十三、フレミング侯爵領 6、
「ここが、フレミング侯爵領の大森林」
船旅を終え、フレミング領都を越え、辿り着いた大森林を前に、アイリーンが感慨深く呟いた。
「本当に凄いね。入口から圧倒される」
「簡単に迷子になれるね」
「そうね。私、迷子は困るけれど、ここに住んだら貴族院も試験も無いんだなとは思うわ」
乗り越えがたき試験という苦難を、四人の協力により何とか乗り越えたアイリーンは、遠い目をしてそう呟く。
「その代わり、カイルも居なければ俺達もいねえけどな」
「ああ。それは、嫌だわ」
試験という現実は逃避したいけれど、カイルやみんなに滅多に会えなくなるのは嫌だと、アイリーンは悩ましくため息を吐いた。
「アイリーン。貴族院さえ卒業してしまえば、その卒業の日に学んだすべてを忘れてしまったとしても問題ないから。頑張ろうね」
「ブラッドフォード様。私、冗談抜きで数式は忘れてしまう気がします」
「僕も、冗談で言ったわけじゃないから、大丈夫だよ」
アイリーンのことを誰よりも思い、その才能を信じているブラッドフォードだが、だからこそ、アイリーンの弱点もきちんと把握していて、その部分は自分が補えばいいと思っている。
「心強いです。既に数字関係は頼っている気がしますが、これからもお見捨てなく、よろしくお願いします」
「もちろん。アイリーンの発想や着眼点は、僕には真似できないからね。こちらこそ、これからもよろしく」
なんだかんだ、これまでもふたりで事業を運営して来たふたりは、固い握手を交わした。
「それじゃあ、出発するぞ。今日は、途中にある村まで進み一泊することになる」
「大森林のなかに、村があると言っていたものね。その人たちは、昔からその場所で、木材の扱いを生業として来たの?」
大森林のなかに住む人々。
その未知の彼らの生活を間近に見られるとあって、アイリーンは、わくわくと尋ねる。
「いや。元より木材を扱っていたから、扱いに長けているのは事実だが、村が出来て完全に移住したのは三年前だ」
「そうなのね。昔から森に棲んでいる、森の精のような人たちなのかと思ったわ」
大きな木を見上げ、うっとりと言うアイリーンに、ブラッドフォードとクリス、モーリスが苦笑し、アシュトンは大仰にため息を吐いた。
「アイリーン。『そうなのね』じゃないだろ。その村が出来たのって、ぜってえアイリーンが考えた版画だの、新しい馬車の部品だののせいじゃねえか」
「え。そうなの?」
心底驚いてアイリーンがモーリスを見れば、苦笑しながら頷きを返す。
「産出量が増えたからね。それと同時に、アイリーンが教えてくれた植林もしているから、活動拠点が必要になったんだよ」
「それは。なんか、ごめんなさい」
もしかしなくても、人々の生活を変えてしまったのだと、アイリーンはへにょりと眉を下げた。
「いや。みんな、アイリーンには感謝している。何と言っても、ばらつきの激しかった収入が安定して、生活に不安がなくなったのは大きい。それに、植林することで、森を大切にしてくれているんだって、嬉しくも感じている。オレらは、遠い昔の祖先からずっと、森の恵みを糧として生きて来たから、森に対する思い入れも、大切に思う気持ちも強い」
「そんな大切な木々を、いつもありがとうございます。そういうのを知ることが出来ると、感謝の気持ちも強くなるわね」
ぐっと身近に感じると言い、アイリーンは、感謝の気持ちを伝えるよう、大森林に向かって礼をした。
「ようこそ、お越しくださいました」
大森林の村に着いたときには既に日暮れも近かったが、そう言ってにこやかに出迎えてくれた村長の後ろには多くの村人が居て、アイリーン達を興味津々に見つめていた。
「いつも通り、物資も持って来たから確認してくれ」
「ありがとうございます、モーリス様」
頭を下げた村長の合図で、青年たちが荷馬車へ向かい、品物を運び始める。
「ね!モーリス様。おねえさんは、今夜どこに泊まるの?あたしのうちに、お泊まりする?お部屋、一緒でもいいなら大丈夫だよ」
「いや。アイリーンも、オレたちと同じ宿舎に泊まる」
人々のなかから、人懐っこい笑みを浮かべた女の子が出て来て、アイリーンの宿泊先に自分の部屋を申し出るも、そうモーリスに説明され、目を見開いた。
「ええええ。おねえさんは、女のひとなんだよ?モーリス様たちと一緒なんて、大丈夫なの?そりゃあ、モーリス様は紳士だと信じているけれど」
『分かっていない』と、モーリスを見つめる目は真剣で、アイリーンは、そのおませな少女に少し前の自分を見た気持ちがして、親近感がわく。
「こんにちは。私は、アイリーンというの。あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」
「もちろんです、おねえさん・・じゃなかった、アイリーン様。私は、ジーンです。十歳にもなるのに、お嬢様のことをおねえさんなんて言って、失礼しました」
「大丈夫よ。おねえさんと呼んでもかまわないわ」
しっかりと挨拶をして、謝罪の言葉を口にするジーンに、アイリーンは笑顔で答えた。
「お、俺もご挨拶したいです!俺、字をなかなか覚えられなくて苦労してたんだけど、絵本だと、話が面白くて絵もきれいで。夢中になっているうちに、いつのまにか覚えてたんです。だから、その、か、感謝、しています」
「あのね、おねえさん。モーリス様、図書館を作ってくれたんだよ」
「だれでも、えほんをみていいの」
「お姉さんも、行く?」
「えほん、よんで」
すると、カイルより少し大きいくらいの子から、アイリーンと然程大きさの変わらない子まで、次々と出て来てアイリーンを囲む。
「まあ、素敵ね。でも今日は、もう暗くなってしまうから。みんなは、お家に帰る時間かな」
「「「「えええー」」」」
「こらこら。みんな。アイリーン様を困らせるんじゃない。お仕事でお見えなのだから、無茶を言ってはいけないよ」
不満そうに唇を尖らせる子供たちに村長が諭すように言えば、子供たちは不承不承頷いた。
「じゃあ明日!明日、遊んで!」
「それが。明日は、朝早くにここを出発するの。だから無理なの。ごめんね」
両手をそれぞれ取られ、子供たちに強請るように言われて、アイリーンは胸が痛みながらも誤魔化すことなくそう答える。
「折角来たのに」
「そうね。私も残念だから、今度来たとき、遊んでくれる?」
「いーよ!」
「ぜったいだよ!」
満面の笑みで約束を強請る子供たち、ひとりひとりと指切りをして、アイリーンは、帰って行くその姿を見送った。
ありがとうございます。




