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小比賀由美⑥

 ……枕もとでけたたましく鳴り響く目覚まし時計を、乱暴に叩いて止めた。……朝か。デジタル表示されている日付を見ると、ちゃんと一日経っている。昨日のアレは、夢なんかじゃなかったんだ……。それが分かった途端に、ベッドから起き上がる気力が萎えた。


 私は大の字になって、仰向けに寝そべった。薄手の掛布団はベッドの下にずり落ちてて、パジャマもはだけておヘソが丸出し。……昨晩どんだけ寝返りしたんだろ、私。……確かに、寝苦しかったけど。


 ……昨日は、高校デビュー以降初めての大イベント、吹奏楽コンクールだった。心を入れ替えて練習した成果が塚原先輩に認められて、ソロパートまで頂いていた私は、このコンクールに全てを懸けていた。皆からの期待を、ちゃんと形にするためにも。それなのに私は……


「……あれ? うそ!? ち……マウスピースがない!?」


 ……命の次に大切な、むしろトランペット吹きの生命線ともいえるマウスピースを、……当日に無くしてしまった。


 もう、ドジっ子なんて話で片付くレベルじゃない。コンクールの日にマウスピースを無くした人なんて、きっと日本中探してもいないんじゃないかと思う。……全身の血の気が引いた。


 幸いというか、無くしたのは自前のマウスピースで、トランペットのケースの中には、初めから付属していた学校のマウスピースが入っていた。だから、最悪音を出すことはできる。できるけど……。


 私は、このマウスピースで練習なんて一度もしたことない。しかも、音出しできるのは演奏直前にあるリハーサルの時だけ。その短い間に、いつものマウスピースで培ってきた感覚を修正しなくちゃいけない。できる自信はなかったけど、やるしかなかった。


 私は、マウスピースを無くしたことが先輩にバレないように、隅っこでこっそりバズィングした。その時点で、すぐに気づいた。このマウスピースだと、いつものアパチュアがうまく合わないって。


 ちなみに、アパチュアっていうのは楽器を吹くときの唇の形のこと。私は、このマウスピースに合うアパチュアを必死に探した。だけど結局、本番直前の十数分でそれを見つけることはできなくて……。リハーサル中、私は何度もハイトーンを外してしまった。


「……小比賀さん? 大丈夫? どうか……した?」


 さすがに、塚原先輩がそんな私の異変に気付いて、心配そうに声をかけてくれた。その瞬間、私の胸はいっぱいいっぱいになって……。ステージへ向かう途中で、涙が止まらなくなってしまった。


「……みません。ま……マウスピース……無くしちゃいました……」


 先輩は、目をまん丸にして驚き、「えっ!?」と一言、漏らした。常にポーカーフェイスを貫く塚原先輩が見せた、動揺する表情……。これがどれほど重大なミスなのかを、物語っていた。


「もうどうしようもないから。いつも通りを心がけて、なんとか……」


 塚原先輩がそこまで言いかけたところで、本番が始まってしまった。私はわかってた。いつも通りにやったら、むしろダメだって。だけど、どう変えれば最善を尽くせるのかも、結局分かってない。もう完全になす術がなくて、七分間の演奏はただの生き地獄になった。


 ……結果は、予選敗退だった。全国大会の常連だった坂之上高校にとって、あまりにも痛い現実……。先輩が期待して、私にソロとか重要な旋律の多いパートとかを託したのが、完全に裏目に出た。


 演奏が終わった後、私たちは客席で他の高校の演奏を聴いてたけど、その間塚原先輩が話しかけてくれることはなかった。……結局その日は、部活が解散になるまで、先輩とは何も話せなくて。……死ねって言われたら、ためらいなく死ねるくらいに落ち込んだ。


 ……それが、昨日の出来事。起きたら全部夢で、実は今日がコンクール当日でした……割と本気でそう願ったのに、目覚まし時計は無慈悲にも、コンクールが昨日だったと教えてくれた。


 今日の部活は午後から。先生は、コンクールの結果を重く見て、緊急ミーティングをやるって言ってた。……そんなこと、する必要ないのに。先生だってわかってるでしょ、全部私のせいだって……。それとも、部員全員で私を非難する計画でも立ててるのかな?


