小林彰人⑩
僕は、人間のバージョンアップを図っている裏組織の実験によって生み出された、改造人間だった……。そんな、B級SF映画の設定みたいな話をハルカさんにされ、困惑する僕……。
これは、ハルカさんから話を聞いた後に分かったことなのだけど、僕たちはやはり双子で、産まれたときに両親が離婚。それぞれの親が、一人ずつ子を引き取っていた。僕の場合、母が実親で、父は再婚相手だ。だから、前世の僕は父が実親、母が再婚相手だったのだろう。これで、僕がゲノム編集の被験者だとほぼ確定した。
この時点で、ユミの恋人になるという選択肢は完全になくなった。さすがに、人工的に遺伝子をいじられた影響で二十代までしか生きられないと言われた僕が、ユミを幸せにできるとは思えない。……そしてこんなこと、ユミには説明できない。ハルカさんから口止めされてるのはもちろん、話してもユミは理解できないだろう。
じゃあ、僕には結局、何もできないのだろうか。そう考えたとき、一つの希望が脳裏に浮かんだ。それは、この世界のどこかにいる、もう一人の僕の存在。彼は僕の対照実験体だから、ゲノム編集はされてないはずだ。彼なら、ユミをちゃんと幸せへ導けるかもしれない。
……しかしその実、僕ももう一人の僕も、一つの意識で動いている。意識というのがどんな仕組みで発動してるのか分からないけど、僕は一つの意識で二人の人間を、時間差で行動させているのだ。なんとも理解しがたい話であるが、これも実験と関係あるのだろうか。
よって、それが事実であるならば、もう一人の僕は、前世で僕が行動させた通りにしか動かない。つまり、今の僕に「前世の自分とコンタクトを取った」という記憶が無い以上、どんなに手を尽くしても「もう一人の僕」とは会えないということだ。
……まったく、頭がどうにかなってしまう。いずれにせよ、前世で高校時代のユミの記憶もないのだから、もう一人の僕とユミが高校時代に会うことだって、何らかの理由でできないのだろう。すると、前世の僕がユミと自然に出会うまで、待つしかないことになる。しかし、恐らくユミは、前世の僕と出会う前に平井と結ばれてしまう……。これでは、なんの解決にもならない……。
……というか、この世界がパラレルワールドでない以上、そもそも最初から解決なんて出来ないのかもしれない。ユミを幸せにするために人生を繰り返している、その考え自体が間違いなのだから。
結局僕は、無力ということだ。できるとすれば、こうして同じ高校にいる間だけでも、全力でユミを楽しませてあげること。……それしかない。残された時間はわずかだけど、最後までユミを……
「……彰人、ちょっといいか。大切な話がある」
……そう思っていた矢先、僕は父親から衝撃的な話を告げられた。
「……お前の病気なんだが、どうも視力が無くなるだけじゃないらしい。しかも、治療は日本ではできないそうだ……。とりあえず、一旦専門機関がある県に引っ越して、20歳を目処に……ルシワナという国へ治療に行く……というスケジュールを、今日主治医から提案された。もちろんお前次第なんだが、……どうする?」
どうする? ……なんて聞かれても、困る。まさか、海外へ飛ばす計画まであるとは……。この症状が病気なんかじゃなくてゲノム編集の副作用だってこと、親父は知っているのか? ……これもきっと、治療じゃなくて実験だ。どこに行ったって、どうせ僕は助からない。
「勝手にすればいいじゃん。ルシワナ? どこそこ。別に僕は、行きたいとも行きたくないとも思わないよ」
ほとんどヤケクソになって、僕はそう返した。父は、黙っていた。
結局僕は、父から話されたスケジュールで治療することになった。治療の方針や医療機関を選択する関係で、様々な検査が立て続けに入り、なかなか学校へも行けなくなる。……ユミとは、お別れの会話も出来ないまま、突然会えなくなってしまった。
3月上旬は一度も学校へ行けず、次に行ったときはもう、春休みに突入していた。目的は、準備室を片付ける……ただそれだけだった。
職員室へ行き、先生から鍵を借りて準備室を開ける。中にあるのは、僕が一年間ユミと一緒に描いてきた、十数枚の絵……。色々な思い出が脳内を駆け巡り、自然と涙がこぼれ落ちた。
ユミとはもう、会えないのだろう。……少なくとも、目が見えている内には。ユミの笑顔も、ここにある絵も、何もかも……。僕にはもう、認識できなくなる。……何の意味もないんだ、こんな絵。
……そうか。僕にとって何の意味も無くなったこの絵で、最後の作品を創ろう。失明していく恐怖を、僕を改造した奴らに知らしめるんだ。……ふと、そう思った。綺麗な花、美しい鳥、壮大な風景……。これらが全て、闇に消えていく。もう、もとには戻らない。
僕は引き出しから黒のペンキを取り出し、刷毛を突っ込んだ。真っ黒なペンキを滴らせた刷毛を、作品へ叩き付けてゆく。かつて見えていた風景とのギャップが分かるように、あえて部分的に塗り残しを作りながら、それでもためらうことなくぐちゃぐちゃに塗りつぶしていった。どうだ、これが……失明するということだ。思い知れ、神の出来損ないどもがっ……!!
