エピローグ ② / ミミ
臨時獄卒。
ヒトのまま、地獄の役人として扱われる者の総称。
かつて平安の世でも、小野篁という人物が閻魔大王の補佐を務めたと記録されている。彼が通った現世と黄泉の国を繋ぐ井戸こそ『奈落の底』の大元である。
生きたままの人間が地獄で働くというのは、容易に叶うことではない。ミミの場合『転生者』という点と、地獄の各部署に落ち度があったという点が大きかった。
本来であれば『運』を担保にすることなど不可能なのだ。
ヒトの魂が持つ運命は、星の巡り合わせと密接した関係にある。星の動きを観ることで、運気の変動を読み解く。それが『星辰観測部』の主な仕事である。だが観測部は、ミミの運気が不自然な形で乱れている件を、半年間も放置していた。
事態が動いたのは『資源管理部』からの報告だった。
ここ数ヶ月で、散発的に不自然なエネルギー流出が起きていたという件。調べれば流入先は、異世界ジン=ライム。転生時期を考えると、容疑者は絞られた。そして詳細を知るため『魂流統括部』の転生課へ問い合わせたのだ。
そこでようやく、AIが提案した能力をきちんと確認せずに承認していたと判明する。転生課長は、部下であるヨモツヒラサカ特別対策係長へ急令を出し。
新月を理由に、即座に対応可能な静虎へ白羽の矢が立った。そして現場へと赴き、大量のエネルギー流入事件と遭遇したのだった。
「──つまり、あわよくば揉み消したい事実が各部署にあったということです」
「はえー、ひっどい話だねー。まあ、シズちゃんと会えたから許すけど!」
静虎と出会えて幸運だった。ミミがそういった主旨の発言をすると、曖昧な笑みを返される。静虎にしても複雑な胸中なのだろう。
ミミの運気に関しては、未だ調査中な部分が多い。本来なら不可能な能力設定を、AIが辻褄を合わせるためナニカをした……という、大雑把な見立てまでしか出来ていないのだ。
「──それを解明するまで、ミミには地獄へ滞在してもらいます」
「りょーかーい。家が壊れちゃったし、ちょうど良かったよ!」
「……ごめんなさい。わたしは結局、アナタに謝ることもできないみたいです。地獄を代表できる立場でもないですし」
謝罪できないと言いながら、開口一番で謝っているという矛盾。その意を汲み取り、ミミは何も言わずサムズアップだけを返した。
「ありがとうございます、ミミ。今日のところは、この部屋の仮眠スペースを使ってください──」
現在、静虎の上司が手配を進めており。早ければ明日にでも、臨時獄卒用の部屋が割り当てられるのだとか。
そう告げられ、ミミの中に今更となる疑問が生まれた。
「そーそー、臨時獄卒って言われても……ワタシに何ができるんだろー?」
「だいじょうぶ。料理が作れるだけで即戦力です」
そう断言する姿は、説得力の塊だった。ログハウス内でも「うまみ調味料さえ入れれば、それは料理です」と、静虎が豪語していたからだ。
「シズちゃん、一応確認するけど……塩とか胡椒とか、地獄にもあるんだよね?」
「ええ、もちろん。お砂糖も、しょうゆも、ガラムマサラもありますよ」
なのでカレーを作ってください、と静虎が続ける。
「あはは、さすがにガラムマサラだけの本格的なヤツは無理かなー? うん、他のスパイスがあってもワタシじゃ難しいかも。調整されたカレー粉でもあれば、作れると思うけどねー」
静虎のプライドを傷つけないよう、ミミが言葉を選んで説明する。
カレーの決め手はスパイスの配合。それを済ましたものが『カレー粉』であり。辛味、旨味、色合い、香りに至るまで、全てのバランスが絶妙に調整されているのだと。
「なるほど、調整ですか。確かに大事なことです」
「うん、バランスは大事だよー。ほら『辛い』と『辛い』は紙一重って言うでしょ……あれ? それは、幸運の『幸』だっけ。あははー」
うろ覚えだった知識を、笑って誤魔化すミミ。
それを受けた静虎は、何か思うところがある様子。少しだけ間を置いて、微笑みながらその小さな口を開いた。
