じゅらい
「今度の休み、帰ってこい」
スマホを見れば、通知アイコン。大量の着信履歴と、録音されたデータ。うんざりしながら渋々聞いたら、これ。
15セット目、いや、16セット目か。
十数回の着信を1セットとして、一体どれだけの回数か。何にしても、しつこい。しつこいにも、程がある
数セット目の時に着信拒否してみたら、別の番号からかかってきた。
正気か。
登録外からの着信を全て拒絶するか、悩むレベル。
しかしその場合、まず間違いなく両親からかかってくるだろう。
それどころか父方の祖父母、従兄弟たちからも連絡が来るはずだ。
自発的に帰ったという状況が理想だから、わざわざ遠縁の親戚に連絡させていると理解はしている。
それでも、鬱陶しいものは鬱陶しい。
顔も名前も良く覚えちゃいない、いわば見ず知らずに近い高齢男性に偉そうに命令されるのは不愉快だ。
とは言え、粘ったところで仕方ないのも事実。どうあったって帰らなければならない。
もしかしたら、なんて甘い考えは元から無かった。
これは、必然。報い、と言うべき、当然のこと。
そうと知りながらも気が進まない、それだけ。
禁じられると、むしろ、逆に抑えられなくなる。
飲酒だとか、喫煙だとか、不倫だとか。
多分、本能的に誰でも、大なり小なり。人にはそうした天邪鬼的な部分があるのかも知れない。
子どもの頃の自分たちも、例に漏れず。
村の外れには、禁足地でこそ無いが、子どもだけで近付いてはならない場所があった。正確には、ある時期のみ、近付けない場所。
より正しく述べるなら、ある期間、男児が近付いてはならない場所。
期間限定、男児限定禁足地。なんだそりゃ、って話だが実際にそういう場所だからしょうがない。
かつて、山向こうの町から遠足に来て、何も知らずに足を踏み入れてしまった園児らがいたそうだ。全二十一名と引率の大人二名のうち、男児のみが姿を消したという。九人いた男児が、全員。
引率していた大人のうち、一人は男性だったが、無事だった。
うちの村の歴史には、こうした男児のみに起きる神隠しにも似た被害が、何度も何度も出てくる。新聞の地方欄を数十年分遡れば、十分な収穫が得られるだろう。
そんな数多ある事例の一つに、俺は関わってしまっていた。
それが、帰らなければならない理由。
「お前、知らないのかよ? あそこは危ないんだぜ」
当時の自分が本気で信じていたのか、今となっては分からないが、大人たちのようなことを口にした。それは、鮮明に覚えている。
「非科学的だよ」
それに対し、あいつは事もなげに言い返してきた。ハッキリと小馬鹿にしたようなツラで。
「で、でも、お前の親は信じてるんだろ?」
「フリだよ、フリ。村八分にあっちゃたまんないからね」
村八分、か。
確かに、無くはないって思う。祠に祭りに因習に家々に道に、テレビの向こうにある世界との断絶を感じる。閉じられた空気、息苦しさ。
あまり良くない意味で、ここは田舎なのだろう。
遅くとも大学に進学する頃には、村を出て行くつもりだ。戻ってこようとも思わない。
両親も本心は分からないが、兄や俺に家業を継げなんて言わない。
それでも、馬鹿にされると腹がたった。
大体、ここより都会とは言え、単なる一地方都市から来ただけのくせに。
「……なら、お前は行けるんだな?」
コンプレックス、反感。十歳の子どもを動かす力。
挑発するように、言ってはならないことを言ってしまった。
当時は大して深刻に捉えてはいなかったが、いけないことだとは理解していたと思う。
近付いてはならないあの場所に行かせる、その危険性が分からなかったとは思えない。
仮に分かっていなかったとしたら、それはそれでどうしようも無い。どのみち、俺は最低だ。
「行けない理由がないね。山って言ったってさ、麓なわけだし。あれだろ? あの神社の裏のさ」
「そう、神社の裏から左にのびてる道」
止まろうと、したろうか。誰かに止めて欲しかった、気はする。
今はもう、分からない。
あいつが強がっていたのか、それとも本気で信じていなかったのか。
そんなことはなおさら、分かるはずもない。
「確か、祠があるんだっけ?」
「そう、割と大きいからすぐに分かるよ」
「じゃ、今日行こう」
車中、あの日のことを思い返していた。
あいつが消えた日のことを。
祠に向かう背中を見送ったところで、俺は怖くなって逃げ帰った。
家に着くなり部屋にこもって布団を被り、泣いた。恐怖や悔しさに押しつぶされそうになったのだと思う。
夜になって、あいつの親が訪ねて来た時もそうしていた気がする。
「着いたぞ」
