エピローグ ① / 静虎
ヨモツヒラサカ特別対策係 執務室。
「──は〜い、おねがいしますー。ええ、あ、そんな滅相もないです〜。部長にはいつもお世話になってますのでぇ。は〜い、失礼しますー……ふぅ」
金髪の少女が、ため息を吐く。星辰観測部長への電話が終了し、ようやく根回しにひと段落ついたからだろう。殺那の傍に待機していた静虎は、そう考える。
帰還してから、まだ30分しか経っていない。殺那はこの短い間に『魂流統括部』、『資源管理部』、『星辰観測部』の三つの部署へ話をつけてくれた。日頃からの人脈を活かし、流れるように各部門の長へと漕ぎ着くヨモヒラ坂の係長。さすがの手腕に、静虎は思わず魅入ってしまった。
「むっ? なにをボーっと見ておるシヅコ! 上層部の落ち度に付け込んで、きさまの任務失敗を有耶無耶にしてやったというのにー! アタシじゃなければ、クビだぞ、きさまは!!」
コンプライアンスは何処へやら。地獄の上層部では、未だ旧態依然とした手法が罷り通る。なにせ課長以上のクラスは、純粋な鬼のみで構成されているのだ。存在寿命が300年以上ある鬼に、現世の価値観を導入する頃には──既にそれも古いものへと置き換わっていることだろう。
「クビと言っても晒し首じゃないぞ!? ぱ、パワハラじゃないからなっ!」
免職を仄めかすのも十分にパワハラなのだが、静虎は敢えて触れずにいた。晒し首というワードに若干の罪悪感を覚えたからだ。
あの時、ミミへ話した獄卒規定は20年以上前の内容だった。さすがの地獄でも、既に晒し首は廃止されている。ミミが先走らないよう、静虎は少しだけ嘘をついたのだ。
「しかし、ミミという者は幸運だったな。急令があと数分遅ければ、シヅコは休暇に入っていた。さすがのアタシも、その場合はノチルへ命令していたぞ? 縁もゆかりも無いヤツならば、容赦なく任務を遂行しただろう。運のいい転生者だな」
「ミミの『運』が問題でこうして色々と揉み消してもらえました。巡り巡って、彼女が幸運だったと思えたのなら、わたしも任務失敗した甲斐があります」
静虎に何かを感じたのか「へぇ〜」という可愛い声が殺那の口から漏れていた。
そんな金髪の少女は、思わず出てしまった素を誤魔化すため、慌てふためいている。長い袖をパタパタと振り回し、いつかの静虎と同様に仕事の話題へとハンドルをきった。
「そ、そう言えば! どうやって能力で作った密室を出てきたの?」
「ふふっ、コロちゃんのおかげ……とだけ言っておきます。少し長くなるので、次回までに報告書へまとめておきますね?」
口調の崩れた上司は「うぅ〜」と唸り、最低限の威厳を保とうと頑張っている。その姿を見て、静虎は改めて自分の判断に自信を持てたのだった。
少しして。弛緩した空気を戻すように、殺那が大きく深呼吸をした。
心を鬼にして、威厳ある上司を演じるためのルーティン。春ノ木殺那の係長モードが再開する。
「それにしても、きさまが転生者へ情を見せるとはな。鬼の霍乱、シヅコの目にも涙と言ったところか? よもや、同郷のよしみなどとは言うまいな?」
「同郷というなら、みんな日本人ですよ。コロちゃんだって、生まれはアメリカでも日本の血を引いてますし。ジャパニーズソウル、ヤマトダマシイです」
「おかしなイントネーションで言うなー! それに、アタシが言った同郷というのは異世界『ジン=ライム』の話だ。他でもない、きさまが転生先に選んだ世界だろう……その、なんだ……懐かしかったか?」
ええ、とても。不器用な上司へ、静虎は微笑みながら答えた。
それは心から漏れ出た本気の笑み。いつもとは違う表情を見て、殺那も何かを察したのだろう。鬼と人の心の機微に聡いヨモヒラ坂の係長──そんな彼女が、部下へ激励を送る。
「一皮むけたな、シヅコ」
「セクハラですか? ふふっ、冗談です。わたしが、慣用句を知ってる部下でよかったですね。コロちゃん」
一礼をし、退室する静虎。
廊下からでも聞こえる「シヅコー!」と叫ぶ少女の声が、再び彼女を笑顔へと変えていた。
◇◇◇
──弐号室。
「先輩!? ちょっと、どういう事なんですかコレ! 私を放置して、執務室に直行するなんてヒドイですよ!!」
扉をあけるなり、クハナが飛びかかってくる。毛量の多い赤毛がせわしなく動き、静虎は脳内に大型犬を想像してしまう。鬼の膂力が戻った今ならば、ゴールデンレトリバーのじゃれつきも問題なく受け入れられる。
「いろいろと急ぎだったのです。上層部はアレですが、コンプラ的にログは残ります。コロちゃんへ話を通すことが最優先でしたから。ほらクハナ、頭をなでてあげますので……許してください。ね?」
