11 ゆらぎ
牙、膂力、角、そして最後に武器。
鬼化には四段階のプロセスがあるのさ。
と言うわけで。獄卒になって10日目のシヅコくん。
その小さなお口、あ〜ん、してくれるかな?
──子供あつかいは、やめてください。あ〜……ん。
おや、もう犬歯に変化が出てるね。早いケースだ。
なるほど、キミの経歴。中学生まで格闘道場へ通っていたのか。
キッズ空手というやつかな?
ウチの係長と同様、やっぱり生前から闘えるヒトは凄いなぁ。
──それが、鬼化の進行と関係あるのです?
そうさ。私なんて元が運動オンチだからね。
獄卒歴10年でも、まだ膂力は人間の域を出てない。
だから、観測役や新人へのレクチャーという裏方仕事で手一杯。
まあ、ころなに誘われた手前。精一杯やらせてもらうとも。
──先輩も、コロちゃ……係長に誘われたのですね。意外です。
はは、見た目は成人したオンナと、女児だからね。
だけど意外にも、生まれた年は同じなのさ。
獄卒歴は倍近く違うけれど……まあ、色々とね?
おっと、脱線してしまった。キミの話へ戻ろうか。
──鬼化の影響ですね。八重歯に違和感があります。
そうだね。急激な変化には違和感が付き纏うもの。
慣れるまでは、口内を噛まないよう気をつけて。
それと。今後は留意すべき点が増えるよ?
キミの場合、緩やかな変化の方が厄介なのだから。
──筋力の上昇。鬼の膂力ですか?
私の見立てだと、10年程度。
キミの筋力は、ゆっくりと時間をかけ鬼のそれへと換わっていく。
まあ、私からすれば十分に早い期間なんだけどね?
ヒトの感覚から、鬼の感覚へ。キミも違和感なく移行できるハズさ。
──それなら、問題がないですよ?
平時ならね。キミの場合、その能力が問題なんだ。
異世界で発動すれば九分九厘、ヒトの筋力へ戻ってしまう。
厄介なことに鬼の力が増すほど落差も大きくなる。
任務を続ける限り、その違和感はずっと……
──だいじょうぶです。どちらも対応できるよう鍛錬します。
◆◇◆
懐かしい夢の終わりは、悪夢で締め括られる。
若気の至り。その羞恥心に脳が覚醒し、静虎は『12時間タイマー』よりも早く目を覚ました。
「ふぁ……体感で10時間は寝た気分です」
肉体のパフォーマンスは良好。空腹感が緩和され、思考もクリアになっている。断食3日目にあたる現在、静虎は人体の神秘をその身で実感できていた。
オートファジー。自食作用とも呼ばれるそれは、体内にある脂肪などを燃焼させ、生命活動を維持させる人体の機能。同時に脳内の老廃物も分解され、頭が冴える効果もある。
「脂肪……心なしか減った気がします」
記憶の片隅から知識を引き出し、自身の小さな胸に手を当てる。メイド服のエプロン越しに、肉体のコンディションを確認する静虎。元より脂肪が少ない彼女の場合、オートファジーが筋肉にまで及ぶのも、そう遠くはなさそうだ。
だが昨夜の夢で、静虎は脱出の『鍵』を見いだせている。
結成当初のヨモヒラ坂。係長の殺那、観測役の先輩、新人の静虎。たった3人で任務を回していたトラブル続きの日々。中には獄卒規定に反する騒動も起きていた。その度に、事態を収束させていた係長は──
「──どんな規定にも、探せば『抜け穴』が見つかるものだ。そもそも、解釈の余地を残した文面で作られているからな。それを是正する立場を目指す身としては……まあ、頭の痛い問題だけどなっ!」
そう言いながらも、強かに『穴』を利用してみせる金髪少女。
彼女の姿勢を思い出すことで、静虎も自身で定めたルールに解釈の余地を見つけたのだ。
「ありがとう、コロちゃん。おかげで道が拓けそうです──……あとは、わたし達がどちらを選ぶかですね。とりあえず、ミミを起こしましょうか」
ハンモックから跳躍し、静虎は素早く行動を開始する。心・技・体が整っている時間は、さほど長くないからだ。千載一遇の好奇を逃す訳にはいかない。
新人の頃と違い、今回は『どちらも』などと欲張れないのだから。
◇◆◇
「ミミ、朝ですよ」
「ん……シズちゃん……すご〜い……」
屋根裏から漏れ出る燐光を頼りに、ベッドまで辿り着く。だが、家主は気持ち良さそうに眠っており、静虎の呼びかけが聞こえているか判然としない状態だった。
「おねえさん、朝ですよ。おきてくださーい」
「ひゃん!? な、なに!? この異世界に、ASMRなんてあったの!?」
静虎の吐息がミミの耳をくすぐる。その効果は抜群で、一瞬にして家主は飛び起きた。ミミが驚愕するのも無理はない。ある取り決めが為されていたからだ。『朔夜はお楽しみでしたね』を発動した初日、静虎がミミへ名を告げた直後──
「──ねぇ、もう『おねえさん』って呼んでくれないのー?」
「──ええ。アレは、わたしの演技です。アナタの事は『ミミ』と呼びますね。なので、ミミも『天使ちゃん』などと呼ぶのはやめてください」
「──じゃあ、シズちゃんで!」
不承不承ながらも静虎が飲み込み、互いの呼び名が決定されたのだ。不服そうな静虎の顔を見ていたミミは、もう二度と『おねえさん』とは呼ばれないものと思ったのだろう。
そこへ来ての不意打ちなのだから、盛大に取り乱すのも当然の反応といえる。慌てたミミは、ベッドから転げ落ち、暗い室内で頭をぶつけ、危うくロフトからも転落しかけ──
