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小比賀由美⑦

 吹奏楽部を辞めてしまい、行く当てのなくなった私は、小林君のいる美術準備室へ身を寄せた。部活を辞めたって言ったら、彼はとても驚いたけど……、あれこれ聞いたりすることもなく、そっと私を受け入れてくれた。……きっと、私を気遣ってくれたんだと思う。


「……絵って、いいよね。自分のペースで描けるし、誰にも邪魔されないし、失敗しても怒られないし……。私も、音楽じゃなくて絵を描けるようになりたいな。……私にも、描けると思う?」

「うん……。というか、絵に正解も不正解もないから。ユミにはユミの、僕とは違った良さのある絵が絶対に描ける」

「あはは、『絵が下手』を最高に気ぃ使って言うと、そうなるんだ! でも確かに、小林君の言う通りかもね。私にとっては、ゴッホよりもピカソよりも、小林君の絵の方がステキだもん」


 自由の身になった私は、有り余る放課後の全てを美術準備室へぶつけていた。そんな間に定期演奏会も終わり、塚原先輩は吹奏楽部を去ったみたい。……今トランペットパートにいるのは、平井先輩だけってこと。二人っきりになるの、あんなに待ち遠しかったのにな……。


「……なぁ、ユミ」


 いつの間にか夏も過ぎ、もの寂しい季節がやってきていた。小林君はさっきからずっと、私じゃなくて窓から見える大きな木を、頬杖をついて眺めている。何やら哀愁を感じる表情で……。


「吹奏楽部を辞めたのは、しょうがなかったと思う。ユミにも色々あったんだろうし、今更僕が口出しても意味も価値もない。だけど」


 美術準備室の窓から見える大きな木はモミの木なので、紅葉もしなければ葉も落ちない。そんな、ある意味季節感のかけらもない大木をじっと見つめながら、小林君は続けた。


「……トランペットは、辞めないでくれないか?」


 その瞬間、窓から……冷たい風が、どっと吹き込んできた気がした。


「あ……あはは、今更何? 私のトランペットなんて、何の価値もないよ。音楽はもういいの。……一生分、吹いたから」

「……そんなわけ、ないだろ? 僕だってまだ、一生分の絵は描けてない。どんなに描いても、足りない気がする。ユミだって、まだまだ吹き足りないだろ、トランペット……」

「やめてよ……。それに、小林君にはずっと絵を描いてて欲しい。今一生分描く必要なんて、ないじゃん……」

「……その言葉、そのままユミに返したい。僕だって、ユミにはずっと……トランペット吹いてて欲しいんだ。ユミがトランペット吹かないなんて、悲しすぎるんだよ……」


 ……すぐには、言葉が出てこなかった。


 無くしたと思ってたマウスピースは、あの後あっさりカバンから出てきた。でも、だからといって、もう一度トランペットを吹きたいとは思えなかった。なんでコンクール当日に見つからなかったのかも、分からない。音楽を、神様に反対されてるような気がした。


「な……なんか寒いね、この部屋!! コンポタでも買ってこようかなー!! ついでに小林君のも買ってきたげる!! 何がいい?」

「……えっ? じゃあ、えっと……、ユミと同じ、コンポタで」


 完全に誤魔化すつもりで、私は変に明るく言った。小林君からお金を受け取って、美術準備室を出る。……動揺して、何も言えなかった。何も出てこなかった。あんなこと言われたら、こっちも悲しくなっちゃうじゃない……。本当は、私だって……。


 体育館の横にある自販機で、コンポタを2本買った。そういえば、小林君っていっつも私と同じものを選ぶ。この間、帰る途中でコンビニ寄ったときも、私がどら焼き買ったら小林君もどら焼き買ってたし。選ぶのがめんどくさいんかなぁ? ……なんて、そんなどうでもいいことを考えながら、来た道を引き返す私。


「お・ま・た・せ! あったかいうちにどうぞ!」


 部屋に戻ると。小林君は新しい絵を描き始めていた。そんな彼の頬へコンポタの缶を「ぺとっ」とつけながら、私は言った。小林君は微笑みながら「ありがと」と返して、コンポタを受け取った。


「あのさ。例えば……だけど。何か、私に吹いてほしい曲ってあるの?」


 コンポタの蓋を「ぷしっ」と開けながら、私はなるべく前向きに聞いてみた。さっきの会話、途切れたままじゃ悪い気がして……。


「んー……。『いつも片目を開けて眠るよく肥った猿の王様を目覚めさせる為のファンファーレ』……とかかな」

「……んえっ!? なにそれ!? そんな曲あるの? ホントの曲?」

「うん。ホントの曲。まだまだ、ユミの知らない素敵な曲は、たくさんあると思うよ。……ユミの一生をかけても、吹き切らないくらい」

「そうかも……しれないね」


 ……小林君に、一本取られたような気がした。


 だけど結局、その後も私が吹奏楽部へ戻ることはなかった。そうしているうちにどんどんと季節は巡り、あの暑い夏が嘘だったかのように凍える日々がやってきた。このサイクルを繰り返すのは16回目のはずなのに、毎年「こんな暑かったっけ!? こんな寒かったっけ!?」と性懲りもなく思い続ける私は、ただの馬鹿なのかもしれない。