「はわぁぁ……ダメにされちゃう。ロリっ子先輩にダメにされちゃうよぉ〜」
脱力し、そのままストンと椅子へ座ったクハナ。さらにダメ押しとして「お座りができて、いい子ですね」と顎の下を撫でる静虎。完全なるオーバーキル。いつもの弐号室の光景だ。
ただ今回は、ひとつだけ違う点がある──
「うわ、なにこの変態オンナ。そんなの相手にしちゃダメだよー、シズちゃん」
「起きてましたか、ミミ」
仮眠スペースから顔を覗かせたのは任務対象だった転生者。
気絶したミミを異世界から連れ帰り、何の説明もないまま布団へ寝かせ、静虎は足早に出て行ったという経緯がある。クハナが怒っていたのも当然の話だ。
「先輩、コレの説明を求めます! この緑髪女、私にすっごい辛辣なんですっ!」
「ワタシ、別にチョロい女じゃないからねー。シズちゃんが特別ってだけ」
ミミの態度もまた、当然のものだった。
静虎とクハナの通信を、彼女の耳は全て捉えている。つまり『先輩、この女チョロいですよ!!』という台詞までの流れを、全て聴いているのだ。ちなみにそれが起因となり、例の行動へ繋がっている。
気配を消し、静虎の背後へ近づき、通信先の女へ圧力をかける。
あの時、静虎が感じていた不穏な空気の正体。その発端には『煽り煽られ』という実に人間らしい原因があった。
「がるるる〜」
「なにー、やる気? ワタシ、けっこう強いよ〜?」
獣のように威嚇するクハナに対し、腰を落とし右拳を後ろへ引くミミ。半身に構え、正中線を相手から逸らす仕草が堂に入っている。静虎と同じ武術の構えだ。
クハナが冷静であれば、おおよその背景を察せたのだろう。急令の際、任務対象の情報が滞りなく届いていれば、さらに話は早かったのかも知れない。静虎とミミには、それだけ多くの共通点があるのだから。
「だめですよクハナ。相手は、わたしの同門。しかも『サブマシンガン級』です。これは師範に次ぐ強さなんですよ? つまり『アーチェリー級』のわたしより、数段上というワケです」
「先輩の通ってたキッズ空手、相変わらず意味がわからないですー! あと、次からはボコボコにされる前に教えてください……」
キッズ空手じゃないです。という指摘は、気絶した後輩へ届いていなかった。
「鬼って言ってもピンキリなんだねー。異世界で最初にエンカウントしたオーガの群れの方が、数倍強かったよー」
「あの世界の鬼は、限りなく精霊に近い存在です。それが発遭遇の魔物とは、不運でしたね──」
ミミの『運』は放置できない問題を抱えている。
星辰観測部の見立てによると──能力のもたらすペナルティ『運気の低迷』とは、実際のところ幸不幸を問わず、運気を平らにならしていく仕様であり。その強引な因果律の操作が影響し、より激しい振り返しが起きているのだとか。
家を格安で購入する機会に恵まれる、大きめの幸運。
終わりの見えない死と再生を繰り返す、特大の不運。
幸運にも、出口のない密室から脱出できたと思えば。
不運にも、魔力貯蔵庫が暴発してログハウスが崩壊する……ちなみに、その時の精神的ショックがミミの気絶へと繋がっている。
ピーキー過ぎる幸運と不運が、表裏一体となりミミへと襲いかかっている現状。元より幸が薄いミミは、わずかに不運への振れ幅が大きいというおまけ付きだ。
「まあ、今は幸運だけどねー。シズちゃんと会えたし、しばらく地獄に居てもいいんでしょ?」
「ああ、そうでした。ミミ、アナタの処遇についてですが──」
静虎が奔走していたのは、ひとえに保身のためである。それは自己だけでなく、ミミの身柄を保証するという意味合いも含まれている。
密室内で見た懐かしい夢が、静虎を突き動かしていたのだ。
殺那の在り方を改めて想起し、密室脱出の『鍵』を見つけ。
ミミとの闘いを経て、過去と未来に輝かしい『希望』を見出せた。
「──臨時獄卒、という扱いになりました。生者のまま、アナタには地獄の仕事を手伝ってもらいます」
「んー、前世と異世界でも仕事の地獄なら味わってるし。ま、いっか! 衣食住が揃って、シズちゃんまで付いてくるなら、破格の高待遇ってカンジだしねっ!」
悟ったような発言をしていても、ミミは享年25。彼女の言葉の裏には『まだまだ世界を楽しみたい』という想いがある。元転生者の静虎には、それを感じ取ることができた。
「わたしも、コロちゃんに一歩近づけた気がして嬉しいです──」
問題は多々あれど、最良の選択だったと静虎は思う。
ミミの魂へ真に癒しを与える事は、獄卒としての本分。
新たに交わした約束を果たす事は、人間としての道理。
よもつへぐらない──そう判断した自分を、少しだけ誇らしく思えたのだ。