 ……行きたくない。もう、部活も辞めてしまいたい。そもそも、マウスピースだってまだ見つかってないし。型番はわかってるから買おうと思えば買えるけど、……結構高いんだよ、アレ。


 ベッドから起き上がれなくて、大の字に寝そべったまま……どんどん時間だけが経っていった。いい加減、起きなくちゃ……。


 とっても足取りは重かったけれど、部活には……行くことにした。塚原先輩にちゃんと謝れてないし、自分のせいでコンクールが台無しになったのに、ここで逃げるなんてやっぱり卑怯だと思ったから。


「……こんにちは」


 パート室の扉を開けて、うつむいたまま小さな声で挨拶した。結構ギリギリに出発したので、塚原先輩も平井先輩も既に来ていた。


「あ、ユミちゃんこんにちは! 今日はミーティングだけだって。定期演奏会の曲もその時に決めるみたいだけど……。昨日のコンクールは仕方ないよ。ま、何が原因だったか皆でよく話し合おう」


 最初に、平井先輩が話しかけてくれた。実は、マウスピースの件を知ってるのは、塚原先輩だけ。平井先輩はたぶん、私の演奏がめちゃくちゃだったことにすら気づいてない。……大好きな平井先輩に知られなかったのは良かったと思ってたけど、やっぱり……


「ミーティングなんて、やってもしょうがないのにね」


 ……ぽつりと、塚原先輩が呟いた。……背筋が、凍った。


「何言ってるんですか先輩。ミーティングしなくちゃ、敗因が分からないじゃないですか。特に今年はひどい結果だったし……」

「……平井君は、何が敗因か分からないの? ……耳、大丈夫?」

「……は? 何言ってるんですか? そういう先輩は……」


 先輩二人の言い合いを聞いていた私は、もう、いたたまれなくなって……。耐えられなくなって……。大きな声で……叫んだ。


「私のせいなんですっ!! 昨日私、自分のマウスピース無くしちゃって!! 使い慣れてないマウスピースで吹いたら、大失敗して……!!」


 言ってる途中で、涙がこぼれた。こんなに情けない話があるんだろうか。それも、ダイスキな平井先輩の前で……。


「……え? そ……そうだったの……?」

「そういうこと。だから意味ないでしょ、ミーティングしても」

「いや、だけどそれだけが原因とは限らないし、ユミちゃんだって悪気があったわけじゃ……」

「悪気がなければ、どんな失敗も許されるんだ。じゃあ、受験当日に受験票忘れても、『悪気ありませんでした』で済むってこと?」


 塚原先輩のキツい言葉が、容赦なく私の心に突き刺さっていく。


「小比賀さんだって、演奏終わった後『すみません』の一言もなく黙り込んで。落ち込んでれば、慰めてもらえるとでも思った? だいたい、マウスピースが変わったくらいであんなに吹けなくなるなんて、私はあなたのこと買いかぶりすぎてたのかも……」


 塚原先輩が言ってることは、正しい。なのに、めまいがして、立っていられなくなった私は、その場に座り込んでしまった。その時……


「……いい加減にしろよ!!」


 平井先輩の大きな声が、塚原先輩の声をかき消した。いつもの先輩からは想像もできないような声に、私は驚いて肩をすくめる。


「いくらなんでも責めすぎだろ!? 人間なんだ、失敗だってする!!」

「失敗? 失敗じゃなくて、不注意でしょ。だって、吹奏楽のコンクールなんだよ? マウスピース以外に持っていくものなんてある?」

「……本当に、ユミちゃんはマウスピースを無くしたの? 実は……あんたが隠したんじゃないのか?」


 平井先輩のその言葉に、塚原先輩が一瞬言葉を詰まらせた。そして、能面のような無表情を保ちながら、平井先輩をじっと見つめる。


「……根拠のない言いがかりはやめてほしいんだけど」

「根拠? 根拠ならある。あんたはユミちゃんの演奏に嫉妬してた。だから恥をかかせるためにマウスピースを隠した。そうだろ?」

「それは根拠じゃなくて屁理屈っていうの。そんな無利益なこと、するわけないでしょ。だったら、平井君が小比賀さんを慰めて自分の株を上げたいから、マウスピースを隠して失敗させたとも言えるよね?」

「……もう、もうやめてくださいっ!!」


 これ以上先輩たちの喧嘩を見ていられなくなった私は、叫んだ。


「もういいんです……。もう……私、辞めますから……。吹奏楽部、辞めますからっ!! 今までありがとうございましたっ!!」


 ……もう辞めようと思っていたし、ちょうどよかった。それに、ここまで仲がこじれてしまった人たちと演奏しても、きっともう、人を感動させる音楽にはならない。そんな演奏、しても意味が無い。


「ちょっと待って、ユミちゃんが辞めることないだろ!? 塚原先輩の言うことなんて真に受けるなよ!! どうせ、もういなくなるんだ」

「……私は別に、止めないよ。小比賀さんのやりたいようにやればいい。才能がある人はどこに行っても花は咲くし、ダメな人はどこに行ってもダメ。小比賀さんがここにこだわる必要もない」

「先輩は黙っててくれませんか!? ユミちゃん、考え直そう。今辞めたら、絶対後悔するよ?」

「……いえ、もう……辞めようと思ってたんです。お世話になりました」


 必死に引き留めてくれる平井先輩を振り払って、私は部屋を出た。部屋を出てから、悔しくて悲しくて、ボロボロ泣いた。そして……


 大好きな吹奏楽部を辞めてしまった私は、美術準備室へ、向かった。

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