亡霊の周波数(カシエルの残響)
拠点を飛び出し、荒野を彷徨うこと三日三晩。
終を苛んでいたのは、母のログを焼き切った代償である、全身を突き刺すような激しい「拒絶反応」だった。
朽ち果てた送電塔の麓で限界を迎える少年の前に、突如として響く奇妙な高周波。
網膜に直接投影されたARのノイズの向こうに現れたのは、15年前に死んだはずの、氷の瞳を持つ女——加賀 恵留の幻影だった。
英雄の影を求める弥栄の「熱い情念」とは対極の、絶対的な「冷徹な静寂」。
ロゴスの切り捨てたゴミの集積体が、すべてを拒絶する少年に、世界を崩壊させる最後の引き金を託す——。
荒野の夜は、すべてを無機質な色に染め上げる。
拠点を飛び出し、三日三晩。終は、かつての『ニュー・セーレム』の外郭にある、朽ち果てた送電塔の麓で横たわっていた。
母の愛という熱病から逃れた代償は、全身を苛む「拒絶反応」だった。
弥栄のログを焼き切った首筋のスロットからは、今も時折、黒い火花が散り、神経を直接針で刺すような痛みが走る。
「……ハァ、ハァ……。俺は、俺だ。誰の、記憶も、いらない……」
自分に言い聞かせる声が、砂に吸い込まれる。
その時、止まっていたはずの送電塔の錆びたスピーカーから、奇妙な高周波が漏れた。
『――同調、開始。対象:個体識別名「ゼン」。……新野審の、負の遺産』
「……っ!? 誰だ……!」
終が跳ね起き、大剣を構える。だが、周囲には誰もいない。
ただ、彼の視界――網膜に直接投影されたAR(拡張現実)のノイズの中に、一人の女のシルエットが浮かび上がった。
白い官僚服。氷のような瞳。
加賀 恵留。
15年前に死んだはずの、父・審をこの世界へ突き落とした張本人。
「……加賀、恵留か。母さんの記録で見た。あんたも俺を、父さんにするために来たのか?」
終が吐き捨てると、幻影の恵留は感情の欠落した顔で首を振った。その姿は、弥栄が持っていた「情念」とは対極の、絶対的な静寂を纏っている。
『いいえ。私は、ロゴスが切り捨てた「ゴミ」の集積体に過ぎない。……私はあなたに、審を求めてはいないわ。私が求めているのは、その逆』
恵留の幻影が、指を終の額へと伸ばす。
触れられないはずの指先が、終のスロットに触れた瞬間、脳内に激しい「冷却」が走った。弥栄が植え付けた熱い執着が、瞬時に凍りついていく。
『審は、この世界を救おうとして失敗した。……だから私は、救済の論理を捨てた。ゼン、あなたの「拒絶」は、私の計算を上回る美しいバグよ』
「……何が言いたい」
『弥栄があなたに教えたのは「英雄としての生き方」。……私が教えるのは「世界そのものを、なかったことにするやり方」よ』
恵留の言葉と共に、終の視界に、ロゴスの裏側に隠された「第2のバグ」――深層廃棄コード『TARTARUS』の断片が流れ込んだ。
それは、世界を修復するための力ではない。
世界を構成する「史実」そのものを疑い、崩壊させるための、究極のアンチ・プログラム。
「世界を……なかったことにする……」
『そう。あなたを苦しめるDNAの螺旋も、母の歪んだ愛も、この荒野も。すべてを「未読」に戻す。……それが、私の残した、最後の突き飛ばし(ギフト)』
終の右腕に、恵留の幻影から受け継がれた青い幾何学模様が浮かび上がる。
それは、弥栄の赤黒い情念を喰らい、少年の肉体を「論理的な虚無」へと作り変えていく冷たい刻印。
終は、自分の手が驚くほど静かに安定するのを感じた。
恐怖も、怒りも、自分自身への嫌悪さえも、恵留の冷気が吸い取っていく。
「……いいぜ。もし、これがすべてを終わらせるための鍵だって言うなら」
終は、立ち上がった。
背後の闇から、弥栄が放った追跡隊のライトが迫る。
少年は、かつて父がそうしたように、夕闇の中で振り返った。
だが、その瞳に宿るのは、未来への希望ではない。
すべてを白紙に戻すという、究極の「終わり(ゼン)」の意志だった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
弥栄の熱い執着を凍らせるように現れた恵留の幻影。彼女が終に授けたのは、英雄の生き方ではなく、世界そのものを未読に戻す深層廃棄コード『TARTARUS』でした。
恐怖も、怒りも、自己嫌悪すらも冷気が吸い取り、終の右腕に刻まれる青い幾何学模様。それは世界の修復ではなく、「終わらせる」ための究極のアンチ・プログラムです。
背後から迫る弥栄の追跡隊。すべてを白紙に戻す意志を瞳に宿した終は、かつての父と同じように夕闇の中で振り返ります。




