淡々と
「ハァハァハァハァ」
昼間でも薄暗い路地、袋小路。背中に壁を感じ、絶望してズルズルと座り込む。
追われていた男は魔物の血を色濃く引いた、人間。何年もかけてではあるが、小さな村ぐらいなら作れそうな数の人の命を奪ってきた。
追っていたのは勇者。例に漏れず異界から招聘された存在で、性別は無い。
しかし勇者本人は元の世界での記憶からか、自分を男性寄りだと認識しているらしかった。
「もう逃げない感じ?」
勇者は剣の切先を、男の鼻先に突きつける。
「まっ、待ってくれよ! オレが何したってんだ!?」
「え? 色々と口にしたくもないようなことやってるでしょ?」
「見たのか!? ええっ、おい! 見たのかよ!?」
男は自分が生き残る可能性が限りなく無に等しいと理解していた。
迷宮と呼ばれる程に入り組んではいても、歩き慣れた路地。いわばホームとも呼べる場所で、身の危険を感じていたにしても追い詰められた。
このような有様では、もはや助かるわけがない。
それでも、分かっていても足掻いてしまう。
「んー、正直なところどうだって良いんだよ」
目線を外しもせずに、勇者は言った。
少し迷った風な口ぶりではあったものの、揺らいだ気配はまるでない。
「……は?」
「俺を見て逃げ出したろ? それだけで理由は十分なんだ」
「そんなの通ると思ってんのか!」
理由にもなっていない理由を聞かされるぐらいならば、いっそ何も言ってくれない方がマシな気がした。
男は過去の行いを元より気にしたことは無かったが、この場においてもそれは変わらず。完全に棚上げし、勇者の言葉の理不尽さに憤る。
その態度に勇者は軽く微笑んだ。
指で潰す前に、ジタバタと抵抗する虫。その無意味さを、彼の様子を見て思い出したからだった。
「何だよ、元気だな。とりあえず、エイッ」
「へ? ……う、腕がっ!?」
「これね、咎人の火。燃やすのに区分としては聖魔法らしいんだよね。こっちの世界じゃ肉体にも記憶が宿る、って言われてんでしょ? 実際にそうらしくてさ、罪過の記憶があると燃えるってわけよ」
燃やす、と勇者は言った。
言ったが、男には何も見えていなかった。
気付いた時には肩から先、自分の腕が消失していた。
そして、勇者の言葉が真実だとしたら焼失と言うべきかと考えた。そんな普段なら考えもしないことを考えなければならぬ程、男は動揺していた。
「あ、ぐっ、てめぇ!」
「この状況で、って前なら思っただろうな。けどどうしたって助からないのは分かりきってるんだから、多分キミみたいな態度が正解なんだよな」
「さっきの火は、お前を焼かないのか? お前だって正義気取りで何人もやっちゃってんだろうがよ!」
「おいおい、マッチとか使ったことないのか? まあ仮に自分を燃やしたとて、咎人の火も所詮は魔法。扱いさえ知ってりゃ消せる。あと、気取るも何も俺は正義なんかじゃないし。ちなみに範囲絞って腕だけにしたのはさ、実は俺のオリジナルなんだよ。制御しきれぬままに何かを扱うことこそ、罪だと思ってるんでね」
「はぁーっ!? ベラベラベラベラと何言ってんだ!?」
「まとめるとキミが衝動で、突発的に何かしてるっぽいのが許せないって話。まぁそれとは無関係に、生かしててもこっちの世界の為にはならんだろうし消すんだけど」
「何の権利があるってんだよぉっ!!」
男の言葉に、勇者の顔色が変わった。
「ああ! ああ! ああ! 何で変に権利だの持ち出すんだ!? キミ、今までどれだけの人の権利を踏みにじって来た? 一人二人じゃないだろうね。でも、別に俺はそんなことどうでも良いんだよ。どのみちやることは変わらないんだから。ただ、せめてそんな話を持ち出すなよ。……ズルいにも程が無いか?」
見上げた男は息を呑んだ。
こちらを見つめる無機質で、ガラス玉のような目。
言葉に感情が滲むにつれ、勇者の表情からは反比例するように感情が消えていった。
それは勇者の自認がこの世界におけるある種の装置であることと、無関係では無かった。
仕事や作業として世直し的な、ノイズ除去をしている。そこまでなら彼以外の大抵の勇者が至る考えで、何なら標準的とさえ言えた。
いくら義務感みたいなものがあったとて、普通は彼のようにはならない。なれない。
もっと機械的に、感情を失ったかのようになる勇者はいた。ひたすらに悪と見做した者を淡々と処理していく。
対して彼は感情を失わず、人の身のままにある。いつだって怒り、悲しむ。にも関わらず、彼は自分を舞台装置だと思っている。
この世界が力を与えて、役目を与えた。それが全て。
「ず、ズルい? ズルいだと? 俺よりお前の方がよっぽどズルいだろうがよ! そんな力で、こうして誰彼構わず正義ヅラ……」
男の姿は一瞬で消えていた。
「羨むのは勝手だけど、正義とかじゃないんだってば」