「ひとまずは、ミミが特大の不運に見舞われないよう、小出しに調整してみますね?」
香辛料から一転、話題がまた『運』へと戻る。
こうして二人の雑談は、しばしば長くなるのだった──
◇◇◇
──少しして。
「こちら側が、給湯室になってるんです」
弐号室の案内。後輩がノックダウンされたまま起き上がらないので、静虎が手ずから行ってくれている。和モダンなオフィスに似たその空間は、三つに仕切られた構造だった。六畳程ある任務用のメインスペース。その隣に併設された、パイプベッドのある仮眠室。
そして案内の最後を飾ったのが、給湯室となる。キッチンと呼んでも遜色ない設備が揃っているものの、料理で使われた形跡は見当たらない。お菓子の箱で埋まった調理台が、静かにそれを物語っていた。
「どうしました、ミミ? あ、その棚にあるものは、好きに食べて大丈夫ですよ」
食料棚には、カップ麺とスナック菓子が大量に詰められており。
他の食べ物と言えば──
「これは……! カロリーのお友達!? た、食べていいの!?」
「ふふっ、ヨモツヘグイじゃないですよ? もちろん、ルッコラもどきと違って毒もありません」
食料棚から、カロリー◯イトを見つけたミミ。黄色い箱を手に取り、裏面の成分表示をまじまじと見つめてしまう。記載されたカロリー量に、思わず涙が溢れそうだった。
「ハッ──!? ルッコラに毒? 初耳ですよ、先輩!」
騒がしい音を立て、乱入したのは赤毛の女。聞き耳を立てていたようだ。
「いけない子ですね、クハナ。本当はずっと起きていましたね? わたしが着替えた時、床に寝そべったままのアナタから視線を感じましたよ」
メイド服のまま奔走していた静虎は、さきほど室内で着替えていた。
仕事もひと段落した為か、今は大きめのTシャツにホットパンツという、ラフな服装に身を包んでいる。その黒を基調としたファッションを見た際にも、ミミは親指を立て賞賛を送ったのだ。
「ちょっと先輩っ!? これ猛毒じゃないですか!」
「へー、サラダの残りがコッチにあったんだー。ワタシのヤツは結局、家ごと潰れちゃったんだよねー。もーらいっ」
クハナがあとで食べようと冷蔵庫へ入れた、お裾分けのヨモツベーコンサラダ。毒と聞いて調べたそれは、一口で致死量に達する程の毒性を含んでいたらしい。
ミミはそれを平然と平らげ「このピリッと食感がいいよねー」などと、あり得ない食レポを述べてみた。『完全無欠な補償の保証』が正常に働いている証だ。
「……待って下さい先輩。これが猛毒で、この女もよもつへぐってない。じゃあどうやって、密室空間から脱出したんですかっ!?」
「ああ、それはですね──」
「エッチしたんですね!? この女とー!!」
獄卒・二桁 九八七の真の強みは、その分析力の高さにある……そうだが、今回は読み違えも甚だしい結論へと至っている。
おおかた、能力解除の鍵となる静虎のお願い『がんばって作りました、召し上がっていただけますか?』という台詞を拡大解釈したのだろう。考え方は合っているのだが、解釈の仕方がピンク色すぎるのだ。
そんな後輩を嗜めながら、静虎がカラクリを説明する──
◇◆◇
ログハウス内で決着後、幾許か過ぎて。
「ミミ、この粉をなめて下さい。それで部屋から出られるハズです」
「それって、ポテトチップを砕いたヤツだよね。へぇ、ブラックペッパー味だったんだー……そう言えば、どうして袋が銀色なの?」
静虎が手にしていたのは、銀色のパッケージをしたポテトチップの空袋。体感で2日前に、クハナが送ってきたそれは、いわゆるレアものに相当する。
複雑な事情で材料が不足し、袋へのカラー印刷を一時的にやめていた時期がある。その限定期間に、殺那がいくつか入手して、部下へお裾分けしたのだ。
「それよりも見てください。わたしの力作です……!」
