07 見えない恐怖
月のない夜空。
星明かりすら、まばらな雲に遮られている。
健康的な視力と言えど、ミミが捉える光景は闇に等しかった。その暗がりが想起させるのは『奈落の底』という名の世界を繋ぐ黒い穴。そこへ落ちる事で、ミミは異世界へとやって来た。
「──キミは稀人だね?」
異世界生活2週間目。知り合った魔術師が、ミミの素性を即座に看破した。
原因はミミの慢心。不死身の特性にあぐらをかき、魔物との戦闘を繰り返した結果だ。間が悪く魔術師に、絶命と自動蘇生を目撃されて『チート能力者』だとバレてしまった。
「──大丈夫さ、誰にも言わないとも。その代わり、少しカラダを調べさせてほしいな」
怪しい口調、年齢不詳、性別すら良く分からない。
ミミが知り合った魔術師は相当な変人だった。そして、そんな魔術師と妙にウマが合うミミもまた、変人だったのだろう。
2人は交流を深め、様々なことを語り合った。
その中で、ミミの心を大きく揺さぶったのが稀人を導く『天使』の話だ。この異世界には過去何人もの『転生者』が居たと魔術師は語った。そして天使とは、稀人を守護する存在を指している。
時にその者の危機を救い。
時にその者の悪行を糺し。
時には、献身的に稀人へ寄り添い続ける天使も居たという。
「──まあ、これらは文献から得た知識さ。直接、自分の目で確認した機会は一度きりでね……」
その時の天使は、金髪の幼女。
宙にあいた黒い穴から現れ、転生者と思しき少女へ救いを齎した……と、魔術師は嬉しそうに語った。
その話を聞いた日から、ミミは天使が舞い降りる瞬間を心待ちにしている。ただし、メルヘンを夢見ている訳ではない。現実的に考えれば天使の正体にも予想はつく。
いつか来るであろう『獄卒』に文句を言う。その願いは、終わらない闇の中で未だ継続している──
◇◇◇
『完全無欠な補償の保証』には穴があった。
完全無欠と謳っておきながらの欠落。
もし獄卒に出会ったなら、文句の一つも言いたくなるのがヒトの性というもの。
定められた睡眠時間と摂取カロリーを守れなかった場合、『負債状態』というデメリットが発生する能力の仕組み。ここに最大の見落としがあったのだ。
たとえ『負債状態』へ陥ったとしても、ミミはそれを即座に感知できない。通知音や警告文などの類いが一切ないのだ。知る術があるとすれば──
「──ふむふむ、負債が貯まるほど運気も下がるのか。運気の低迷が負債状態の裏付けってことだね?」
だが。それを自覚する頃には、一体どれ程の負債が貯まっているか見当も付かない。運気ほど目に見えないものは無いのだから。
さらに厄介なことに、負債日数が判然としないので『寝食規定値1.1倍』というペナルティの期限すら判らない。なにせ完済しても通知はないのだ。運を担保にした能力の性質上、負債を全て返せば運気も回復するのだが……ミミは元々の運がたいして良く無い。
「──なるほどね。不運は自覚できても、淡い幸運は見逃し易い、か……けれどまあ、常に規定の1.1倍で寝食を心掛ければ問題解決なんじゃないかい?」
魔術師の言葉は、正論なのだろう。だが、この異世界には別の問題がある。
時間の単位は同じだった。月齢周期が地球と同じで、時計すら存在している世界だ。しかし──
「──ところで、カロリーという耳馴染みのない単位は、どうやって算出するのかな?」
この世界には『食物に含まれるエネルギーの数値化』という概念がなかった。そして、諸々の要素が複合することで、ミミにとって最大のデメリットが生じる……!