『……これだけ才能があったら、画家でも美術の先生でも、何でもなれるんじゃない?』
『ふぅーん……。これ全部、君が描いたの? 上手だね。……凄く』
『君の描く絵が人間離れしてるってユミに言われて、あたしも覗きにいったんだけど、確かに凄かった』
……そうやってみんなが褒めてくれた絵は、全て……闇に消えた。ピンポールから覗いたように狭い視野しかない僕の目の前にあるのは、真っ黒な何か……それだけだった。でも、僕の心は達成感で満ち溢れていた。そう、これは終わりじゃない。僕の新しい一歩なのだ。
全ての絵を黒塗りにした僕は、美術準備室を出た。……いや、正確に言うと、一枚だけ……黒塗りにしなかった絵がある。ユミの絵だ。
あの眩しいほどに輝くユミの笑顔だけは、たとえ失明しても消えることはないだろう。……そう思った。むしろ、消しちゃいけない。ユミは、僕の中で一生輝き続けるんだ……。
外は、小春日和のいい天気だった。桜もチラホラと咲き始め、下草も芽吹き出していた。……僕は、中庭へ向かった。
中庭の真ん中には、小さな噴水がある。それを囲むようにベンチが4つ配置されていて、噴水の両脇には大きなモミの木が2本、植わっていた。僕は、このモミの木が大好きだった。理由は自分でもよく分からない。冬になっても青々と葉を湛えているモミの木が、毎日を強かに生きているユミと重なって見えていたからかもしれない。
僕は、モミの木の根元に膝を抱えて座り、そこから梢を見上げた。幾重にも重なった葉から差す木漏れ日が、眩しかった。……あのペンキが乾くまで、春の陽気にうつつを抜かすとするか。僕は、そっと目を閉じた。するとしばらくして……
「こ……ハァ……こばハァハァハァ……こばやハァ……しハァ……」
静寂を破るようなけたたましい声が、僕の耳に飛び込んできた。
「心配……ハァ……したんだよ……ハァハァ……」
ゆっくり顔を上げると――。そこには、ユミが……いた。
……信じられなかった。夢じゃないかと疑ったし、見間違いじゃないかと精一杯目を凝らせた。……だけど、そこにいるのは正真正銘、ユミだった。ユミの姿を見て、こんなにほっとしたことはない。もう一度だけ、最後にもう一度だけ会いたいって、ずっとそう願い続けていたからだと思う。会いたくてたまらなかったからだと思う。
「ユ……ユミ……? ひ……久しぶりだな。ごめん、何も言えなくて。突然色々予定が入っちゃってさ。言うタイミングがなかったんだ」
「よか……った、まだ……見えてるんだ……」
中腰で息を整えながら、ユミは言った。僕を探して走り回っていたのかもしれない。しかも、脇にはなにか大きな白い板を抱えている。あろうことかそれは、あの「ユミの絵」だった。
ユミは、美術準備室へ行ってしまったのだ。その事実を知って、激しく後悔する僕。どんな理由にしろ、ユミがあの惨状を見たら悲しむに決まっている。悲しむユミを、僕は見たくなかった。
「……なんで、あんなこと……。酷い……よ……。私、あの絵……どれも大好きだったのに……」
「アレは僕の新しい作品。視力を失って闇に埋もれて行く世界を、自分の絵を使って表現してみたんだ。つまり、僕の第一歩ってこと」
何とかユミを笑顔にさせたくて、僕は苦しんでない、だから大丈夫……そんなアピールを必死にした。でも、ユミは笑ってくれなかった。
「じゃあ……、コレはどうして……このままなの?」
「それはユミにあげると約束していたから、勝手に手を加えるのはマズイかな……って思って。……それに、失明してもユミの顔だけは……闇に埋もれない気がしたんだ」
そう言って笑いかけると、ユミの大きな瞳がみるみる潤んできて……。あっという間に、どっと涙が溢れ出してきてしまった。
「お……おい、そんなにガチで泣くなって。……ってか、なんでユミが泣くの? 失明して悲しいのは、僕じゃん?」
「そうだけど……そうだけどっ……!!」
「ハハッ、やっぱカワイイよ、ユミは。ソレ、完成させてやるから僕に貸して。約束だったもんね。あ、服着ててもいいよ、ユミは特別。そこのモミの木の前に、後ろで手を組んで寄りかかって」
もう、ユミを笑顔にさせるにはその絵を完成させるしかないか……そう思った僕は、ユミからキャンバスを取り上げると、ユミの背中を押してモミの木の根元へ向かわせた。今のユミなら、服を着ていても抵抗なく描けるような気がした。
「……私、小林君になんにもしてあげられないのに、なんにも出来なかったのに、何で私の絵なんか……描いてくれるの……?」
「ユミと過ごした毎日は、僕の宝物だ。何もしてないなんてこと、ないよ」
