第12話「疫病は水で止める」
最初に倒れたのは川下の新しい居住区の子供たちだった。
高熱と激しい腹下し。みるみる衰弱していく。流民として最後にやってきて、まだ都市計画の整わない低地に急ごしらえの小屋を建てて住み着いたいちばん貧しい一角だった。
「先生っ、先生はいないのか!」
親たちが青い顔で駆け回る。だが、オルテガにまともな医者はいない。あっても、この急な広がりには追いつかなかっただろう。ひとり、またひとりと倒れる者が増えていく。
「水あたり、だと思う」駆けつけたメイが唇を噛んだ。あの最初の収穫のとき、いちばんに手を握った流民の子もその中にいた。「でも、原因が分からない。みんな、同じ井戸の水を飲んでるだけなのに……」
同じ井戸の水を飲んでいるだけ。――その言葉に俺ははっとした。
◇
俺は川下の居住区へ走った。
病人の小屋には入らない。俺は医者じゃない。病そのものは視えない。だが――地面に膝をつき、土に触れた瞬間、俺の《地脈視》にその「原因」がはっきりと視えた。
水の流れだ。
居住区の人々が飲み水を汲んでいる井戸。その水脈のすぐ上流。ほんの数十歩の距離に――同じ居住区が垂れ流している汚水溜まりがあった。
厠の汚れ。生活の排水。それが地面に染み込み、地下で飲み水の水脈へと少しずつ混ざり込んでいた。本来、混ざってはいけない二つの水がこの急ごしらえの一角でだけ地下で繋がってしまっていた。
「これだ」俺は確信した。「病の正体は、視えない。だが――病を運んでいる、水の道は、視える」
急いで人が増えすぎた。都市計画の上下水の分離がこの最後の一角だけ間に合っていなかった。その隙を病が突いた。
「メイ!川下の井戸を、今すぐ全部、使用禁止にしろ!あの水は、一滴も飲ませるな!」俺は立ち上がり、叫んだ。「飲み水は、上流の――鏡池の、いちばん澄んだ水を、樽で運べ!病人にも、元気な者にも、今日からそれだけを飲ませろ!」
◇
だが、それは応急処置にすぎなかった。根本から断たなければ、病はまた別の場所で頭をもたげる。
その夜俺は篝火の下に地図を広げた。ドルグ、シエラ、メイ、そして都市の世話役たちが深刻な顔で囲んでいる。
「やることは、二つだ」俺は地図の上に二色の線を引いた。
「一つ。飲み水の道と、汚れた水の道を、地下で、完全に分ける。飲み水は、汚れより必ず“上”から取る。汚れた水は、必ず人の暮らしより“下”へ流し、最後は、毒水を封じたあの低地へ落として、二度と飲み水に混ざらせない」
青い線と茶色い線。二つの水の道が決して交わらないように、地図の上で町全体に張り巡らされていく。
「二つ。汚れた水が溜まる場所を、なくす。流れない水は、腐る。腐った水は、病を生む。だから、すべての排水を、必ず“流し続ける”。よどみを、町から、一つ残らず消す」
「……それで、病が止まるのか」世話役の一人が半信半疑で問うた。
「止まる」俺は断言した。「病が、何なのかは、俺にも分からない。だが、病が“水を伝って”広がっているのは、間違いない。なら――水の流れを、断ち、分け、清く保てば、病の道は、塞がれる」
俺は二色の線が交わらない地図を見渡した。「土は、嘘をつかない。水は、正直だ。汚れた水と、清い水を、きちんと分けてやれば――水は、二度と、病を運ばない」
◇
翌日から町を挙げての突貫工事が始まった。
ドルグが上下水を分ける水路を地図の通りに掘る。シエラが汚水がよどまないよう水の流れに絶えず勢いをつける。メイが住民に清い水と汚れた水の使い分けを一軒一軒教えて回る。
数日のうちに、新しく倒れる者がぴたりと止まった。そして、清い水だけを飲み養生した病人たちが一人、また一人と熱を下げ、起き上がっていった。
最後まで危なかったあの流民の子も――数日後、メイの腕の中で弱々しく、けれど確かに目を開けた。
「……お腹、すいた」
その一言にメイが声を上げて泣き、それから笑った。
疫病は一人の死者も出さずに、止まった。剣でも、薬でも、祈りでもなく。ただ水の流れを正しく分けることで。
◇
騒ぎが収まった夜、シエラがまだ少し信じられない様子で俺に尋ねた。
「ねえ、レヴィン。あんた、ほんとに、病が何かも分からないのに……止めちゃったね」
「ああ。病は、視えない。だが、水は視える」俺は答えた。「視えるものを、正しく動かせば、視えないものにも、手が届く。――測量ってのは、そういうものだ」
俺はふと王都のことを思った。
アルデリアの都も、地方の町も、人は水のことなどろくに考えずに暮らしている。汚れた水と飲み水。それがどこでどう繋がっているのか。誰も視ようとしない。
平時なら、それでもいい。だが、もし――大きな飢饉や渇水で水が乱れたとき。あの無頓着な都を今日のオルテガと同じ疫病が襲ったら。そのとき、王国の誰がそれを止められるだろう。
「……どうしたの。怖い顔して」メイがのぞき込む。
「いや」俺は首を振った。だが、胸に芽生えた予感は消えなかった。「水を分ければ、病は止まる。――この、当たり前のことを、知っている者が、この国に、どれだけいるか。それを、考えていた」
俺がオルテガで証明したこの一事が、いつか滅びかけた祖国を救う鍵になるとは――このときの俺はまだ知らなかった。




