002⚫️矢を抜くことが先決
「己こそ己の寄るべ、己をおきて誰に寄るべぞ」
この一節は、’目覚めた人’が示す究極の自立を象徴している。
その思想の核心とは、四聖諦や八正道を通じてあらゆる執着を離れ、
今この瞬間の自己のみを見つめる「自灯明」の精神に他ならない。
古今東西、終末予言的な言説は絶えることがない。
疫病や戦争といった未来の災厄を強調し、
人々の不安と生存本能を刺激し続けてきた。
しかし、それは「生への執着」をかえって増幅させる行為であり、
本来の’目覚めた人’が示した心の安寧とは対極にあるものだ。
’目覚めた人’が用いた「方便」とは、
あくまで解脱へと導くための対機説法であって、
恐怖を煽り、何者かへの依存を生むための道具ではない。
外側に救いを求め、目先の利に固執する心に、真の悟りは宿らないのだ。
病、老、死。避けられぬ苦に対し、
「なぜ私が」という渇愛を差し挟まず、あるがままを受け入れる。
この峻厳な自己規律こそが、真の「寄るべ」を築く唯一の道である。
情報が氾濫し、不安が絶えず供給される現代において、
未知の災難に怯えることは、まだ来ぬ未来への執着に縛られている証左といえる。
毒矢を射た者が誰か、あるいは次の一矢がいつ来るかを案じるのではなく、
今まさに己に刺さっている「執着という矢」を抜くこと。
外部の予言に惑わされず、よく整えた自分自身を唯一の灯火とすること。
それこそが、時代を超えて変わらぬ真理であり、日々を歩むための杖となるのだ。