意外と流行りモノに詳しい静虎は、銀の袋にサインペンで絵を描き、唯一無二のオリジナルパッケージを作り出していた。それは前回の任務より前の出来事。そして袋の内部には、クハナが粉砕したモノの残りがわずかに貼り付いている。
静虎が過去に作った袋。その中にある食べ物。それらは奇跡的に、鍵の条件を満たしていた。
「そのイラスト、上手だねー。ねぇねぇ、なんのキャラ? 設定とかあるのー?」
「上司のコロちゃんです。設定は『昭和産のメスガキあがり』と後輩が言ってました。ふふっ、怒った姿がとっても可愛いんですよ?」
よく判らない設定に、ミミは「ふーん」と興味なさげな態度を示す。
あるいは、コロちゃんを語る静虎の姿に思う所があったのかも知れない。
「ほら、この通り。わたしが舐めても大丈夫。地獄から持ち込んだので、ヨモツヘグイでも、毒でもないですよ……って、ミミ──!?」
静虎が人差し指で軽くすくい、少量の粉をなめとって見せると──
次の瞬間、ミミがその指を口で咥えていた。
いつの間にか窓の外は明るみ。ただの人間だった二人の女も、不老不死の転生者と、地獄の鬼へ回帰していた。
かくして、短いスローライフは終わりを告げたのだった。
◇◇◇
「やっぱりエッチなことしてたー!? 先輩の浮気ものー!!」
クハナの叫びを聞き、ミミの口角があがった。そのまま静虎の両肩へ手を置き、仲の良さをアピールして追い打ちをかける。
だが、意地の悪い態度に呆れたのか、静虎は後輩へ助け舟を出した──ミミはまだ気付いていないが、その舟の定員は二人まで。残酷にも、ミミが乗り込む余地は存在しないのだ。
「さて、ミミへの案内も済みましたので……わたし達は、予定通り長期休暇へ入ります。行きますよ、クハナ」
「……そうでした! 先輩、しゅき、しゅきー! どこまでもお供します〜!」
軽快な足取りで、弐号室から去っていく二人の獄卒。
肝心の説明が何もないまま取り残されたミミは、慌てて二人を追いかけた。部屋の外は異様な暗さで、地獄特有の赤い月も今は出ていない様子。闇に紛れそうな黒髪の静虎へ、必死に追い縋り──
「シズちゃんってばー、置いてかないでよー!」
「わたし達は、娯楽施設へ向かいます。ミミは……そうですね、ヨモヒラ坂の壱号室へ行ってください。そこの角を曲がった突き当たりの部屋です」
既に心が休暇へ向いているのか、静虎の指示は大分おざなりだった。それを見て、今度はクハナが意地の悪い笑みを浮かべ「見て判らないんですかぁ? 今日は地獄の新月なんです。先輩と私は、これから2〜3週間のバカンスを楽しむんです、おわかりですかぁ?」と煽り出す。
「壱号室には、主任を務めるラムという女性がいます。彼女は分析官としても優秀な人物なので、ミミの能力を解析してもらう予定なんです」
後輩を片手で嗜め、静虎が補足を加える。やや早口で、一方的に説明を済ませ「では、まほろばの予約時間なので」と一人足早に去ってしまった。普段の落ち着きは何処へやら。その姿は、夏休みを前にした子供のようだった。
「きひひ。主任の所には、ノチルってショタも居ますけど。さびしいからって、手を出しちゃダメですよぉ?」
情報に蛇足を付け加え、クハナも慌ただしく去っていく。
残されたのは──地獄の底の暗闇で、鬼に置き去りにされた転生者のみ。
「変態オンナに、ワタシの天使がNTRされたーっ!?」
生者の悲鳴が響き渡る。亡者の慟哭にも似たそれは、己の不運を嘆いてのものだった。反響する声を耳が捉え、ミミは少し前に聞いた話を思い出す──
「──ミミが特大の不運に見舞われないよう、小出しに調整してみますね」
その時は、意味がわからなかった。
まるで静虎が、運を操作できるかのような言い回しだったからだ。
「シズちゃんっ……! 狙ってやったのなら、予想以上の効果をあげてるよ!」
運だけでなく、心まで弄ぶ。
それは天使よりも、悪魔に近い所業だ。
時に優しく、時に厳しい。そんな小悪魔に救われてしまったことが──
ミミにとって何よりの幸運であり、ひと摘みの不運でもあったようだ。
〈了〉




