03 熱に浮かされて
凄い能力を貰っても、それじゃ全く意味がない。
腹が減り、黄泉戸喫を口にしたら能力喪失だと?
そんな短期間じゃ、この時代の魂のキズが癒える筈もないだろう。
だからさキミ、まず黄泉戸喫を無効化する能力をおまけで付けてくれよ。
──ですが、特例を許しては他の亡者に示しが……。
おいおい。まさか、己のみを特例にしろと言っている風に聞こえたか?
全てだ。
煉獄で癒しを必要とする、全ての魂を特例にしろ。
その程度は許されて然るべきだろう。
──確かに、個人的には賛同できます。ですが、やはり私の一存では……。
キミの上役も、特例を許しているじゃあないか。
日本の地で死んだ魂以外も、今は例外的に回収しているのだろう?
現場の判断で動けるよう、下位の獄卒に裁量権が与えられているとも聞いた。
ならば、キミの判断も尊重されて然るべきだ。
──時代が時代。幽世での癒しは必須……ですがっ!
役人の辛いところだな。
キミが真面目で誠実な獄卒だと良く判った。
では自分が、言い訳を与えようじゃないか。
自分が望む能力は『黄泉戸喫不活化』とする。
その対象は、癒しを求める全ての魂。
これでどうだ──?
◇◇◇
──弐号室。
「あれ、先輩? 係長への報告を済ましたら、帰宅予定でしたよね?」
「ええ、久しぶりに自宅を満喫するつもりでしたけど……急令が入りましたから」
クハナが娯楽を堪能していると、数十分前に退室した筈の静虎が帰ってきた。落ち着いた雰囲気の先輩に理由を問えば、まさかの『急令』という物騒なワードが飛び込んでくる。これには、流石のクハナも狼狽せずにはいられない。
急々如律令。獄卒間では、単純に『急令』と略されるモノ。その意味は字面通り、急ぎの命令を表している。
「うげぇ……休暇目前で、なる早案件とか。係長は鬼ですか! 鬼でしたねっ!」
「ふふっ、コロちゃ──春ノ木係長も上からの命令には、なかなか逆らえない立場です。わたし達もいずれは、そういった鬼になる宿命ですし。大目に見てあげましょう?」
ここに件の係長がいれば、静虎のあまりな物言いに「どの立場で言っとるんだ、きさまー!」とプンスカ怒ったことだろう。
だが獄卒歴2年目のクハナは、素直に先輩の言葉に感銘を受けていた。そんな尊敬できる先輩が、自身の顔を下から覗き込み。優しく「ね?」と語りかけてくる。
背の低い黒髪の女子。外見こそ幼く見えるが、その享年は22。獄卒歴は10年を越えている。その上で後輩の面倒見も良いのだから──クハナの癖が時たま決壊してしまうのも至極当然。
「わーん、ママー! しゅき、しゅき〜」
「まったく……大きな子供ですね。着物がはだけるので、頭をこすりつけないで下さい」
勢い任せに静虎へ抱きつけば、素っ気ない態度が返ってきた。三白眼で見下され、冷めた口調で嗜められる。だが、縋り付く者を決して振り解こうとしない一片の優しさもあった。それがクハナの情緒を的確にくすぐり、ごっそりと思考力を奪っていく……!
「あのね、ママ? ロリっ子に甘やかされるのが、全人類の夢なんだよー。ひゃー! 今の私って、人類代表だよね。やったー、頭なでなでして〜?」
「……支離滅裂なうえ、主語がでかいです」
呆れながらクハナの頭を軽く撫でて「わたし達は精々、ヒトから変じた獄卒の代表でしょうに」と静虎がこぼす。平坦な口調ながら、わずかに哀しみを含んだ声。それを聞いて欲望に走れるほど、クハナの心はまだ鬼に染まってはいなかった。
情緒が再結合を始め。脳内に蔓延したピンク色の波が引いていく。
クハナは正気に戻った。
「さて、それでは任務に移りましょうか」
ポンと両手を軽く叩き。静子が空気を切り替える。後輩の心が落ち着いたと見ての、配慮だろう。
「そうでした!? 先輩のママみで忘れてたけど、急令ってなんなんです?」
「説明は追々に。わたしはさっそく、現地へ向かおうと思います」
衝撃の発言だった。
クハナはどこか安心していたのだ。急令と言いながらも、落ち着いた雰囲気を崩さない先輩を見て、警戒心が消えかかっていた。
「きゅ、急過ぎですよ先輩! そ、それじゃ私のサポートがっ、全然間に合いませんっ!」
動揺が走り、先程までとは違う形で心が乱れる。顔からは血の気が引き、呼吸すら上手く出来ない。それでも、クハナは言葉を紡ぎ出せた。相棒としての矜持。それが先輩の無茶を止めるため、口を動かしてくれた──のだが。
「ああ、ごめんなさいクハナ。今回は、現地の情報をおおよそ得ているのです」
「えぇ!? でも、いきなりの転移は危険です!」
穏やかな静虎に対し、気が気でないクハナ。
異世界と一口に言っても、その理は千差万別。過去の記録から大雑把な情報を得られるケースもあるが、リアルタイムのデータを正確に知ることまではできない。なのでサポート役が綿密に調査をしたのち、現場担当が出動する。これが本来のあるべき形なのだ。
「せ、せめて半日ください! これから徹夜で、現地のモニタリングを済ませますから」
「大丈夫ですよクハナ」
「でもっ!」
「今回は、ポータルの座標設定と観測だけお願いします。あ、もちろん余裕があれば『能力』によるサポートも欲しいです」
にっこりと静虎が微笑む。それは卑怯だとクハナは思う。
この信頼に応えなければ、相棒失格。そう思わせるだけの破壊力が、その笑顔には込められていた。諦観と不満。揺らぐ感情を強引にならし。クハナの覚悟が、固まり始め──
「それに、モタモタしてると向こうの『新月』が終わってしまいます」
静虎が告げる。いそいそとメイド服に着替えながらの報連相だ。
「急令の理由は、月齢のタイミングが8割ですし」
ドレッサーで腰のリボンを確認しながら、楽しそうに静虎が告げる。クハナは呆然と眺めることしか出来ずにいる。
「任務対象もスローライフ系なので、脅威度は低いです」
淑やかな黒髪メイドが、微笑みながら告げる。それを受け、クハナは開いた口が塞がらなくなる。
「さあ、手早く済ませましょう? そのあとは夏季休暇が、わたし達を待ってますよ!」
ウキウキと宣言するメイドさんを見て、ようやく全てに合点がいく。それと同時に、クハナは片足を一歩後ろへと下げていた。果たしてそれは『社畜道』へと踏み込みかけた忌避感からだろうか?
答えは本人にも判らない。ひとつだけ言える真実は──
「先輩……それ、早く言ってよぉ」
後輩の嘆きを聞いても、当の先輩は静かに小首をかしげるだけ。その心は終始『夏休み』に囚われていたのだろう。




