好物でしたから」
「なら、隔壁内が赤色に染まっているのは、やはり…… 色んな意味で壊れているからか?」
「どう考えても、常態では無いでしょう。何処まで壊れているかが問題です」
「確かにな。 たしかに。 壊れているって事は、中のエスタリアンの子孫たちも無事ではすまないって事か?」
「そう考えるのが妥当です」
「そうか、やっぱ、そういう結論に至るか。 どんな光景が、目に飛び込んで来るか…… あまり、いい予感がしないな」
「さて…… どうでしょうか。 先ずは、先入観を捨てて……」
そこまで言葉にした時、ようやく隔壁扉は開き切ったのか、我等と運搬車両が乗る斜行エレベーターが動き出した。 制御フロアに斜行エレベーターが辿り着く先が見えた。 エレベーター自体は、嫌がる様な、大きな音がしている。 所定の位置に付くまで、騒音は更に大きくなり、広がっていく。 揺れもかなり大きい。 エレベーターが乗る軌条にも何らかの不具合が有るのだろう。 周辺を見ると、垂れ下がる幾本ものケーブル類。骨材とおぼしき鉄骨も見えていた。
——— 警告灯で赤く染まった制御フロア ———
サーバント族の執事が云った情景とは異なり、其処は混沌に支配された場所でも有った。 天井各所からの赤色灯は幾つかも、その光を失っていたし、保全の手が回らなかったのか、幾つかのパネルが落ち、ケーブルがぶら下がっている。 勿論、人の気配は無く、厚く積もった凝結した『魔力』が床を覆って、私の目に赤い絨毯を敷き詰めたように見える。 壁も薄汚れ、必要な保全がもう何年も、何十年も、いや事に依ったら何百年も放棄されているように見えたのだ。
全てに於いて、『廃墟』という表現が当てはまるのだ。
その情景を、鬼人殿は大きな溜息をつきつつ、私に言葉を紡がれた……。
憂いを大きく孕んだ、そんな声音が私の脳裏に刻み込まれた。




