10 しづごころ
照明を消すと、天井に青白い燐光が見える。
ロフトに張られたハンモックの上で、静虎は前世で見慣れた光景を目にしていた。仄かに光るそれは、屋根裏に魔力貯蔵庫があるためと聞いた。照明、コンロ、水回り。その全てを賄うエネルギーが、およそ2週間分蓄えられているのだとか。
実に都合の良い設備なのだが、その構造は地獄の『娯楽部屋』とよく似ている。もっとも『蓬塵』を供給源とするあちらの方が、コストパフォーマンスに優れているのだが。
「──それじゃあ一応。おやすみなさーい、シズちゃん」
「──はい。おやすみなさい、ミミ」
体感で1時間ほど前、互いに眠りの挨拶をかわしたものの。押し寄せる空腹感が、眠る事も、深い思考へ没入することも許してくれない。
焦燥感と罪悪感。押し寄せる感情の波を仕分けることで、寝ているフリを継続する。静虎にできることは、現状でそれだけだった──
心を開けばこうなると解っていた。常に一線を引き、転生者に情を抱かないよう心掛ける。そうしなければ、任務に支障が出てしまう。
だと言うのに……たった一度、手を洗われた。
それだけで絆されてしまった。
理性の蓋が外れ、心の叫びが漏れ出て──あとは決壊した堤防と同様に、貯めていた全てを放出するという大失態を犯したのだ。
そんな無様を晒してなお、全てを受け入れてしまう転生者。彼女の今後を補償することでしか、己を納得させられない。
まとまらない思考。感情を優先した結論。
だが今は、それが静虎にとっての全てだった。
◇◆◇
『朔夜はお楽しみでしたね』発動から、36時間経過──
「ミミ……朝です、眠れましたか?」
「ぜーんぜん。とりあえず魔術照明つけるね──……」
暖色の灯りに軽い目眩を覚えながらも、静虎は先にロフトを降りる。仮にミミが落下しても、クッション程度にはなれると踏んでの行動だ。鬼の膂力を発揮できない現状、それが精一杯なのだ。
もっとも、ミミにとっては日常の動作となる。しっかりとした足取りで、問題なくリビングへと到達した。そして交代で顔を洗い、コップに水を汲み、テーブルを挟んで対面する。昨夜と同じ状況が再び始まった──
「そーいえばさ、シズちゃん。どうして真っ暗なのに時間がわかったの? まさか1秒づつ数えてたとか!?」
「ちがいますよ。能力の仕様で、12時間ごとに脳内へ通知がくるんです」
新月から、次の新月までの長さは平均で約29.5日。
時間にすると、およそ708時間。静虎の能力にタイムリミットがある以上、空間内での時間把握は必須となる。だからこそ、はじめに転生課の担当獄卒と綿密にやり取りを交わし、能力を微調整した。その結果が『12時間タイマー』なのだ。
「月齢周期の誤差をふまえると、58回目の通知が最後通告と──」
「え、ちょっと待って……!? 転生課って、あの!」
慌てふためくミミ。小首をかしげる静虎。
すでに昨夜、静虎を含めヒトから鬼へ変じた獄卒は、もれなく元・異世界転生者だという話は済んでいる。今更、転生課の話題が出たところで混乱することは無い筈なのだが。
「ズルくない、それ!? ワタシの能力なんて、カロリー計算と睡眠時間の把握が必須なのに!! 通知機能なんて無いんだけどー!?」
ミミの口からようやく飛び出た、文句らしい文句。
それを聞き、静虎は少し安心する。
「シズちゃん!? 笑うなんてヒドいっ! AIに相談したワタシが悪いの!? だって優しかったのアイツ! どしたん話聞こかって、ワタシの隣に座って──」
「ミミ、きっとそれは『アナタの妄想』です。現実をみましょう。ね?」
少しづつコップの水を口へ運びながら、二人の談笑は続いていく──
◆◇◆
この異様な膠着状態は、自然と出来上がっていた。
会話の中から出た情報を互いに汲み取り、決定的な部分を口にせず、歪な共同生活が成立している。
要点となるのは、脱出手段と互いの命が密接な関係にあることだ。
まず、ミミはヨモツヘグイを口にすることに躊躇いはなかった。死生観の変化で、静虎と出会ってからの時間を『泡沫の夢』と捉えている点も大きいが。死なない可能性も視野に入れていた。ドレッシングと一緒に猛毒が混ざったサラダとて、たった一口ならば──とミミは考えていたのだ。
だが、その無茶な賭けを止めるため。
静虎は『規定』を持ち出し、己の命を盾にした。
チート剥奪という回りくどい手段をとる理由は、獄卒規定にある。
