観測者
そこら中に転がる、黒黒とした塊が何なのか。分かっていても、分からないフリをした。この状況下でさえ消えてくれない心が、今は忌々しくてならない。どんなに目を背けても、現実は何も変わらず。胸の痛みはいつまでも続いている。まともな感性を失って狂える、あの人たちが羨ましかった。
「くそっ!」
立ち止まって、空に向かい発砲した。高く高く、雲一つない澄み切った青空へ。
消音器に抑えられ、甲高い笛のようにしか聞こえぬ銃声が響く。
一つ、二つ。間を置いて、三つ。
衝動的に無駄撃ちしてしまった。
しかし、どこか冷静ではあったらしい。目を閉じるのは忘れていなかった。
大量のハエが飛び交う羽音がする。
もしも、目を開けていたら。視界に入らないはずがない。あの塊が。
ほんの数日前まで、命あるものだった塊が。
静かになるのを待って、目を開けた。目の端に、黒い塊。その周りをハエが数匹、飛んでいるようだ。黒いハエが。
トボトボと、あてもなく歩く。道なりに。正確にはかつて道だった、と思われる場所を辿っているだけ。もはや記憶の中にしかない道を辿っているだけ。
「さ、もう充分だろう?」
背後から、馴染みのある声。
「聞いてないぞ」
「言ったじゃないか。酷いことになる、と」
「……こんな、……こんなこと」
「止めたよ、私は。何せ君は観測者なのだから」
そうだ、分かっている。そうでなければ、簡単に情報をシャットアウト出来る。心に蓋をするのは無理でも、入り込んでくる情報を断つことは難しくない。少なくとも、自分なら可能だったはずだ。
それなのに自分は、残念なことに観測者。どんな状況だろうと、情報を断つことなんて出来ない。
目を閉じていても、あらゆる器官が全力で周囲を観測する。意思など無関係に。
自分の手を見る。補正され、人だった頃と同じように見えている。血肉を備えた、人の手のように。
それでも、知っている。本当はどのような手をしているか。
「帰ろうか」
「ああ、そう言うと思って迎えに来たんだ」
いつもながら淡々とした調子の、博士。
そう言えば彼は平気なのだろうか。彼もまた、ここの出身だと言うのに。
振り向くと、彼と目があった。
潤んだ、彼の目と。
「……泣いているとは思わなかった」
「嘘をつくな」
そう言って睨む彼の口角が、少し上がったのを見逃さない。
自分は観測者だ。