親戚の男性が、こちらも見ずに言う。
いつの間にか、車は本家の前。
最寄り駅から車で十分ぐらいとは言え、運転する男は何も話しかけてこなかった。
そこに不満はない。見るからに無愛想なおじさんと話したいとは思わなかったし、色々と思考を整理する時間が出来たので、むしろ助かった。
血が繋がっているらしいが、正直ただの見知らぬ人だ。電話をかけてきた中の誰かなのか、それも分からない。
「……どうも」
「今回は、逃げるなよ?」
答えずに頭だけ下げて、ドアを閉める。
と、同時に車は去っていった。まるで、逃げるように。
その姿が見えなくなるまで待ってから、門の横にあるインターホンに手を伸ばした。
「はじめまして、私、釣首と申します」
ツルクビと名乗ったスーツ姿の男性は、名刺を差し出してきた。
恥ずかしながら、社会人のルールやマナーは分からない。とりあえず両手で受け取って頭を下げる。
「どうも、はじめまして。嶺曽田、あー、離陸です」
今、殆ど足を踏み入れたことの無い、応接間にいる。
この屋敷内で唯一の洋間。家に入るなり両親に通され、こうして釣首さんと、テーブルを挟んで向かい合っている。
名刺に目を向けた。
釣首虚無、中々にインパクトのある名前。人の事は言えないが、そう感じるのは自然だろう。
そして、肩書きのように見届人と記載されている。何を見届けるのか、と考えて思い至った。この状況、応接間。今回のことと無関係なら、その方が驚く。
細かなことまでは分からないものの、今回のあれやこれやを見届けに来たのだと考えて、まず間違いないはず。
「それで、えーと、隣にいるのは……」
釣首氏と、隣に立つ男の子を交互に見る。十中八九、彼の息子だとは思うが、一応確認しておかなくては。
「ああ、すみません。ほら、自分で挨拶しなさい」
「釣首樹来です。樹木の樹に、来日の来で樹来です」
緊張しているのか軽く上擦ってはいるものの、ハキハキと答える少年に好感を抱く。こんなきちんとした子もいるのだから、最近の若者はだとか一括りにせず、ちゃんと見てほしい。なんて、まだまだ自分も若者側なのに考えてしまった。
「樹来君は、小5くらい?」
「いえ、小4になったところです」
狙い通り、少年は少し嬉しそうな表情だ。
実際より上に見られるのは、やっぱり嬉しいよな。若く見られて喜ぶ人の気持ちが、自分には分からない。
それにしても危なかった。
樹来君は話し方こそしっかりしているが、おそらく同年代の子ども達の中では小柄な方。とても小学4年生の男子、には見えない。
まあ、ピッタリ当てたとしても樹来君なら喜んでくれた気はするが、それでも年上に見られる喜びには劣る。
「7月生まれなんです」
息子の頭を撫でながら、釣首氏は言った。
「ジュライ、で樹来君なんですね」
「私としては、せめて読みくらいジュライにしたかったんですけどね。呪いが来る、で呪来に出来れば最高でしたが……。流石に妻に反対されましてね」
「は、はぁ」
こんな返事ともつかぬ声を、返事であるかのように使う時、嫌でも自分が大人になりつつあるのだと知る。
「忌み名、です。神隠しなんかに合わないよう、わざと悪い意味の名を付けるんですよ。うちも古い慣習、因習みたいなものが色濃く残る村だったんでね。まあ、もう過去のことですが」
過去と言ったが、どう考えてもあなたの名前はその古い慣習によるものだろう、と思った。
思ったが、口には出さない。大人仕草、ってやつかも。
「そちらに帰ろうとは?」
「あー、残っていたら、そうしたでしょうね。もう、無いんです。戦で何もかもが失われました」
「戦、ですか」
「ええ」
唐突に飛び出した戦なんて意外な言葉に衝撃を受けたか、見届人とは何なのか聞きそびれてしまった。
全員で夕食をともにした際も、聞けずじまい。
タイミングを逸したというのもあったが、樹来君をはじめとした小中学生たちの相手をさせられていたせいもある。
樹来君以外は近所に住んでいて、遠縁ではあるが親戚だった。何人かは赤ちゃんの時に抱っこしたことすらある。
そんな子供たちの世話。と言ってもゲームをするだけなのだから楽なもんだ。久々に終始優位に立ち回れ、実はかなり楽しかったし。
午後九時頃になり、大人だけの話し合いが終わったらしく、子供らはそれぞれ家に帰っていった。同じ遠縁でも、車でここまで送ってくれたおじさんより親しみを持てるだけに、少し寂しさを感じてしまう。と同時にあの子達からすれば自分は、自分にとってのあのおじさんポジションかも知れないと考えて、モヤモヤした。
……あんなボコらず、接待プレーしておくべきだったか?