そもそも、異世界転生者とは煉獄に癒しを求めた魂。その癒しを害することは、獄卒の本分から逸脱した行為と見做されてしまう。
料理の提供という形が、グレーゾーンを作り出し。それが現状で黙認されているだけに過ぎない。仮に転生者へ毒を盛って殺害したとなれば、故意でなくとも罰則は免れないだろう──と静虎が語った。
「良くて懲戒免職。悪いと晒し首です。地獄なりの洒落ですね」
「重っ!?」
こうして歪な関係が作られた。
それでも最初の内は、他に脱出手段がないか知恵を出し合ってもいた。
「備蓄してある食材で、改めて料理を作るのはダメなの?」
「能力発動時、『がんばって作りました、召し上がっていただけますか?』とお願いしました。過去形で『作りました』と言ってしまったので、ダメなんです」
経験上、その場合は事前に作ったものでないと要項を満たさない。
そう静虎が告げれば──
「じゃあワタシが作るからさ、シズちゃんが食べるって案は?」
「わたしが?」
「そー、それで能力を喪失すれば、部屋が元に戻るんじゃない? だいじょーぶ、人間に戻ったシズちゃんは、おねえさんが一生養うから!」
本気か冗談か分からないミミの発言を、静虎は静かに却下する。
能力の性質上、空間内で静虎がヨモツヘグイを口にしても密室は開かれないのだ。発動した時点で、能力の主体は空間へと移っている。
そうでなければ矛盾が生じてしまう。摂理に反する力を無効化する空間内に、その能力者が滞在し、尚且つ空間を維持する。この条件を成すには、一時的に能力を移譲するしかないのだ。
「ダメかー。ま、最悪1ヶ月考えられるんだし! 今はトランプでもやる?」
「そうですね。空腹感を忘れるには丁度いいです」
栄養補給できず、回りが悪くなった頭でのんびりと脱出手段を考える二人。
互いに口にはしないが、1ヶ月の断食に耐えれば、ある意味でゴールだと理解している。部屋が閉ざされる際、摂理の綻びに伴い復活するものがある──二人の能力だ。
その先は、不老不死者と鬼の生活。魔力リソースが尽きようと、生きていく術はなくも無い。隔離空間内で永劫に近い時間を共にする未来も、選択肢の一つ。
それを半ば享受できてしまえる程、ミミと静虎は互いに毒されていた──
◇◆◇
『朔夜はお楽しみでしたね』発動から、48時間経過──
「ふぁ〜、なんだか今なら眠れそうな気がする」
ミミの欠伸が、二度目の就寝時間を求めていた。魔力のリソースは2週間分。定期的に照明を消さなければ、水の補給という生命線が絶たれてしまう。それが考え得る限りで、最悪の未来だろう。
「あー、ねっむ。ゴメン、はしご先にのぼっちゃうねー」
ゆっくりと梯子を登るミミの姿を、静虎は階下で眺めて思う。
想起するのは、かつて上司に噛みついた苦い思い出。右も左もわからない新人が、唐突に『チート剥奪』という任務を与えられた日。
ヨモツヒラサカ特別対策係が立ち上げられた、あの時を──
「どしたの、シズちゃん? おねえさんと一緒のベッドがいい?」
「いえ、せまそうなので。またハンモックをお借りします」
「そこまで太ってないけどねっ!? むしろ断食で痩せた気さえするよ!」
「ふふっ。男性は、ミミくらいのふくよかさに惹かれると聞きますよ?」
安心して下さいと告げて、静虎はハンモックに身を預ける。先程から空腹感が薄れ、体の不調も緩和された気がする。今ならば、眠ることもできるだろう──
夢を見た。眠る前に回想した過去の出来事だ。
「──どうして、そんな酷いことを? わざわざ転生させておいて、はしごを外すようなマネを……!」
「──違うぞ、シヅコ。履かせた下駄を、返してもらうだけだ。星辰観測部と協議して、それが無くとも問題ない者のみを対象にしている」
殺那が語った内容は、気の持ちように過ぎない。
大義名分のもと、既得権益を徴収する事実に変わりはない。
だが言葉の裏側に、殺那の真意が隠れていた。
「──元転生者だから、気付ける事もある」
去り際に殺那が溢した呟き。その横顔を、静虎は生涯忘れない。
怒りを以って悲哀を隠す、そんな不器用な表情。
それは異世界で独り……なにも出来ず死を迎える筈だった、あの時に見た顔。
自分を救ってくれた、天使と同じ顔だった──
「ありがとう、コロちゃん。おかげで道が拓けそうです」
能力発動からおよそ60時間、静虎は自分が歩むべき未来を見つけ出せた。




