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小林彰人⑦

「……あれ? 黄色どこやったっけ? 黄色黄色……」


 お昼休みはいつも、美術準備室で弁当を食べながら絵を描いていた。週に2~3回は、小比賀も顔を出してくれる。それがたまらなく嬉しかった僕は、彼女が喜んでくれそうな絵ばかりを率先して描いた。


「……あった。こんなところに……」


 近くの椅子の上に置いてあった、黄色の絵の具のチューブを取り上げ、小さくため息を吐く……。こんなに近くにあるのに、今日もなかなか見つけられなかった。


 中学の終わりごろから悩まされるようになった、謎の視力障害……。自分では気づかないくらいの速度で、だんだんと……視野が狭くなってきているらしい。最初は僕も気にならない程度だったから、そんなに深刻には考えていなかった。でも、近頃症状が重くなってきているような気がして、先日僕は、眼科を受診していた。


「……少し、見えなくなるスピードが加速しているようです。このままいくと、もしかしたらあと一年程で……失明するかもしれません」


 ……それは、この先もずっと絵を描き続けられると信じていた僕にとって、あまりにも残酷な運命だった。僕にはこれしかないのに、絵しかないのに、あと一年で失明……? 冗談じゃない。


 神がいるとしたら、なぜこんなに惨いことをするのだろう。この能力だって、あなたが授けてくれたんじゃないんですか? 何も見えなくなった世界で、僕に何を描けっていうんだ……?


 先週から描き始めたシクラメンの絵を、僕は見つめた。だいぶ完成が近づき、あとは細かいところを仕上げるだけのその絵の前で、そっと目を瞑ってみる。……目の前から一瞬でシクラメンの花が消え、真っ暗な闇が広がった。……これが、一年後の僕の視界。


 こんなハンデを抱えながら、果たして僕は小比賀を幸せな人生へと導けるのだろうか……。全く自信が持てなかった。


 少なくとも、僕の視力がなくなる前に、小比賀が悲惨な人生を歩んでしまうことになる原因を思い出したい。しかし、前にも話した通り、前世の記憶は「その時の歳」が近づいてこないと鮮明には蘇らないのだ。今蘇ってきている記憶は「前世の高校時代」のものばかりで、そこにはヒントらしいヒントが何もなかった。


 はっきりしているのは、「前世では失明を心配するような出来事は全くなかったこと」、「平凡で面白みのない高校生活を送っていたこと」……くらいだろう。そしてやっぱり、高校時代の記憶に小比賀は一切登場しない。


 シクラメンの前で頭を抱えていると、「コンコン」と準備室の引き戸をノックする音が聞こえた。小比賀はノックなんてしないから、別の誰かが来たらしい。とりあえず、「はい」と返事をしてみる僕。


「……入っていい?」


 聞こえてきたのは、聞き覚えのない女性の声だった。僕は戸惑いながらも、「いいですけど……」と答えてみる。すると、ショートボブヘアーの小柄な女性が、遠慮気味に引き戸を開けて入ってきた。前髪は眉毛が隠れるくらいの長さで、おかっぱのように揃っている。可愛い顔だと思うけど、なんとなく暗そうな雰囲気をまとっていた。


「ふぅーん……。これ全部、君が描いたの? 上手だね。……凄く」


 その女性は、準備室の中をぐるりと見渡し、ずいぶんと上から目線な口調でそうつぶやくと、近くの椅子に「すっ」と座った。どうやら3年生らしい。この高校は学年ごとに上靴の色が違うので、判別は簡単だ。そして、ただただ困惑する僕を尻目に、彼女は話し始めた。


「……あ、急にごめんね。最近、小比賀さんがここに出入りしているのをちらちら見かけたから、何かと思って。私、吹奏楽部で小比賀さんと一緒にトランペット吹いてる、塚原っていいます」


 ……ってことは、小比賀の先輩か? まさか、小比賀の練習の邪魔しないでくれない? ……とか言いに来たんじゃないだろうな? そんなこと言われたらさすがに……、「はい、ごめんなさい」としか言えないぞ。勘弁してほしいんですけど。


「あの、小比賀の……先輩ですか?」

「うん、まぁ……、そんなとこ。でも、ポテンシャルは小比賀さんのほうがずっと上。……あ、今の小比賀さんには内緒ね?」

「……え? あ、はい……」

「あの子、もっと練習すればすごく良くなるのに……。君、小比賀さんとは仲いいの?」

「えっと、悪くはないと……思ってます」

「控えめなんだね。仲いいです、って言えばいいのに。名前は?」

「小林……彰人です」


 淡々と話しかけてくる彼女には、不思議なオーラがあった。まるで、心の中を見透かされてるような……。この人、一体何者なんだろう。


「小林君は、小比賀さんのこと……どう思ってる? 好き?」

「……は!? え!? あの、ちょっとそういう質問は……!!」

「そっか、好きなんだ。ちょうどよかった。君にお願いしたいことがあるんだけど」

「あの、勝手に話進めないでもらっていいですか? 僕はまだ……」

「小比賀さんね、好きな人がいるんだ。その人も、吹奏楽部の先輩」


 僕の返事なんか構うことなく、「君のことは分かってるから」と言わんばかりに一方的な会話をしてくる塚原さん……。しかも、ちゃんと的を射ているからたちが悪い。「小比賀に好きな人がいる」なんて言われたら、「すみません、小比賀のこと好きなんでそれが誰か教えてください」……って聞かざるを得ないだろ。