「──そういえばキミ、出会った頃よりふっくらしたよね! うん、可愛くていいと思うよ」
魔術師が見せた無邪気な笑顔と『ノンデリ発言』
それが、闇の中でリフレインする。
そう。ミミの肉体には、端的に言って太る機能が搭載されていたのだ。
ミミの能力が保証するのは、健康体の強制維持。体重に関しても、健康を維持できる適正値が保証されている。だが健康な体重という括りには、存外と幅があるのだ。身長165 cmのミミの場合、健康体重の上限と下限には、およそ18 kgもの差があり──ミミの体重は上限値に限りなく近い。
1日に1,800 kcalの摂取と8時間睡眠。
転生前にミミが定めた基準値は、スローライフを前提にした上で、自分が毎日続けられるギリギリのラインを想定してのものだ。だが、いざ異世界へ来てみれば常にその1.1倍を意識する必要があった。
つまり1日に2,000 kcal程度の摂取と、9時間近い睡眠が余儀なくされる。さらにはカロリーの計算方法が判らないので、とにかく沢山食べる必要があるのだ。とうぜん太る。
ずっと目を逸らしていた事実を指摘され、ミミが茫然自失となるのは必然だった。その様を見た魔術師が責任を感じ、格安で『家』を譲ってくれたという流れに繋がる。ミミにとっては、願ってもない幸運。それを負債の完済と捉え、新生活への一歩を踏み出したのだが──
果たして、本当に幸運だったのだろうか?
◇◇◇
朝日と共に目覚め、星を眺めて眠る。
ミミのスローライフは順風満帆だった。家庭菜園に、魔物狩り、週に一度の街での買い出し。雨が降った日は、魔術師が置いていった歴史書などを読み耽る日々。
そんな晴耕雨読を絵に描いたような生活を終わらせたのも、また『穴』だった。
新月の夜。ミミはいつもの様に、ロフトに設置したベッドの上で寝ていた。天窓があるその場所で、星を眺めながら眠りにつく事がミミの日課である。眠らずとも身体活動に支障が出ない不死身のミミ。だからこそ、生活リズムを遵守し睡眠のクセを作る事が必要なのだが──そのリズムは狂わされる。
深夜1時、ミミは突然の轟音に目を覚ました。
「……えっ、なに!?」
直後、強い振動がログハウス全体を襲う。日本に生まれ23年間すごした心海の直感が、これは地震ではないと告げる。前世で例えるならば、心海の死因である大型トラックに追突された衝撃の方が近い。
──何かが、ぶつかった。
その考えに思い至った瞬間、ミミの眼前に四角いナニカが落ちてきた。すかさず両手でキャッチした大きな物体の正体は、枠ごと外れた天窓だった。
ガラスにも似た透明部分は、魔術師お手製の謎材質なため無傷。だが枠自体は木製にすぎない。先程の衝撃で接合部が壊れてしまったのだろう。
「結界の異常……とか? どうしよ、マジュっさんが次に来るの何週間か後なんだよねー」
魔術に関する詳しい仕組みなど、ミミには殆ど判らない。だが被害状況を調べる事は可能だ。そのためにも、一度見晴らしのいい場所へ出て、結界を観る必要がある。
そして、窓が外れた『穴』も放置できない問題だ。元が開閉式の天窓とはいえ、このままでは羽虫も入り放題な上、雨が降ればベッドがびしょ濡れになってしまう。これらを解決する一石二鳥な方法は──
「よーし、まずは屋根に登って周囲の確認。異常がなければ、そのまま窓を応急処置。空が暗い内に、もう一眠りできれば儲けモノってとこかな?」
スローライフを続けた事で、ミミは思い切りが良くなった。とは言え、元来の性格を完全に捨てた訳でもない。今が『負債状態』である可能性も視野へ入れ、慎重な行動を心掛ける。
屋根に登る以上、注意すべきは落下。不死身とは言え痛いものは痛いのだから。
ミミは食糧庫から獲物を吊るすロープを持ち出し、ロフトを支える太い柱へと固く結んだ。そして、もう片側のロープの端を自身の腰へと巻きつければ命綱の完成だ。あとはロフトに登る梯子を動かし、天窓の穴へと立て掛ければ──
「カンペキ! 安全に屋根へ出られて、万が一落下しても問題ないプランニング。よい、しょっと……んっ、窓の穴も普通に通り抜けできたもんねー。だって、標準体重だから!! あはは──」
この陽気な独り言を最後に。
ミミは終わりの見えない闇へ閉ざされる事となる。