「でも、だって私、服……着てるのに……? 人工的なものを描くのは、嫌なんじゃないの……?」
「もういいんだ、それは。ユミは別に……服着てても綺麗だしね」
僕はこれ以上、ユミを苦しませたくなかった。僕が最後に見るユミは、笑顔であって欲しかった。だから、無理に服なんて脱いで欲しくない。……これが、僕の今の本心だった。
「……脱げるもん」
それなのに、今日のユミは頑なだった。本当に、やせ我慢して欲しくないんだ。ユミに辛い思いをして欲しくないんだ。……そう目で訴えかけながら、ユミを説得しようとする僕。
「い……いや、無理しなくていいよ……!! 気持ちは有り難いけど、ここ……外だし……。もし誰かに見つかったら……」
「さっき校庭を走り回ってきたけど、誰もいなかったよ。ここなんて中庭だし、絶対誰も来ないもん!」
「いやいやいや、それでも……」
「うるさいなぁ、服なんか着てたら、小林君の絵は生きないでしょっ!! あのシクラメンの花の絵、本物よりも好きだった。何でだと思う? 絵は、鉢植えじゃなかったからだよっ!!」
ユミはそう言い残して、モミの木の後ろへ隠れてしまった。……まずい、ユミを止めさせなきゃ。もし途中で誰か来てしまったら、ユミはきっと、心に一生ものの深い傷を負ってしまうことになる。そう頭ではわかっているのに、ただただオロオロすることしかできなくて、そんな自分がたまらなく情けなかった。そして……
「こんな私でいいんだったら、どうぞ好きなだけ見てくださいっ!!」
一糸まとわぬ姿で。ユミは……僕の目の前に、現れた。
僕は……。直前までの狼狽がウソだったかのように、呆然となってユミに見とれた。何時間でも見ていられると思えるくらいに、ユミの姿は美しくて。無償の愛を注がれて、大切に育てられてきたのだろう。すぐに、僕の手がうずき始めた。描かずにはいられない。
筆を握ると、止めようと思っても止まらないくらい、考える間もなく動いた。瞬く間に、ユミの姿がキャンバスへ浮かび上がってゆく。美しく白い肌、その白と対比するように黒く艶やかな髪、内股に閉じられた華奢な足、可愛らしく膨らんだ胸、そして、淡い青春を体現したかような切ない表情……。余すことなく目に焼き付けた。僕に出来ることはもう、全身全霊でユミの絵を完成させる以外にないのだ。
ユミの全てを見ることが出来た今、これ以上に見たいものなんてこの世に存在しない。失明しても、何も悔やむことはないだろう。このユミの姿が闇に埋もれてしまうことなんて、決して無いのだから。
「……ありがとう。あと、お疲れ様。もう、服着ていいよ」
本当は、まだまだずっと見ていたかったけれど。いつ誰が来るかも分からないし、ユミの負担にもなるだろうから、早めに切り上げた。時間にして、わずかに40分くらいだったと思う。その間に僕は、ユミの全てを目に焼き付けた。この続きはもう、ユミがいなくても描ける。
「実は、まだ完成してないんだ。仕上げはウチでやろうと思う。出来たら、ユミの家に送るから、住所……教えてくれないかな?」
再び服を身につけたユミから住所を教えてもらい、完成した絵を送ることにした。……恐らくこれで、この人生でのユミとの日々は終わりを告げるのだろう。だけど、ユミと「小林彰人」との出会いは、この先もう一度訪れるはずだ。
「もう……ここには来ないの……?」
「明日から引っ越しだからね。準備室も、親父と今日中に片付ける」
「……じゃあ……もう会えないのかな……?」
寂しそうに呟くユミに向かって、僕は笑顔で返した。
「会えるよ、ユミがトランペットを辞めなければ、必ず。ただ、その時は僕……、この一年のこと、何も覚えてないかもしれないけど」
……というより、今度君の前に現れるのは対照実験体の方の、正常な小林彰人だ。どんな出会い方をするのかはまだ思い出せていないけど、出会いの切っ掛けはきっと、トランペットだと思う。
「またいつか。僕を見かけたら、声をかけてね」
最後にそうお願いをして、僕は……ユミの前から立ち去った。君のお陰で、本当にステキな毎日を過ごすことができたよ。ありがとう。……そう、心の中で呟いた。
その日の夜。僕は、ユミの絵を描き上げた。大きなモミの木の前で、生まれたままの姿の少女が、足下に咲くタンポポをなんとも言えない繊細な表情で見つめている……。間違いなく、僕が今までに描いた絵の中で、一番素晴らしい出来だった。
僕は、簡単な手紙を同梱し、丁寧に包装して、その絵をユミの家に送った。……そしてその翌日。僕は完全に、失明した。




