第5話「痩せ地が、王国一の穂を実らせた」
半年後の朝、オルテガは黄金に染まっていた。
かつて毒の泡を吐いていた沼。その跡地に広がる田が見渡すかぎり、たわわな穂で埋め尽くされている。風が渡るたび金色の波がうねった。
ヤゴ爺さんが穂のひとつを手のひらに包んで声を詰まらせていた。
「……六十年、この土地に生きてきた。だが、こんな実りは、見たことがねえ」
隣でメイが目をこすっていた。泣いていることを隠そうともしていない。
「あんたの地図、本当に、ぜんぶ本当になった」
俺は黄金の穂を見渡した。派手な魔法は何ひとつ使っていない。ここにあるのは視て、計って、積み上げたただの結果だ。その結果がこんなにも、目にまぶしい。
◇
収穫の合間、若い村人が不思議そうに尋ねてきた。
「レヴィンさん。同じ水と同じ土なのに、なんでこんなに穫れるんだ?隣の畑の倍はある」
「水と土が、同じじゃないからだ」俺は田の畦に膝をつき土に触れた。
地脈視で土の状態が色になって視える。どこが冷えていて、どこに養分が足りないか。一枚の田の中でさえそれは均一じゃない。
「米は、わがままでな。水が冷たすぎても、温かすぎても、すねて実らない。土の養分にも好みがある」俺は畦に埋めたこぶし大の石を掘り出した。淡く熱を帯びた橙色の石――魔石だ。「だから、ここに魔石を埋めて、水の温度を調整した。冷たい伏流水を、苗が喜ぶ温度まで温めてやる。土の冷える場所には多めに、温かい場所には少なめに」
「魔石なんて、攻撃魔法の燃料だろ。畑に埋めるのか?」
「攻撃に使えば、森を焼く石だ。だが、畑に埋めれば、人を食わせる石になる」俺は橙色の石を若者に手渡した。「同じ石でも、使い方しだいだ。――土は、嘘をつかない。正しく聞いて、正しく応えてやれば、ちゃんと返してくる」
若者は温かい石を宝物みたいに両手で包んでいた。
◇
だが、喜んでばかりもいられなかった。
収穫を終え村の倉に穀物を運び込んだとき、俺は新しい問題に直面していた。
倉が満杯になったのだ。
それも村人が冬を越して来年の種籾を残して、なお余るほどに。飢えていた村が生まれて初めて抱える「余り」だった。
「すごいじゃない!食べきれないくらい!」メイは無邪気に喜んでいたが、俺の顔は浮かなかったらしい。「……どうしたの。穫れすぎて、困ることなんてある?」
「ある」俺は山と積まれた麻袋を見上げた。「食いきれない穀物は、ただ腐るだけだ。だが、もしこれを“売れ”たら――銀に変わる。銀があれば、鉄を買える。鉄があれば、もっと大きな水路が掘れる。人を雇える。村が、もっと大きくなる」
「売るって……どこに?」
「そこが、問題だ」
俺は村の外へ目をやった。オルテガは王国の最果て。いちばん近い町まで馬車で十日。山と荒れ地に阻まれた行き止まりの土地だった。
「この穀物を、外へ運ぶ道がない。荷馬車で十日もかければ、運び賃で利益が消える。せっかくの実りが、ここに閉じ込められたまま腐っていく」
富は、生まれた。だが、それを動かす“道”がまだなかった。
◇
その噂はそれでも、痩せた荒れ地を越えて広がっていった。
毒沼が穀倉に変わった。最果ての村に食い物がある――。飢えた土地の噂ほど足が速いものはない。
収穫から十日もすると、村のはずれに痩せこけた人影がぽつ、ぽつと現れ始めた。隣領で食い詰めた小作。流れの職人。子供の手を引いた母親。誰もがオルテガの黄金の田を見て、信じられないという顔で立ち尽くしていた。
「レヴィンさん」メイが戸惑い顔で駆けてきた。「外から、人が……どんどん来てる。追い返す?」
俺は集まってきた流民たちを見た。そして、満杯の倉を見た。
「いや」俺は首を振った。「ちょうどいい。食い物は、ある。働き手が、足りなかった」
余る穀物。集まる人手。この二つが揃ったいま、やるべきことはもう決まっていた。
俺は村の中央に皆を集め、地図を広げた。半年前、ヤゴたちに見せたあの「これから」の地図だ。指は迷わず、南の谷筋――海へと下る一本の線に伸びた。
「聞いてくれ」俺は集まった村人と流民たちを見渡した。「この穀物を、銀に変える。そのために、海まで――運河を、通す」
ざわめきが走った。期待と不安と信じられないという声と。
だが、その中心でドルグが岩みたいな拳を打ち鳴らした。
「待ってたぜ、その言葉を」
メイが流民の子供の手をそっと握った。
「あたしたちの番ね。今度は、この子たちも食べさせる」
俺は地図の上の一本の線を指でなぞった。内陸と海。閉じ込められた富と外の世界。それを一本の水の道がつなぐ。
「土は、嘘をつかない」俺は静かに、しかし確かに言った。「半年前、俺はここに苗を植えると言った。実った。次は、海まで船を通すと言う。――必ず、通す」
黄金の田の向こう、まだ見ぬ海の方角へ。俺の地図の線が初めて、村の外へと伸びようとしていた。