あの子達が楽しそうに見えたのは、独り善がりな幻覚なんかじゃないと信じたい。
樹来君は、離へと引っ込んだ。父と二人、今夜はそこに泊まるということだ。
その父は、カバンにカメラだの何だのを詰め込んでいる。
これは色々と話をするチャンスか。
「釣首さんは見届人、なんですよね?」
「そうです。これや、これで、きちんと記録を残しますからね」
いわゆるカメラらしいカメラ以外にも、色々と持ってきたらしい。
見届人。本当に、ただ単に記録するだけなのだろうか。
仮にそれだけの役割だとして、わざわざ釣首氏を招く必要があるだろうか。誰か、適当な人に頼めば済みそうなものを。
両親に聞いておけば良かったか、と今更ながら思う。
その両親は早々に寝室へ。息子がこれから祠に向かうと言うのに、何だか薄情だな。
夏だと言うのに夜風は冷たく、半袖だと少し肌寒い。
日中の最高気温も平地よりは低いが、それでも今日は猛暑日だったと言うのに。
時刻は午後十時半。あと数分もすれば、目的地にたどり着く。
足元をわずかに照らす、ヘッドランプ。その弱い光しか無くとも問題ないくらい、良く知っている道。
危険な場所と呼ぶには、あまりにも身近だ。
あくまでも一人で向かわなければならない為、釣首氏は数十メートル後ろを歩いている。……はず。
と言うのも街灯なんてものが無く、こちらからは全く姿が見えないからだ。
暗視ゴーグルを装着していたし、向こうからは丸見えなんだろうな。
オマケに足音も聞こえてこない。
現時点では釣首氏が、祠や神隠しよりよほど恐ろしいかも知れない。
声をかけたくなるのを、ぐっとこらえる。
何かが、見ているから。
一人じゃないと知られてしまえば、全てが台無しになってしまうから。
理不尽だとか、抵抗する権利なんて無い。
元はと言えば自分が始めたこと。あいつを、あいつだけを向こう側へ行かせてしまったせいだ。
許してもらうには、きちんと成さねばならない。今夜。
いつか遠目に見た祠が、目の前にある。
石で作られた簡素な祠は苔むしていて、ヘッドランプの明かりに引き寄せられたか、何か小さな虫が這い回っていた。
さて、やるべきことをやらなくては。
祈る、それだけ。
目を閉じ、叱責に耐えるように俯いて。
実際、罵倒する声が聞こえる気がした。あいつの親の、あいつ自身の。良く知らない、遠縁の親戚たちの。
勿論、それらは全て幻聴と言うか、妄想に過ぎない。
しかし、うるさいぐらいに聞こえていた虫の声が、いつの間にか消えていた。と言うよりも、何も聞こえない。
風が木の葉を揺らす音さえ、しなかった。
いくら田舎でも、無音なんて有り得ない。静かだからこそ、いわゆる環境音のような普段は意識しないものが耳につく。
釣首氏を呼びたくて、仕方ない。
我慢しなければ、これは儀式なんだ。必死に言い聞かせて、こらえる。
しかし、嫌な汗が背中を流れ落ちた瞬間、糸が切れた。
それでも、声は出さない。ゆっくり、薄目を開ける。
ぼやけて見えてきたのは、祠。ただし毒々しさすら感じる、鮮やかな朱色の。
感覚と言うものの凄さを実感する。瞬時に、自分が向こう側へと来てしまったことが理解出来た。
「成人したのに、何で……」
けばけばしい極彩色の世界に居ながら、何も認識出来なかった。視界に収まり、情報として流れ込むばかり。頭は別のことで手一杯だったからだ。
子供、それも男児のみが連れて行かれるはず。
成人男性である自分が、何故こんなことになるのか分からない。
十八歳を過ぎ、……十八。
なるほど、そういうことか。
「二十歳に線があるってことね!」
大げさに、叫ぶように、独り言を言ったのは。
ずっと聞こえていた何かの音が、規則的なそれがぱたりとやんだから。
その音が、背後から聞こえていたから。
自分を抱きしめようとする手が見えたか、見えなかったか。
男は祠に背を向け、カメラをバッグに入れた。
彼は身震いした。
覗き見すると言うことは、下手すれば向こうからも見られると言うこと。そんなことは見届人ならば、誰でも知っている。覚悟している。
それにしても、あれは。明らかにこちらを見て、微笑んでいた。
息子のことが、気がかりだ。考えてみれば、タイミングがあまりにもピッタリ過ぎる。
戦も、何もかも。
彼は走る。
離で眠るはずの子の、寝顔を見る為に。




