螺旋の断絶(親子の決別)
吹き荒れる砂塵と、迫る重武装ドローンの火線。
最終安定剤を手に歩み寄る母は、息子の瞳の向こうに死んだ夫の影を見ている。
「一緒に帰りましょう、アキラ」
狂気的な愛の檻を前に、少年は青い虚無の閃光を解放する。
旧ニュー・セーレムの廃棄処理場。空を覆う巨大な排気ダクトが、断末魔のような唸りを上げている。
終の前に、一台の高速装甲車が砂塵を巻き上げて停止した。ハッチが開き、静かに降り立ったのは、EXODUSの正装を纏った弥栄だった。
「ゼン、そこまでよ。……その青い刻印、恵留(あの女)に何をされたの?」
弥栄の声は、慈愛に満ちていた。だが、その背後に控える数十体の重武装ドローンが、彼女の言葉が「命令」であることを示している。
「……母さん。あんたには、俺が『審』に見えるのか、それとも『バグ』に見えるのか。どっちだ」
終は、恵留のコードによって青く発光する右腕を、ゆっくりと大剣へ伸ばした。
弥栄の瞳に、激しい拒絶と執着が入り混じる。
「あなたは私の息子よ。……そして、アキラがこの世界に残した、唯一の『正しい記録』。恵留はあなたを壊そうとしているの。あの時と同じように、大切なものをすべて虚無に突き落とそうとしているのよ!」
「壊れてるのは、あんたの頭だ!!」
終が地面を蹴った。
弥栄が指を振る。ドローンが一斉に火線を引くが、終の動きはもはや「生存の演算」を超越していた。恵留の『TARTARUS』が、空間に存在するロゴスの法を次々と書き換え、弾道を歪めていく。
「やめて、ゼン! あなたを傷つけたくないの!」
「嘘をつくな! あんたは、俺の中にいる死人の影を傷つけたくないだけだ!」
大剣が、弥栄の目の前でドローンの装甲を紙のように切り裂いた。
至近距離。弥栄は避けない。彼女は自らの胸元から、一本の注射器を取り出した。それは、終の脳内の『審のログ』を強制的に完全同期させ、少年の意識を永久に埋没させるための「最終安定剤」。
「……一緒に帰りましょう、アキラ。今度こそ、誰も邪魔させない」
弥栄が踏み込み、注射器を終の首筋へ突き立てようとする。
その瞬間、終の脳内に「夕暮れの駅のホーム」の光景が、かつてない鮮明さで溢れ出した。審の未練、弥栄への愛、恵留への恐怖。
(……ああ、そうか。父さんは、あんたを愛していたんだな)
終の動きが、一瞬だけ止まる。
弥栄の指が、終の皮膚に触れる。
だが、終の瞳から涙はこぼれなかった。代わりに、恵留の冷たい声が脳内で響く。
――『すべてを、なかったことにするの』
「……さよなら、母さん。あんたが愛した男は、俺が今、ここで殺してやる」
終の右腕から、青い閃光が爆発的に放たれた。
それは物理的な衝撃ではなく、情報の「消去波」。
弥栄が持っていた注射器が、彼女の記憶データが、そして終の脳内に巣食っていた『新野審』のログが、凄まじい悲鳴を上げながら白紙(空白)へと還元されていく。
「あ……あああ……っ!?」
弥栄が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
彼女の瞳から、それまで宿っていた「狂気的な情念」が消え、ただの、心折れた一人の女の光が戻った。
しかし、それは救いではなかった。
終が放った『TARTARUS』は、弥栄の中から「審を愛していた自分」というアイデンティティさえも、一部消し去ってしまったのだ。
終は、膝をつく母を見捨て、背を向けた。
彼の首筋のスロットからは、もう何の音もしない。父の囁きも、母の束縛も、すべては静寂の中に消えた。
「……螺旋は、俺が切った」
終は、力なく横たわる大剣を捨て、手ぶらで荒野の地平線へと歩き出す。
彼の手元に残ったのは、父の遺産でも母の愛でもない。
ただ、自分の意志で選び取った「何も持たない」という名の自由。
遠く、沈みゆく夕陽が、終の影を長く引き伸ばす。
その影は、もはや審の形をしていなかった。
焼き切られた記憶、白紙に戻されたアイデンティティ。
終が選び取ったのは、父の遺産も母の愛も持たない、あまりに孤独で、あまりに純粋な「自由」でした。
螺旋を断ち切った少年の影が、夕陽の地平線へと消えていく。第2巻『螺旋の福音』、ここに完結。




