表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『追放された宮廷測地士、最果ての毒沼に運河都市を築く ~ゴミスキル《地脈視》は、土を読み、水を導き、国を造る~』  作者: 夕凪 鏡介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/31

第3話「毒の沼が、澄んだ田になる日」



「毒は、消せない」


 井戸に水が戻った翌朝、俺は広場に村人を集めてそう言った。


 昨日まで沸き立っていた顔が一斉に曇る。ヤゴが杖の先で地面を叩いた。


「なんだ、いまさら。井戸は出たじゃないか」


「井戸ひとつだ。あれで十二人。この村は三十人いる」俺は毒沼の方を指した。「残りを食わせるには、あの沼を田にするしかない。だが毒は消せない。五十年前の魔導士が焼き払おうとして失敗したのが、その証拠だ」


「じゃあ、どうしようもねえってことか」


「消せないだけだ」俺は首を振った。「毒は、動かせる」


 メイが眉を寄せた。「動かす?」


「毒を含んだ水は重い。ただの水より、わずかに沈む」俺は足元の砂を手のひらに乗せ、傾けて落とした。「流れを緩めてやれば重いものは底に溜まる。上澄みだけが残る。それを次へ流す。何度か繰り返せば、最後に出てくるのは清水だ」


「そんな面倒なことをせんでも」


「面倒だから、誰もやらなかった」俺は言った。「魔法は一瞬で終わる。だから五十年前の男はそれを選んだ。俺の目には、一瞬で終わる手はない」


   ◇


 沈殿池を三段。その図面を地面に描いていたとき影が差した。


 振り返ると石切場から歩いてきたような男が立っていた。日に焼けた腕は俺の腿ほどある。四十をいくつか越えたあたりか。無精髭に土ほこりが絡んでいた。


 男は俺を見ていなかった。俺が昨日打った杭を見ていた。


「おい」男の声は低かった。「なんでここの杭だけ、半寸ずらした」


 村人の誰も気づかなかった一本だった。


「粘土層が薄い」俺は答えた。「まっすぐ引くと、水圧で抜ける」


 男が黙った。しゃがみ込んで杭の根元の土を指でほじり、こすり合わせて鼻を近づけた。


「……ドルグだ」男は立ち上がった。「帝国で工兵をやってた。いまは流れ者だ」


「レヴィン・カルダ。測地士だ」


「知ってる。井戸を当てた男だろう」ドルグは図面を見下ろした。「三段の沈殿池。越流堤の高さも合ってる。だが、こいつは机の上の絵だ。積むのは俺たちだぞ」


「そうだ」


「分かってて描いたのか」


「土が動くのは、あんたたちが動かしたときだけだ。俺の目はどこを動かすべきかしか言わない」


 ドルグの喉が低く鳴った。笑ったらしい。


「昔な」ドルグは杭を見たまま言った。「足りない石で壁を積んだことがある。上から明日までに間に合わせろと言われた。計算では保たなかった。言ったが、通らなかった」


 彼はそこで一度言葉を切った。


「積んだ壁は、三日で崩れた。中に、俺の隊がいた」


 俺は炭を置き、図面から手を離した。顔を上げるまでに少し間があいた。


 風が毒沼の匂いを運んできた。


「あんたの図面は」ドルグが初めて俺の顔を見た。「土に、嘘をつかせてない。だから従う」


   ◇


 工事が始まると村の景色が変わった。


 ドルグは石の積み方を知っていた。同じ石でも置く向きひとつで壁の保ちが変わる。村の男たちが崩していた石垣を彼は半日で組み直した。俺が線を引き、ドルグが積む。メイが人と食事を回し、ヤゴが古い畑の位置を教えた。


 一段目の沈殿池が出来上がり、毒水を引き込んだ。


 水は図面の通りに流れた。重い毒が底へ沈み、上澄みが越流堤を越えて二段目へ落ちていく。村人が歓声を上げた。


 三日後、堰が崩れた。


「石が、腐っとる」


 夜明け前に叩き起こされて駆けつけると、ドルグが崩れた石を手に取っていた。表面が白く粉を吹き、指で押すと崩れた。


「毒だ」俺は膝をついて土に触れた。「沈殿した毒が、石を食っている。……計算に入れていなかった」


 崩れた石の欠片を握ったまましばらく動けなかった。


 村人が集まってきた。誰も何も言わない。ヤゴが五十年前と同じ顔をしていた。


「地図屋」


 ドルグが崩れた石を放り出した。


「石が食われるなら、食われない石を使えばいい」


 俺は顔を上げた。


「昔、戦場で酸の沼に橋を架けたことがある。焼いた石灰と火山の灰を混ぜて塗るんだ。表面が固まって、酸を通さなくなる」ドルグは沼の縁を指した。「地図屋。この辺りに、火山の灰は?」


「……ある」俺は立ち上がった。「沼の東、二百歩。硫黄泉の跡に灰の層が厚く積もっている」


「なら、問題ない」


 ドルグが初めて笑った顔で言った。


「お前の目は、土のことなら何でも視える。だが、石が何に負けるかは、積んだ奴にしか分からん。——それだけの話だ」


   ◇


 灰を混ぜたモルタルで石を覆い直し、堰を組み直すのにさらに十日かかった。


 通水の日、村人全員が沈殿池の縁に並んだ。


 毒水が一段目に流れ込み、濁りが底へ落ちていく。上澄みだけが越流堤を越えて二段目へ。また沈む。三段目へ。


 最後の池から水が越えた。


 それは、澄んでいた。


 ヤゴが震える手を浸した。しばらくそうしてから掌をこすり合わせ、鼻を近づけて口に含んだ。そして、ぺっと吐き出した。


「……苦くもねえ」


 村人がどっと沸いた。


 澄んだ水が満ちていく池の面に朝の空が映り込んだ。誰かが「鏡みたいだ」と言った。その言葉がそのまま名前になった。


 鏡池。


 毒沼の一角が、その日、地図の上から消えた。


   ◇


 三日後、鏡池から引いた水で東の痩せ地に最初の畝を立てた。


 メイが村の子供たちを連れてきた。腕に抱えているのは麦の種ではなかった。


「これ、いいの?」メイが小さな苗を掲げた。「実がなるまで四年か五年かかるって、ヤゴが」


「いい」俺はうなずいた。「麦は来年でいい。だが、これは今年植えないと四年後に間に合わない」


 子供たちが泥だらけの手で穴を掘った。まだ鍬も持てない小さな子が苗を両手で抱えてそっと穴に置いた。土をかける手つきは危なっかしかった。


 俺は少し離れて見ていた。


 毒沼だった土に、あの男が切り捨てた十年先が、頼りなく立っていた。


「レヴィン」メイが泥だらけの顔で振り返った。「これ、大きくなったらなんて呼べばいい?」


 俺はまだ何も実っていない枝を見た。


「そのときに、あんたたちが決めればいい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