「んっ。ミミ、ふらつき過ぎですよ。ひとまず照明を点けましょう?」
「う、うん。ありがとー、シズちゃん……」
静虎が後ろから抱き止める事で難を逃れたが、ミミは腑に落ちない様子だった。
それはマッチポンプで救出された不満からか。無意識に静虎が「おもっ」という言葉をこぼしていたせいか。あるいは、単に寝覚めが悪いだけなのか。
いずれにせよ──照明が点く頃には、普段通りの明るい表情を見せていた。
「さて早速ですが、ミミ。脱出方法を思いついたんです」
「えぇっ!? ちょ、まっ……えぇー!?」
さらなる追い討ちで、ミミは再び困惑の表情を浮かべる。
そんな彼女を翻弄し続けている張本人は、笑顔を浮かべ、動揺するミミの姿を眺めていた。
◇◇◇
顔を洗い、金属製のコップに水を汲み、木製テーブルを挟んで対面する。
リビングにて3日目の朝が開始した。
「ミミ、身体の調子はどうですか?」
「え? あ、うん。割とイイ感じかも……って、それより脱出方法の話だよ!」
ミミのペースに合わせることなく、静虎はゆっくりと水を飲む。昨日までは気付けなかった、水のおいしさが喉を潤す。魔力で作られたそれは、よく味わえばミネラルを感じ取れる代物だった。
「ちょっと、シズちゃーん? 教えてくれないのー?」
「そうですね……脱出の方法を教えるのは、いったん後回しです。先に、確認しなければならない事柄がありますので」
肩透かしをくらい、ミミが机へと突っ伏す。
その際に倒れかけたコップを、流れるような所作で静虎が受け止めた。適度に下がった水面は、溢れることなく揺蕩っている。静虎の水と、ミミの水。揺らぎが異なる二つのそれを机へと並べ、静虎は静かに問いかける。
「ミミは、わたしと一緒にいたいですか?」
ミミの瞳に映る水面が、徐々に落ち着きを取り戻していく。
ひと呼吸を置いて、ミミも真剣な表情へと移り変わり──
「つまり、シズちゃん。700時間の断食に耐えて、永遠にワタシと一緒にいたい……ってコト?」
「え、全然ちがいますけど?」
ミミが椅子から転げ落ち、その衝撃がコップの水へ波紋を呼んだ。
だが、どこまでもマイペースな静虎は、ヘッドドレスの位置を軽く直しつつ言葉を続ける。
「冷静な頭で考えるとその未来は、お先真っ暗なんです──」
静虎が語る仮定の話。700時間の断食に耐え、部屋が永久に閉ざされ、鬼と不老不死に戻った二人の生活。
それは確かに可能ではある。食料が尽きた空間内でも、不老不死ならば問題もない。そして鬼は、人肉を喰らう存在。食べても減らない糧があれば、300年を越えて生きることも可能だろう。
だが不可能なのだ。理論の上で問題はなくとも、心がそれを許さない。
魔力リソースが尽き、真の闇に包まれた空間内。友の血で喉を潤し、飢えを凌ぐ。それを、耽美なスローライフなどと表現できれば話は別だが──静虎の心は、そこまで鬼に染まっていない。
「なにより暗闇では、ミミの百面相も見れませんし……ね?」
「ホントずるいなぁ、シズちゃんは。そんな顔されたら、納得するしかないじゃん──あれ? でも、部屋を出るのが前提ならー、さっきの質問はどういう意味? そりゃ当然、一緒にいたいケドね!」
「そうですか。では、これから二つの道を示します──」
左右の手で人差し指を立て、静虎が説明を始める。
一つは、このまま部屋を出る選択。
「まって。それだと、シズちゃんが任務失敗で晒し首なんじゃない!?」
「いえ。晒し首……は、あくまで毒殺の場合です。任務失敗に関しても、あてがあります。今回のケースを鑑みれば、割と高い勝算で揉み消してもらえるでしょう」
ですがこの場合、ミミとはお別れです。
そう補足して静虎は左手を下げた。
「なら、もう一つの方は?」
「ミミが新しく料理を作り、二人で食べる。という選択です」
毒の入っていない、ヨモツヘグイ。部屋にある無事な食材を使えば、それを作ることはできる。付随スキル『黄泉戸喫不活化』が働かない中で食べれば、この異世界へ根を下ろす事となるだろう。
ミミが能力を喪失する以上、任務は成功。静虎も『労災』という形で、退役理由が成立する見立てだ。
「ただの人間として、ワタシと一緒に異世界ライフを送るってこと?」
「ええ。その場合、もし迎えが来ても退役を願い出ることを約束します」
二つの道を示した静虎が、机に置かれた二つのコップを指し示す。
最初の案を客のそれへ。次の案を家主のそれへ。二人の生命線である『水』の入った器同士を岐路に見立て。どちらを取るか、ミミへ選択を迫る。
「まあ、コッチだよね。正直、チート能力が無くても生計は立てられるし。シズちゃんと一緒なら、この異世界で冒険するのも楽しそうだからねー」
「……やはり、そちらを選びますか。嬉しい反面、残念でもあります」
そう言って、静虎は残った自身のコップを手に取り喉を潤すと──
「ならば決闘ですね、ミミ」
微笑みながら物騒な宣言をした。
飛躍した結論にミミが目を丸くする一方で、静虎の脳内には機械的なアナウンスが鳴り響いていた。
──『朔夜はお楽しみでしたね』発動から、60時間経過──




