14 よもつへぐらないっ!
うららかな陽気、優しい風に包まれた入門初日。
揺れる黒髪を見つけ、幼い少女は走り出していた。
「天使さーん!」
「……わたし、ですか?」
胴着ではなく制服姿。受験準備に入る前、最後の挨拶に来ていた静香。
初対面となる小さな後輩を相手に、少しだけ屈み、視線を合わせ問いかける。
「どうして、天使なのです?」
「だって! ぴょーん、って飛んでたでしょ?」
「なるほど。虎や悪魔に例えられた事はありますが、天使は初めてです……でも、恥ずかしいから普通に呼んでくださいね?」
静香の返事が、少女の耳へ届いているかは定かでない。
だが、欣喜雀躍に「あははー!」と笑う姿を見れば、自然とつられてしまう。
「そういえば……アナタは、なにちゃんですか?」
「うん! ワタシはねぇ──……」
◆◆◆
30秒の静寂は、ミミが目を開くことで終わりを迎えた。
「……いやいやいや! やっぱ、ズルくない!?」
「急に動いちゃダメですよ、ココちゃん?」
起き上がりかけたミミを、自身の元へと引き戻す静虎。有無を言わさず頭を抑え、強制的に膝枕を再開する。そのまま悪戯気味に「強くなりましたね、ココちゃん」と耳元で囁く。
「ひゃん!? ちょ、ソレやめてー! い、いつからワタシに気付いてたの!?」
悶えるようにミミが笑う。静虎へ切っ掛けを与えた笑顔とは真逆の表情だ。
あの時、決闘を宣言された瞬間にミミが見せた笑み。口角が上がり、目を輝かせ、心の湧き立ちを隠しきれない──それは幼い少女が、いつか見せたものと全く同じ表情だった。
「──その顔を見て、破武器の才能を感じました」
闘いへの純粋な興奮。武道に踏み込む前の少女が、見せていい顔ではない。
だからこそ、記憶に深く残っていた。大勢いた小学生の門下生。その中で、たった一日しか会っていなくとも。交わした『約束』は心の中に残り続けていた。
「それに新しい約束も、ちゃんと守りますよ?」
「え? それって……勝負した意味がなくない!?」
勝敗は決している。今もミミは床へ背中をつけ、大人しく膝枕を受け入れているのだから。
その上で『一緒にいる』道を選ぶのであれば、そもそも闘う必要がなかった。ミミの指摘は尤もだろう。だが、静虎の選択は──
「もちろん、わたしが勝ったので『よもつへぐらない』前提で……一緒に部屋を出て、そのままアナタを地獄へ連行します」
「えぇ!? 逮捕されちゃうの、ワタシー!?」
「あ、いえ。言い方が悪かったですね、正しくは同伴です。戦闘中、気掛かりな点があったので──」
戦闘時に、ミミが脚をとられた水。
起床時に、ロフトから落下しかけた件。
他にも多々、不自然な『不運』を静虎は目撃している。能力を封じる空間内で、能力によるデメリットが発生しているのであれば、それは地獄側の落ち度となる。詳しく調べる為にも、ミミを地獄へ連れ帰る必要があるのだ。
「それに、もう一度対等な条件で闘いたいですから、ね?」
一番の理由は、実に単純。
成長した少女が見せた『ひたむきさ』に当てられたから。
それで静虎は、欲張ることを思い出し、折衷案を思い付いた。大人気なくも、大人らしいズルい手を使って、仮初めの勝利を掴んだのだ。これで責任を取らなければ、ただの悪鬼羅刹に成り下がってしまう。
「うん! なんだかんだ言って、おね……シズちゃんも戦闘狂だよねー」
いずれまた、新月の夜に。
浄玻璃鏡の観測すら及ばない『朔夜はお楽しみでしたね』の中ならば、獄卒規定を気にせず転生者と闘える。
極論を言えば、標的を殺害したとて……本当は証拠が残らない。残るとすれば、それは悔いのみ。
だから静虎は、己の在り方を変えずにいられる。
知己に対し、生前と同じ笑顔を向けていられる。
「ふふ、今だけは『おねえさん』と呼んでいいですよ?」
そう言って、おどけるように静虎が笑う。垣間見える白い歯に、牙は存在しない。今だけは、ただの人。
獄卒・日比野 静虎ではなく、出入 静香として振る舞える。
「それとも、初めて会った時のように『天使さん』と呼んでくれますか?」
「──っ。本当のホントに、ワタシのこと覚えてて……くれたんだ」
泣きじゃくる心海の頭を、静香は優しく撫でる。
ここでの出来事は全て一夜の夢。
秘匿された幕間を、咎める者は──誰も居ない。
◇◇◇
「へ〜、地獄にもハブキ流があるんだねー」
「地味に歴史が古いですから。それだけ門を叩いた亡者も多いようです」
少しして、他愛のない会話が再開する。この60時間で何度も交わした、ミミと静虎による雑談だ。
「もしかして……ハブキの先人が、地獄の鬼を倒しちゃったり?」
「正解です、ミミ。金棒や刺又ではハブキに敵いませんからね。そこで鬼たちも対抗策に出るのですが──」
ハブキ同様、ステゴロへ転向する鬼。より強力な武器を求める鬼。大きく二つの派閥に割れたと、静虎は語る。
いつしか素手派の鬼たちは、ハブキの亡者と意気投合し。地獄のハブキ流を開くまでに至る。そしてまた、静虎もその薫陶を受けた結果──
「わたしは『おんぶメイド固め』を習得しました」
「アレって、れっきとした技だったのー!? てっきり、シズちゃんの即興だと思ったよ」
互いの呼び名は、自然と元に戻っていた。
「それで、それで! 武器を使う方の鬼は?」
「やはり、そちらに興味が向きますよね。実は、鬼の能力で武器を生成──……」
会話は尽きない。
静虎もゆくゆくは武器を生成できるという話から発展し、ミミが斧っ娘の魅力を語る。それでも対峙すれば、壊すのでしょうと静虎が問えば「うんっ!」と満面の笑みをミミは返す。
「改めて考えると、チート能力も『武器』なんだよねー」
「ですね。程度の差はあれど、わたしもそう思います」
「……だから、チート剥奪の仕事をしてるカンジだったり?」
「いえ。鬼の存在自体が『武器』ですから、それでは筋が通りません。自分はいいけど、他人は駄目なんて、それこそ地獄行きです」
矛盾を孕んだ鬼のジョークに、さすがのミミも困惑してしまう。
それでも、静虎は言葉を続ける「これは受け売りですが──」と前置きをして。
「天国にも地獄にも行けない魂は『間が良く、魔が差さなかっただけ』らしいですよ? なので、わたしも、ミミも、他の転生者たちも、同じ穴のムジナなんです」
「えっと……つまり、どういうこと?」
ミミの問いかけに、静かな微笑みだけを返す静虎。
答えは自分で見つけろという意味なのか。あるいは、静虎自身も答えを見つける最中にいるのか。どちらにせよ、ミミはそれ以上の追求を飲み込んだ。
いい加減、雑談をやめなければならない。
せっかく鬼が、笑ったのだから。
「さーてと! それじゃあ、そろそろ脱出の話をしよっか!」
いつの間にかキッチンへ移動していた静虎が、ミミの声に振り返る。
先程と違い、したり顔で笑う彼女が手にしているのは──銀の袋。
「シズちゃん、それは?」
「よもつへぐらない食料……つまり、脱出の鍵です」
暖かな光を受け『鍵』は幾重にも煌めきを増す。
まるで二人の道行を照らすかのように、朗々と輝いていた。