 美術準備室には毎日のように通い、色んな話をした。……時には恋バナも。実は私、未だに平井先輩のこと引きずってて……。でも、小林君に告白されたら吹っ切ろうって思ってた。結局、告白なんてされなかったけどね。唯一の取り柄だったトランペットも失って、微妙な可愛さくらいしか残ってない私に、告白なんてするわけないか……。


「冬休みも、小林君は学校に来るの?」


 そして、二学期の終業式の日……。いつも通り私は、学校が終わると準備室へ向かった。もちろん、小林君と一緒に。


「んー……、微妙……。僕、実は寒いのが苦手で……。休み中は暖房が効かないから、家にこもるかも」

「なんだぁー、そっか。ちょっと残念……。まぁいっか、冬休み短いしね。年末くらいは家族と過ごそー。年明け、またよろしくね!」

「そのこと……なんだけど」


 年が明ける前に年明けなんて気が早いかな、なんて、私は適当に笑いながら、特に深くも考えないでそう言った。すると小林君は――


「……実は僕、今年度いっぱいで、転校することになったんだ」


 ――突然、とんでもないことを告白してきたんだ。


「またまたぁー、急にどしたん? 芸大にでも飛び級するつもり?」

「ごめん、冗談とかじゃない。ずっと黙ってたんだけど、僕……」


 小林君はそっと目を瞑って、その目に人差し指を当てた。


「……近いうちに、失明するんだ」


 ……言葉が、出なかった。ガーンって、頭にタライが振ってきたような衝撃に襲われた。ショックすぎて、ショックすぎて。呆然と、私は……ただただ凍りつくしかなかった。


「2年生から、盲学校に通うことになってさ。今も……だいぶ視野が狭くなってるんだよ。正直、あんまり見えてないんだ。これは遺伝的な病気らしくて、治療法はないんだって」


 こんなに……残酷な話が……他にあるだろうか……。彼は、絵が……絵を描くことが何よりも好きで、ずっと一生懸命描いてきたっていうのに……。まさか、失明……だなんて。


「……しょうがないんだ、しょうがない。運命だから、これは。だから僕は、一生分の絵を失明する前に描いてしまおうと思って、今までがむしゃらになってたんだ。だけど、残された時間はもう……」

「……そんな、うそでしょ!? ヤメテよ、ウソって言って!! まだ……まだ、私の絵だって完成してないじゃん!! まさか、忘れてないよね!? ねぇ、約束したの、ちゃんと覚えてるよね!?」


 我慢できなくなって、思わずそう叫んでしまった。小林君が描いてくれるまで、黙ってるつもりだったのに……。というか、この期に及んで絵の心配する私って、なんなの? 最低じゃん。……でも、私だって楽しみだったんだよ。ずっと、楽しみに待ってたんだよ!?


「……ごめん。その絵はもう……完成しない。本当にごめん」

「そんな……。じゃあ、今すぐ描いてよ!! まだ見えてるんでしょ!?」

「……ごめん、描けない」

「なんで……? どうして……?」

「見たことがないから」


 見たことがないから、描けない。その言葉の意味が分からなくて、私は沈黙してしまった。……見たことないもなにも、いままでずっとすぐ隣にいたじゃん、私。……今もいるじゃん。どういう……コト?


「花は……綺麗だ。花そのものが。デコレーションしたり、切って刺したりしなくても、むしろそうしない方が綺麗だ。鳥も、美しいと思う。自然の美だ。自然が作り出したものは、みんな素晴らしい。人の思考なんて、邪魔なだけなんだ。だから僕は、人も美しいと思う」


 いつものように準備室の窓から外を眺めながら、小林君は、続けた。


「……服なんて、着ていない方が」


 その台詞が、私の中で何度もこだまする……。そういうこと……か。小林君が見たことないって言ったのは、「裸の私」……だったんだ。


「僕は、本当に美しいものしか描きたくないんだ。人が作ったものなんて……全部邪魔だ。描きたくないし、描けない。自然の美に、人が敵うはずがない。人は、汚いものしか作れない……!」


 珍しく、感情的な口調で彼は言った。確かに、彼の作品には……人工的なものが一切描かれていなかった。いつか描いていたシクラメンも鉢植えなのに、彼の絵には鉢が描かれてない。実物よりも好き……いつも私がそう思ってたのは、小林君の絵の方が、花そのものの自然な姿を映し出していたからなのかもしれない。


「自然は、自然のままがいいんだ。手を加えたりしちゃいけない。人は、自然にあらがいすぎなんだ……」


 小林君はそう言った。だから彼は、私の絵も……ここで筆が止ってしまったんだ。服を着ている私は……美しくないから。


「ごめんな、ユミ……。約束したけど、僕にその続きは描けない。もう、間に合わないんだ。僕は、ユミのことが好きだ。仲良くなって、いつかちゃんとお付き合いして、将来ユミが僕に……美しい姿を見せてくれたとき、その時に僕は、続きを描こうと思ってた。……だけどもう、そんな時間は残って無い。本当にごめん」

「そん……な……」


 心が混沌として、整理がつかない。こんなタイミングで「好き」なんて、言わないでよ……。好きなら好きって、もっと早く言ってくれれば……よかったのに……。遅いよ、もう……。

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