十二、異なる世界 1、
「こんにちは、ブラッドフォード」
ブラッドフォードが貴族院でベティ・コーツ男爵令嬢に話しかけられたのは、教員室のなかだった。
「あなたの可愛いベティから、耳よりなお知らせです。ブラッドフォードも、お米という食べ物があるのは知っていると思うんだけど。その食べ方。パエリアやお鮨だけじゃないってことは、知らないでしょ。ああ、言わなくても大丈夫。高位貴族だからなんだ、って分かってるから!で、そんなブラッドフォードに、あたしが珍しい食べ方を教えてあげようと思います」
昼休憩が始まったばかりの時間ということで、教員の大多数は残っている。
そんななか、揚々と話しはじめたベティ・コーツを見て、教師陣は一斉にブラッドフォードを見た。
「あ、ああ。コーツ。もう昼休憩だから。アーサーズも食堂へ行きたいだろう」
そして、ブラッドフォードの表情がすっかりと抜け落ちたのを見た担任は、ブラッドフォードに用事を言いつけるために呼び出した、その責任を取るべくベティ・コーツに話しかける。
「先生!お昼休みだから、誘いに来たんです。一緒に美味しいものを食べるために。誰も知らないことなんですけど、お米は、おにぎりっていう食べ方もあって。ブラッドフォードも知らない、その実物を持って来たんです。ブラッドフォードのために」
「は?おにぎり?それなら」
「ふふっ。先生、知らなくっても問題ないですって。あたしの、オリジナル、ってことで特許を取ってもいいくらい、珍しいものですから」
教師の言葉を遮って笑うベティ・コーツは、大変に機嫌よく楽しそうに見える。
しかし対極を示すように、教師陣の彼女を見る目が、とても厳しいものになった。
そしてそれ以上。
ブラッドフォードの瞳は、冷たく冴えわたる。
へえ。
まさか、教員室で堂々と接触して来るとは思わなかったな。
野外バーベキューの時で、懲りたと思ったのに。
しかも、おにぎりとはね。
よもや、こんな方法で接触して来るとは思わなかったが『イベントを潰しても、彼女は諦めないかもしれない』と言ったアイリーンの言葉を思い出し、ブラッドフォードは、適切に対処すべく心を落ち着かせようと、小さく息を吐いた。
心を落ち着かせる。
それには、アイリーンのことを思い出すのが、一番。
まあ、他の件で、色々と騒めくけれども。
でもそれだって、アイリーンが可愛いんだから、しょうがないよね。
ちゃんと、我慢しているし。
少々不埒なことも思いつつ、ブラッドフォードは、アイリーンがふたりだけの時に見せてくれる、飛び切りの表情を思い出す。
『あのね、ブラッドフォード様。これは、おにぎりと言って、言葉通りごはんを握ったものです。で、なかに具材が入っているのです。あ、入れなくて塩だけのも美味しいんですけれどね。このおにぎり、別の言い方もあって。それは、おむすびと言うのです。だから・・その。ブラッドフォード様とのご縁を結ぶ、で、おむすび、なんて言ったりなんか、しちゃったりして・・ははは・・えと、おむすびで、乾杯?・・はっ、はず・・っ・・・いやあ!笑ってくださいぃぃぃ』
ああ。
あの時のアイリーンは、本当に可愛かった。
おにぎり、おむすびじゃなくて、アイリーンを食べそうになるくらい。
「ブラッドフォード様?もしかして、あたしの才能に惚れちゃいました?いいですよ、どんと来いです!ということで、おにぎり、食べに行きましょう!もちろん、あたしとブラッドフォード様、ふたりっきりで。誰も来ない場所ってどこかな・・なあんて!ちゃあんと確保してあるから、安心して」
しんと静まり返った場を、自分の発言に感心しているからだと信じて疑わない様子で、ベティ・コーツは、ばんばんと教師の背を叩きながらそう言った。
それに対し、ブラッドフォードは、冷徹な声で返す。
「おにぎりは、元々<デメテル>の裏メニュウだ。それを、あたかも自分の手柄のように言うとは」
<デメテル>は、王都でクリスが経営しているレストランで、アイリーン監修の料理が提供されていることで有名。
そして、ここに居る教師陣は皆<デメテル>を利用したことがあり、<デメテル>の裏メニュウとしての登場が、おにぎりの発祥だとも知っているので、ブラッドフォードの静かな怒りを当然と受け止めた。
「え?なにそれ。知らない。まあ、いいや。知っているなら話は早いわ。あたしが握って来た手作りなんだから、一緒に食べてくれるわよね?」
「却下に決まっている」
おにぎりは、ごはんさえ炊ければ具材は自由に選べるし、何より、家で握るのも美味しいからと言うアイリーンの意見を尊重して、特に縛りを設けていない。
だから別に、ベティ・コーツが、おにぎりを作ったとしても何ら責められることはない。
ただ、アイリーンの婚約者であるブラッドフォードに、あたかも自分が考えたメニュウであるように言ったこと、婚約者がいる相手に、堂々と自分の手作りの物をふたりきりで食べようと誘ったこと。
それらは決して許されることではない。
「君。教員室で、堂々と浮気の誘いとは恐れ入ったな」
貴族としての常識を備えていないベティ・コーツ。
彼女に審判を下すように、院長の声が静かに響いた。
ありがとうございます。




