12 曼珠沙華
武器を持つ事は弱者の証明。
真の強者とは、己の身一つで全てを打ち破る者也。
これは、藤見 心海が通っていた道場の格言である。
常在戦場にして泰然自若。どのような武器を前にしても身一つで打ち破る──『破武器』を理念とする格闘術。心海がその門を叩いたのは、8歳になる年の春だった。
「すっごーい! ヒトが飛んでるー!!」
道場は、小学生用の学習塾も併設しており。心海は元々、そちらのみを利用する予定だった。だが、入塾前の説明を受けている際にそれが起こり、運命は覆る。
宙を舞う天使に目を奪われ。その鮮やかな勝利に、心を奪われた。
「ワタシも、ぶじゅつ、習うー!」
その日、行われていたのは他流試合。ハブキの門下である黒髪の少女と、棒術使いの少年による異種試合。どちらも中学三年生であるが、幼い心海の瞳には──小柄な天使と、大柄な鬼として映っていた。
間合い、体格差、あらゆる面で不利な条件。それは、武術を知らない子供の目から見ても明らかだった。だが天使は表情ひとつ変えず、鬼の振るう棍棒を巧みに躱し続ける。身を逸らし、跳び、瞬時に屈み、また跳ねる。踊るように武器を避けていく天使。
ついには鬼が痺れを切らし、大振りの隙を見せ──
「ミミ、朝ですよ」
◆◇◆
懐かしい声が、夢の情景を跳ばす。
「心海……なら、ココちゃんですね。わたしは、出入 静香。アーチェリー級です」
入門初日。早くも憧れの人と出会えた幸運な日。心海がその生涯で唯一、静香と言葉を交わせた特別な一日。
短い時の中で、思いつく限りの質問をした。静香からの返答その一つ一つが、今でも胸の中に残っている。
道場における階級の話。破武器を理念とするだけあって、それは分かり易く区分されている。アーチェリー級とは、一対一で遠距離に構えた弓使いを制圧できる実力者を指す。黒帯が与えられ、表向きは最上位の階級となる。
「おもてむき?」
「そうです。その上は、火薬を使う武器が相手ですからね。この国では、中学生に鉄砲を向けてくれる敵が中々いませんので。わたしも早く、ハンドガン級に──」
小学校低学年の女児を相手に、包み隠さず物騒な話を伝える静香。すぐさま師範が止めに入り、静香は道場の隅へと連行されてしまう。
だが、心海の耳は地獄耳。説教されている声から「師範はサブマシンガン級」「先代師範の老師はロケットランチャー級」という情報を拾ってしまい……幼い心に、さらなる興味が注がれていく。
「おねえさん! ぶじゅつ、もっと、教えてよー」
「ココちゃん。教えを請うなら、まず師範へ……わたしが睨まれてしまいます」
「じゃあさ、じゃあさ。この前の、ぴょーんって飛ぶやつ、みせてー!」
「アレは相手の力を利用してるので、今は無理ですね。コツだけでいいのなら──こう相手が棒を振ってきた所を、えいっ! と踏ん付けて、ふわっとジャンプし、くるんっ、というイメージです」
抽象的な静香の解説に、心海は脳裏に焼き付いた映像を想起する。
振り下ろされた棍を足場に、さらりと相手を跳び越え、すり抜け様に襟首を掴み、そのまま後ろへと引き倒す。鮮やかな勝利を飾った、その技の──
「名前は『徒桜』……崩しの奥義です。わたしは背が低いので、何かしら足場を使ってムリヤリ再現しています」
「おねえさん、ちっちゃくて可愛いもんねー!」
幼女に小さいと言われ、静香は頬を膨らます。身長146cmの静香と言えど、流石に小学二年生よりも頭一つ分以上は大きい。なので立腹するのも仕方ない。自分よりも小さくて可愛い存在が、何を言っているんだ、という感情なのだろう。
「ワタシも、おねえさんみたいに、強いちびっ子になれるかなー?」
「……いいでしょう、ココちゃん。挑戦状と受け取りました」
心海が少ない語彙力で憧れを伝えると、静かな笑顔が返ってきた。
にっこりと微笑む黒髪の少女。その表情の裏に怒気が含まれていることなど、幼い心海には分からない。ただ素直に「おねえさんと、戦えるのー!?」と歓喜するだけだった。
「ですが、困りました。わたしは受験勉強でしばらく道場に通えません」
「えぇー!? おねえさん、いなくなっちゃうの!?」
「ふふっ。ココちゃんが、今のわたしと同じ歳まで成長したら闘いましょう?」
