小林彰人⑪
完全に光を失った後も、僕が自分の目で最後に見たユミの姿は、褪せることなく輝き続けていた。辛いときも苦しいときも、そんなユミの姿に励まされながら、僕は視覚以外の全感覚を強化して、無事に盲学校を卒業した。
そして、20歳を迎えた僕は、当初のスケジュール通り、ルシワナ連邦という国へ行き、さらなる治療を受けることになった。だけどその頃から、「手足のしびれ」という新たな症状が出始める……。
いつか親父が言っていた、「お前の病気なんだが、どうも視力が無くなるだけじゃないらしい」……という言葉が、脳裏を過ぎった。ハルカさんが「ゲノム編集された人はね、副作用のせいで、長くても二十代で死んでしまうんだって」……と言っていたことも。
きっと、僕に残された時間は、そう長くないのだろう。せめて、前世の僕がユミと出会うまでは生きたいのだけど……。そうすればきっと、ユミのその後を「前世の僕の記憶」として知ることができる。
……そういえば。完全に失明してから、時々僕は不思議な感覚にとらわれるようになっていた。頭の中に、まるで自分がそこへ行って歩いているかのような、鮮明な映像が浮かぶのだ。恐らく、これも前世の僕の記憶なのだろうけど、記憶を取り戻しているというよりは、「身体を共有している」ような感覚に近かった。
……いや、どうなんだ? 僕は今まで「記憶を取り戻している」と思っていたけれど、実際は「脳を共有している」という表現のほうが正しいんじゃないのか? つまり、僕ともう一人の僕の脳内が何らかの形でリンクしていて、もう一人の僕が見たり感じたりした情報が、僕の脳へも流れ込んできている……ということだ。
そう考えれば、「その歳が近づかないと前世を鮮明に思い出せない」のだって、当たり前に説明できる。もう一人の僕がこの時間軸でまだ経験していないことは、僕にも情報が流れてこないのだから。
実際は、ずっと先で出会うハズのユミの顔を覚えていたり、中学の時に高校の学習内容が分かっていたりしたので、多少の記憶は予め持っているのかもしれない。でも、「記憶が鮮明になった」と感じていた現象は、「情報の流れ込み」によるものだった可能性が高い。
そして、失明してからはこの「情報の流れ込み」らしき現象が、明らかに強化されている。以前と比べても、臨場感の倍増が甚だしい。ただ座っているだけなのに、どこかの大学で講義を受けている映像や、町中を歩いている映像が、次々と頭に浮かんだ。
手足のしびれが激しくなって自力で動けなくなってからも、まるで家で映画でも見ているかのような感覚で、もう一人の僕が見聞きしているであろう情報を共有することができた。
そして、25歳になった頃……。ついにもう一人の僕は、ユミと再会した。正確に言うと、ユミ自身ではなく「ユミの音楽」と。
ルシワナにいた僕は全く知らなかったけれど、ユミは日本で演奏家としてデビューし、CDのリリースや演奏活動を始めていたようだ。ユミの吹くトランペットの音は、昔美術準備室で聴いていたあの頃の面影をそのままに、より洗練され、より力強く成長していた。久しぶりに聴く研ぎ澄まされたソナタに、自然と涙がこぼれ落ちる。
そうだ、僕はこの美しく澄んだ音に心打たれて、そんな演奏をする彼女にどんどん惹かれていったんだ……。生まれ変わっても、そこは決して変わらなかった。何度でも僕は、君を好きになるに違いない。
肝心の治療の方は、全く上手く行っていなかった。言葉の壁もあり、僕自身、自分にどんな治療が施されているのかぜんぜん分からない。単に、「ゲノム編集」の影響を調査されているだけのような気もした。
僕はきっと、日本から遠く離れたこの地で、実験動物として死にゆく運命にあるのだろう。治療などというのは建前にすぎず、初めから僕を治すつもりなんて……無かったんじゃないだろうか。
……そう諦めかけていた矢先。転機は、突然訪れた。
僕と同じような症状でルシワナに来た日本人がいて、その人に施された治療が絶大な効果を見せたというのだ。僕は親父に連れられて、早速その女性と会うことになった。
「こんにちは、初めまして。小林彰人さんですか?」
どこかの病院の病室に案内された僕は、まず彼女と二人で話すことになった。彼女の要望で、親父には席を外してもらっている。
……それにしても。今し方聞いた彼女の声に、僕は何か既視感を覚えた。いや、既聴感というべきか。こんな声を、いつかどこかで聞いた記憶があるのだ。一体どこで……と考えて、思い当たった。
女性の名前は明かされていなかったけれど、この声は……ハルカさんだ。でも、ハルカさんなら僕に気付くはずだし、そもそもゲノム編集なんかされて……いや、そうか。ともすればこの人は……
「もしかして、ハルカさんのお姉さん……ですか?」
ハルカさんは、自分が対照実験体で、姉にゲノム編集が施されている……と言っていた。その台詞から推察した答えを、ぶつけてみる。
「ハルカのこと、知ってるの?」
当惑のこもった声が、返ってきた。……推察が、確信へと変わる。
「はい。高校生の時のクラスメイトでした」
「もしかして、ハルカから詳しく聞いてたりする?」
「……はい。僕が『ゲノム編集』という技術の実験台だと聞いてます」
「あんなに口止めしたのに、あの子ったら……」
子どもを叱るような口調で、彼女は呟いた。そういえば僕も、「誰にも言わない」約束をハルカさんとしていたっけ……。もう後の祭りだけど、ハルカさんの姉みたいだし、たぶんセーフ……だよな?