「……気になるでしょ?」

「……はい。僕の負けです。僕は、小比賀のことが好きです」

「うん、正直なところは評価してあげる。……それで、私が君に頼みたいことはね。その彼から、小比賀さんを奪ってほしいの」


 突拍子もないことを突然言われ、思い切り変な顔をしてしまう僕。いや、もちろんそうするつもりはあったけど、それって……人に頼まれてやることじゃないし。あっ、ひょっとして塚原さん……


「あの、つまりその、塚原さんもその彼が好きだ……ってことですか? 小比賀がいなくなれば、彼が振り向いてくれると?」


 さっきからの仕返しも込めて、僕も容赦なく聞いてみる。すると、塚原さんは明らかに不機嫌そうな顔で「そんなわけないでしょ」と言ってきた。……ちょっとなんなんですかこの人怖い。


「そうじゃなくて。その彼とこれ以上恋に落ちたら、小比賀さんの身に危険が迫る可能性があるってこと。私は、知ってるから」

「危険……って? 何を知ってるんですか?」

「その彼は、間違いなく反社会性パーソナリティ障害を持ってる」

「はん……しゃかいせい? ぱーそなりてぃ? なんですかそれ」

「……サイコパス、って言ったら理解できる?」


 サイコ……パス? それって、結構ヤバい人格障害じゃなかったっけ? そんな奴が、この学校にいるのか?


「あの、なんでそんなことが分かるんですか?」

「それを説明する必要があるのかどうか微妙だけど。まぁいいわ、教えてあげる。私ね、母親が心理士なの。私自身は心理学とかあんまり興味ないんだけど、小さい頃から母に色々教え込まれてて、人と話してるとその人の精神状態とか、傾向とか、そういうのが分かるわけ」

「な……なるほど……」


 それってつまり、今この会話で僕も分析されてたってことか? いや、確かに色々当たってたけど……って、やっぱ怖いよこの人。


「一見人当たりはいいけど、彼には良心がない。感情じゃなくて、理論で人を喜ばせたりしてる。それも、自分の利益になる時だけ」

「いや、でも……。それはさすがに考えすぎじゃ……」

「小比賀さんが来る前、トランペットパートには、私と彼と、もう一人女の子がいた。その子は彼に恋をして、彼に取り込まれて、弄ばれて、最後は精神的にヤられて退学した。でも、そのことで彼は責められてない。むしろ、回りから同情を買ってた。そういう奴が、今は小比賀さんのことを狙ってる。……怖いと思わない?」


 ……怖いわ。なんだそれ。大事件じゃないか。


「それが本当なら、確かに……。でも、それなら今の話を直接小比賀に説明して、関わらせないようにした方が良くないですか?」

「それでうまくいくわけないでしょ。小比賀さんは、もう冷静な判断ができる状態じゃない。反対されれば逆に燃えるだろうし、彼を奪おうとしてるって勘違いされて、余計頑なになるのが関の山だよ。……実際、もうそうなりかけてるしね。小比賀さんは多分、私も平井君を狙ってるって勘違いしてる」


 ……そう言われてみると、確かに。しかも、彼がそういうそぶりを普段見せていないのなら、なおさら信じてもらえなそうだ……。


「小比賀さんは、サイコパスに利用されやすい性格をしてる。ああ見えて打たれ弱くて、責めればすぐ自分のせいにするし、私がどんな理不尽な指導しても言い返さないし、弱みを握られやすい。彼と一緒になってしまったら、彼女の人生はお終いだと思う」

「……人生が、お終い?」


 それってもしかして……。だんだんと、前世の記憶に引っかかるものが出てくる僕。


「わかりました。力になれるかどうかはわかりませんが、努力はしてみます。……で、その彼の名前は?」

「……平井、光彦」


 平井……。その名前を聞いたとき、ある記憶が喉元までこみあげてきた。何か思い出せる気がした。小比賀……、平井……。


『彼とは……、高校の時に部活で出会ったんだ。優しくて、かっこよくて、私は……ずっと彼に夢中だった』


 これは、小比賀の記憶……? いや、違う。僕は……。


「……じゃあ、そろそろ時間になるから、私はこれで。ごめんね、邪魔しちゃって。話してる間も見てたけど、やっぱりあなた……上手ね、絵が。これならきっと、小比賀さんも振り向いてくれる。頑張って」


 そう言って出ていく塚原さんを全く気にできないくらい、僕は青ざめていた。だって僕は……。僕は……! 僕はっ……!! 小比賀のことを、小比賀由美のことを……!! 前世で「平井さん」と呼んでいたのだ……!! それってつまりっ……!!


『彼と一緒になってしまったら、彼女の人生はお終いだと思う』


 ……うそだろ? 「それが原因」だったのかよ……!! 塚原さんの言う通りってことじゃないか……!! 


 このままじゃ小比賀は、その「平井」ってサイコパスと結婚しちゃうんだ……!!

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