静香からすれば、無邪気な子供をたしなめる方便だったのだろう。
だが、その約束は心海の胸へ深く刻まれていた。この先の人生で、時に励みとなり、時に苦しみとなって伸し掛る──幼い日の思い出。
生涯、果たされる事のなかった約束。
それは確かに、努力を支える『天使の祝福』だった。心海が中学生の時、道場の壁から出入静香の木札が外される、その瞬間を目にするまでは──
「おねえさん、朝ですよ。おきてくださーい」
◇◇◇
耳を襲う甘い吐息が、懐かしい夢を掻き消す。
「な、なに!? この異世界に、ASMRなんてあったの!?」
昔日の憧憬が脳内を撹拌し、もはや過去と現在の区別もつかない。
ミミは半覚醒状態で飛び起き、妄言を吐き、頭をぶつけ、よろけ、ロフトから落下しかけ──
「おもっ……んっ。ミミ、ふらつき過ぎですよ」
寝巻きの襟首を引かれ、重心が後方へと移動し床へ尻餅をつく。わずかな痛みと、遅れてやって来た危機感がミミの頭を覚醒させた。
直前まで、ロフトの手すりから乗り出していた上半身。それを優しく包み込む温もり。暗い室内ゆえ、研ぎ澄まされた感覚が安堵の息を拾う。
「ひとまず照明を点けましょう?」
燐光に滲むその表情は、遠い日に憧れた少女のままだった。
◆
「え、どうし……て?」
師範の手によって、壁から木札が外される。日焼けの差が、くっきりと境界を残し空白を際立たす。あと一年という段階で、約束は永久に叶わなくなった。
受験の忙しさを縫って、静香は何度か顔を見せていたと聞く。遠く離れた高校へ入学が決まった際も、報告に来ていたのだとか。心海は間が悪く、その機会を全て逸していた。
それでも、出入静香という札を見る度に繋がりを感じていられたのだ。
「……」
師範は何も語らない。心痛な面持ちと、震える肩──何より、身に纏う服装がそれを物語っていた。
古株の門下生も何人か黒い服を着ている。みな静香と関わりがあった者たちだ。制服を着ていた心海も、彼らと一緒に通夜へ参列することとなった。夕暮れの列車内で、かすかに話し声が聞こえる。
「トチったのは、この駅らしい」
「徒桜が得意なあの子が、どうして?」
「ブランクと、体格差だろうな……飛び込もうとしてたのは巨漢だったと聞く」
「おい、静かにしろ。師範に倣え」
先輩の一括で、会話は中断された。みな一心に黙祷している。扉が閉まり、景色が動き出しても、それは続いていた。
揺れる列車と心海の胸中。二つの揺れが、まるで逆位相であるかのように。混乱していた心海の頭を落ち着かせ、一本の筋道を通す。
徒桜は、奥義に位置する高等技術である。相手の体幹、重心、力の流れ。それらを理解しなければ成功しない技であり。相手を後ろへ倒れ込ませ、自身が綺麗に着地することで──初めて『徒桜』となる。
その一段階前の技が『花と散る』と呼ばれており、勢いを殺しきれずに着地失敗した状態を揶揄している。先程のトチったという言葉は、徒桜の失敗を暗に語っていたのだ。
つまり、駅のホームで自殺志願者を救出し。
その反動で自身が列車の前へと身を乗り出し──花と散った。
◆
「拡散・光源」
ミミの声紋が認証され、魔力による光が緩やかに室内を照らし始める。
最大照度になるまで5分程かかる魔力照明。異世界における最先端の技術だ。
「なんど見ても、電球型蛍光灯みたいです。なかなか明るくならない、お婆ちゃんの家のトイレを思い出しますね」
ミミには、良く分からない喩えを持ち出す静虎。その彼女の輪郭が、やわらかな暖色に照らされ鮮明になっていく。
最初は、ただの似姿だと思っていた。繰り返される死と再生が、都合の良い幻覚を見せている。そう考えた方が余程、現実に即している。
だが名前を聞き、希望が顔を覗かせた。享年と獄卒歴、生前に住んでいた街、次々と符合していく事実に胸が躍りそうになる。それでも。ミミは心を誤魔化し、気付かぬ振りを続けた。
──もしシズちゃんが彼女ならば、ワタシに気付かないワケがない。
その想いが理性に蓋をして、決定的な質問を避けてしまう。生前の名前を聞けば確定する事実。そこから目を背けていたのだ。
昨日までならば、断食による空腹感のせいに出来た。栄養不足で、巡りが悪くなった思考回路のせいにも出来た。だけど、もう限界だ。
