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『追放された宮廷測地士、最果ての毒沼に運河都市を築く ~ゴミスキル《地脈視》は、土を読み、水を導き、国を造る~』  作者: 夕凪 鏡介


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第23話「王の親書」



 ――幕間。アルデリア王都、宮廷。


 その評定は三日に及んでいた。


 玉座の間に集められた重臣たちの前で、一枚の羊皮紙が机に置かれている。まだ何も書かれていない、白いままの紙だ。それを前に、誰も口を開こうとしなかった。


 病んだ国を救う手立ては、もうひとつしか残っていない。最果ての都市に、頭を下げること。その一手だけが残って、誰もそれを言い出せずにいた。


 沈黙を破ったのは、魔法兵団長のガイスだった。


「陛下。恐れながら」


 鎧の擦れる音が響いた。前線帰りの、日に焼けた男だ。左の頬に古い火傷の痕がある。


「その紙に、何を書かれるおつもりか」


 王は答えなかった。ガレオンが代わりに口を開いた。


「水利の協定を申し入れる。オルテガの都市に」


「オルテガ」ガイスはその名を吐き捨てた。「三年前、この国を捨てて逃げた男の、沼の都でしょう」


「捨てたのではない。捨てられたのだ」


「同じことだ」ガイスは一歩進み出た。「宰相閣下。あなたが切った男に、いまさら頭を下げると。この国の兵がどれだけの血で国境を守ってきたと、お思いか」


 誰も答えなかった。


「北の防塁で、三百人が死んだ。去年の冬だ。俺はその一人ひとりの名を覚えている」ガイスの声が低く震えた。「あいつらはこの国のために死んだ。地面を掘っていた男ではない。剣を握って死んだのだ」


 玉座の間に、重い沈黙が落ちた。


 ガイスの言葉は間違っていなかった。攻撃魔法兵団はこの二年、崩れかけた国境を血で繋ぎとめてきた。彼らがいなければ、アルデリアはとうに地図から消えていた。その事実だけは、この場の誰にも否定できなかった。


「水が要るなら」ガイスは拳を握った。「奪えばいい。剣で。俺たちはそのために生きてきた」


   ◇


「ガイス」


 王が初めて口を開いた。


 疲れ果てた声だった。この数か月で、王は十も老けて見えた。


「剣で、水が湧くか」


「……は」


「そなたの剣は強い。誰よりも強い。だが、その剣で、涸れた井戸から水を一滴でも汲めるか」


 ガイスは答えられなかった。


「病を斬れるか。飢えを焼き払えるか」王は白い紙を見ていた。「余の民は、いま、水で死んでいる。剣では救えぬものに殺されている」


 ガイスの喉が鳴った。


 その男も、覚えているはずだった。ひと月前、王都が最初の渇きに襲われたとき、宮廷は攻撃魔法兵団に雲を呼べと命じた。だが、干上がった土地に、雲になる水気などない。空へ放たれた炎と雷は、乾いた天を焦がしただけだった。雨の一粒も落ちなかった。兵団のもっとも強い魔法が、ただの一度も、水には届かなかった。


「ですが陛下。あの男に頭を下げれば、この国の権威は」


「権威で、民は食えぬ」


 王は静かに言った。だが、その静けさが玉座の間の空気を押し潰した。


「余は間違えた。三年前、あの測地士を切ることを許した。あれの警告を、退屈な紙だと切り捨てた」王の指が羊皮紙に触れた。「その代償を、いま、民が払っている。ならば、頭のひとつくらい下げねばならぬ。それが王の務めというものだ」


 ガイスは深く息を吸った。それから片膝をついた。納得したのではない。ただ、王の言葉に、返す剣を持たなかった。


「交渉は、宰相閣下にお任せします」ガイスは絞り出すように言った。「ですが、それが決裂し、水を断たれたときは。そのときは、剣で獲る。俺たちには、それでしか国を守れぬ。その役目だけは、お許しください」