「とにかく、ハルカの話は全部本当。君には、ゲノム編集で本来無い遺伝子を組み込んである。今の症状は、その副作用ってわけ。で、君はもう気付いてるみたいだけど、私にもそのゲノム編集がされてた」
「……されてた、ってことは、今は……?」
「今は、その遺伝子を引き抜いてある。実は私、『ゲノム編集で組み込まれた遺伝子を引き抜く方法』を開発したの。それを使えば、君もかなりの確率で副作用から解放される」
……この人自身が開発したのか? そういえばハルカさんは、「姉さんは知能指数を上げるゲノム編集をされている」と言ってたな。
「その方法を、僕にも試してください……」
「うん、そのつもりでここに呼んだの。ただ、リスクもある。この方法はまだ私自身でしか試してないから、安全性が確立しきれてないこと。それと、もちろんゲノム編集がリセットされるわけだから、ゲノム編集で与えられた能力はなくなってしまう。……それでもいい?」
「どうせこのまま何もしなければ僕は死ぬんですし、ゲノム編集で与えられた能力に未練なんてありません。……是非お願いします」
「……分かった」
もう、ユミの絵は描き上げたんだ。僕に絵を描く能力はいらない。いや、もし必要になったら、今度は「自分の努力」で身につけてやる。こんな反則技にすがりつくほど、僕は哀れじゃない。
こうして僕は、ハルカのお姉さんが開発した、「ゲノム編集で組み込まれた遺伝子を引き抜く治療」を受けた。ただし、この治療を受けても生殖細胞に組み込まれた遺伝子は取り除けないので、子作りは諦めた方がいいと言われた。幸い、僕に子作りの予定は無いし、症状が改善してもユミと結婚するつもりもない。僕の目的は、ユミが幸せになるまでユミを見守り続けること、それだけだ。
この治療を開始すると、今まで何をしてたんだろうと呆れるくらいに、みるみる症状が改善していった。視力も徐々に回復し、手足のしびれも消失した。同時に、今まで何の苦も無く出来ていた、「対象の位置や立体感、光の当たり具合や質感など」を絵として表現することは、ほとんど全くできなくなった。ユミと一緒に絵を描いた日々が頭に浮かび、少しだけ……切なくなる。
絵を描く能力を失い、何の取り柄もなくなった僕を、ユミが好きになることはないだろう。ユミは僕でも平井でもない誰かと結ばれ、ステキな子どもを産み、幸せな家庭を築くのだ。
そのまま、二年半ほどルシワナで治療を続けた僕は、症状がほぼ寛解したということで、日本への帰国を許された。
……しかしここで、僕は恐ろしい記憶を蘇らせてしまう。いや、現に今、もう一人の僕が直面している事実だ。
……もう一人の僕は、ようやくユミ本人と出会った。やっぱりユミは、平井と結ばれていた。……そして塚原さんの予想通り、彼女は日々DVを受け、体は傷だらけになっていた。
……あんなに綺麗だったユミの体を。あんなに大切に育てられてきたユミを。……あいつは、台無しにしたんだ。
僕の怒りは頂点に達し、帰国すると同時にユミのもとを目指した。もう一人の僕が流してくれた情報のお陰で、ユミの住んでいる町は大体分かる。そして、そっと目を瞑ると、現在……もう一人の僕とユミが何をしているのか、その情景が見えてくる。
もう一人の僕は今、大きなマスクで顔を隠したユミと、レストランで話をしていた。確かこの後、何か重大な事件があったんだ。そうだ、僕はその事件に巻き込まれて……!!
……思い出した。僕は、そこで一度目の人生を終えたんだ。その場所は、今もう一人の僕が歩いている通りの近く……!!
「ユミは……ユミはどこにいるっ!?」
途中で、もう一人の僕とバッタリ出会った。大声でそう尋ねるも、何も返してくれない。そりゃそうか、突然自分と瓜二つの人間が目の間に現れたら、驚くよな。でも、今は説明してる時間なんてない。
僕は走りながらスマホを取り出し、警察へ連絡を入れた。きっとまた、歴史は繰り返される。あの時と同じ場所で、事件は起きる。
僕がいたということは、すぐ近くにユミだっているハズだ。待ってろよ、ユミ……!! 今度こそ、君を助けてやるからな……!!