ゆうべ見た夢が、顔、声、身長の完全一致を教えてくれた。
襟首を掴まれて、技のキレが健在だと証明された。
そして、あの日と同じ笑顔を向けられてしまえば──
もう言い訳の余地など何処にも無い。
「ようやく明るくなりましたね」
目の前の彼女は、憧れのおねえさんであり。自分の事を覚えていないのも、至極当然。なぜなら心海は、たった一度会っただけの子供に過ぎないのだから。15年も前の出来事を、覚えていろと言う方が無茶な話だ。
「これで会話もしやすくなります」
だからせめて、明るく努めなくてはならない。
たとえ彼女が忘れていても。情けない姿は見せられない。
「さて、早速ですが……ミミ」
抱いた憧れは変わらずそこにある。
この泡沫の夢が続くのなら、今はそれだけで──
「脱出方法を思いついたんです」
「えぇっ!? ちょ、まっ……えぇー!?」
凪ぎ始めた心が揺り戻され、ミミの思考は再び拡散してしまった。
高波に奪われた舵は制御不能。もはや、流れに身を任せるしかなさそうだ──
◇◆◇
「ミミは、わたしと一緒にいたいですか?」
会話の流れが分水嶺へと差し掛かる。それは避けて通れぬ問題だった。
いくつか肩透かしを食らったものの、結局はそこへ話が収束するのだから。
「これから、二つの道を示します──」
どうにか心を落ち着かせ、ミミは考える。
静虎が提示した選択肢。極端な二択。おそらく折衷案など認められないだろう。選択肢があること自体、既に最大限の譲歩なのだ。
能力を維持したまま脱出し、そのまま別れる。
能力を捨てて脱出し、この先も一緒に生きる。
この密室の『鍵』を見つけた静虎ならば、何も告げずに最初の案を通すことも出来た。首尾よく事を運べば、任務成功すら狙えただろう。ミミに料理を作らせ、自分は食べたフリでもすれば済む話なのだから。
「……」
静虎が無言で、机に置かれた二つのコップを指し示す。
最初の案を説明する際に立てていた、左手の人差し指。それが来客用のコップへ向いている。静虎自身が定めた落とし所。彼女の心を納得させられる選択が、それなのだろう。
右手で指す、ミミのコップ。あの問いかけに「一緒にいたい」と答えなければ、示されなかったであろう選択肢。ミミの意を汲み、静虎が立てた未来への指針。これを選んで、彼女の心が納得できるのかは──わからない。
「まあ、コッチだよね」
それでもミミは選んでいた。
自身のコップを口へ運ぶと、程よく冷えた水が寝起きの身体へと浸透していく。入居祝いとして贈られた真鍮製のコップが、この冷たさを維持してくれている。
贈り主である魔術師がオリハルコン製などと言っていたそれは、日本人にも馴染み深い『五円玉』と同じ色をしたコップ。鈍い黄金色を映しとった水面が、灯りに照らされ静かに煌めく──
夕暮れの列車内で、黙祷を終えた師範が一言だけ発した。
泰然自若を絵に描いたような子だった、と。
常在戦場にして泰然自若。破武器の理念であるそれを噛み砕けば『難しく考えず、思うままに』という解釈へ行き着く。物事に動じやすい心海だが、岐路に立つ度その精神に助けられていた節が多い。
「正直、チート能力が無くても生計は立てられるし。シズちゃんと一緒なら、この異世界で冒険するのも楽しそうだからねー」
今回もまた、後追いの理屈が口を動かしていた。
「……やはり、そちらを選びますか」
選択に後悔はない。きっと、静香が人を助けた時もそうだったのだろう。
「嬉しい反面、残念でもあります」
そう言いながらも全く動じていない静虎。おもむろに残ったコップへ手を伸ばし、小さな口へと傾ける。その仕草はまさに泰然自若。遠い日に憧れた在り方。
固唾を飲んで、言葉の続きをミミは待つ。
悠然と喉を潤した静虎は、半身を逸らし。左拳を後ろへ引き、口を開く──
「ならば決闘ですね、ミミ」
心臓が早鐘を打つ。おそらく動揺は表情にも出ているだろう。泰然には程遠い己の未熟を、ミミは再認識する。死の淵を繰り返し、成長したと思った精神も……結局のところ『芯』の部分は何も変わっていないようだ。
遠い日の約束を前に、口角だけが素直な嬉しさを表現していた。