 王は答えなかった。


 その沈黙が後に何を意味するかを、この場の誰も、まだ知らなかった。


   ◇


 評定が終わり、重臣たちが退がったあと、玉座の間にガレオンだけが残った。


「陛下。親書の使者は、いかがなさいますか」


「……誰にする」


「私が参ります」


 王がガレオンを見た。


「そなたが」


「あの男を切ると決めたのは、この私です」ガレオンは平伏した。「予算の配分を決め、あれの席を消した。すべて、私の帳簿の上で起きたことです。ならば、その帳簿を締めるのも、私の役目でしょう」


 ガレオンの声に悲愴はなかった。詫びに行く、という響きでもない。ただ、決算の合わない帳簿を、自らの手で締めに行く。そういう乾いた事務の声だった。


「あのとき、私は選んだのです」ガレオンは低く続けた。「来月の敗戦と、十年後の飢饉。金は片方にしか払えなかった。私は来月を選び、あの男の十年後を切った。……そして、いま、その十年後が来た。前倒しで」


 王は何も言わなかった。


「勘定は、合っておりました。一度たりとも間違えてはいない。ただ、私の帳簿には、載せられない列があった。それだけのことです」


「あの男は、そなたを恨んでおろう」


「でしょうな」ガレオンは顔を上げなかった。「ですが、恨みは水利協定の条項には書けません。あの男は、そういう男です。私が切った、あのときのままなら」


「そなたが膝を折れば、宰相の恥だと言う者もおろう」


「恥で民が生き返るなら、いくらでも折りましょう」ガレオンは平伏したまま答えた。「ですが恥では、水は流れません。流れるのは、あの男の引いた線の上だけです」


 王はしばらく黙っていた。


 それから羽根ペンを取り、白い紙に初めて筆を下ろした。羽根の走る乾いた音だけが、広い玉座の間に、細く響いていた。


   ◇


 オルテガに、その報せが届いたのは数日後だった。


 王都から正式な使節団が発った、という商人からの伝聞だ。旗を掲げ、荷馬車を連ね、街道をこちらへ向かっているという。数十人。その中に、宰相ガレオン・ロウの名があった。


「来たね」メイが俺の隣に立った。「あんたが待ってたやつ」


「待ってはいない」俺は地図を巻いた。「来るなら来る。それだけだ」


 だが、ガレオンの名を聞いて、指先がわずかに止まった。自分でも分かるくらいに。


 あの日、俺の解雇通告を帳簿の上で決めた男だ。その男がみずから、この最果てまで歩いてくる。使者を寄越すのではなく。


 俺は丘の上から東の街道を見た。


 土は視える。街道の下の地盤も、水はけも、傾きも、視ようと思えばすべて視える。だが、その道をどんな顔をした男たちが歩いてくるのかは視えなかった。何を握り、何を捨ててきたのかも。


 ――いちばん視たいものだけが、視えない。


 ヨナスが小屋の戸口から出てきた。老人は東の空を長いこと見ていた。


「わしの書いた宛名の紙が、あの中にあるはずだ」ヨナスがぽつりと言った。「お前の名を、書いた」


「読みますよ」俺は言った。「読んでから、決めます」


 街道の砂ぼこりが、遠く、細く立っていた。


 三年前に俺を切った国が、いま、俺の名を書いた紙を抱えている。その紙を持って、この最果てまで歩いてくる。何が書かれていようと、俺の答えは土が決める。人の頭の下げ方では、決まらない。


「支度をします」俺はヨナスに言った。「客を迎える支度を」


「客か」老人が、かすかに笑った。


「まだ、客です」俺は東の空を見た。「頭を下げるまでは」


 俺は丘を下りた。奪うために来るのか、乞うために来るのか。どちらであっても、十二の水門の鍵は、俺の手にある。土が嘘をつかないかぎり、その鍵の重さは、変わらない。


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