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死にたくないので婚約ご遠慮します  作者: 夏笆


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二、飛び出す絵本 3、



「そういえば。アイリーンは、領地経営も学んでいたりするの?」

 『うわあ。この蕩けるチョコレートおいしい!』と頬を緩めるアイリーンを優しい目で見つめ、ブラッドフォードはそう問うた。

「あ、はい。一応は、という程度ですが。でも、本当に苦手で。弟が生まれて、本格的に学ばなくてもよくなったので、ほっとしています」

 十年間、ドレイク伯爵家唯一の跡継ぎだったアイリーンだが、二年ほど前に弟が生まれたことで、現在は次期当主の座から外れている。

「弟君。カイル、だったっけ。漸くドレイク伯爵家にも嫡男が生まれた、って周りが騒いでいたのは知っているけど・・アイリーンは、辛かったり悔しかったりしないの?」

「辛かったり、苦しかったり」

「うん。だって、これまで唯一の跡取りとして、そのための教育を受けて来ただろう?だけど、弟君(おとうとぎみ)が生まれたことによって、アイリーンはドレイク伯爵にはならず、アーサーズ公爵夫人となることになったわけだから、今までの努力は何だったんだろうって、思ったりしないのかなと思って」

「・・・・・」

 思いもかけないブラッドフォードの言葉に、アイリーンは、じっとその碧眼を見つめた。

「ああ、ごめん。立ち入ったことだったよね。無神経な発言を、許してほしい」

「いえ、そうではなくて。その、どう答えたらいいのかな、と考えてしまって。とても感覚的なことなので」

 確かに、領地経営は学び始めていたし、自分のほかに子供もいないことで、このままいけば、自分が伯爵となるのだろうなとも思っていた。

 しかし、カイルが生まれたことによって、その道は無くなった。

 それが、純然たる事実として、ある日突然アイリーンの前に示されたことに変わりはない。

「そうですね。その時・・自分が領主になることも、伯爵となって一族を率いていく立場となることも無いという状況を理解した時に感じたのは、虚しさ、とでも言うのでしょうか。こう、胸にぽっかり穴が開いたような」

「それはそうだろう。君は、伯爵、領主となる覚悟を持って勉学に臨んでいたのだろうから」

然もありなん、と言うブラッドフォードに、アイリーンは苦笑を浮かべた。

「覚悟・・アーサーズ公爵子息は、そうなのですね。でも私は、自分の判断ひとつで領民が露頭に迷うことも有り得るのだという立場には、正直恐怖していました」

「何も事をなしていないのに、自信満々に自分は出来ると言い切るより、よほど良い領主になりそうだと思うけれどな」

 事実、既に領主となっている者のなかにも、そんな勘違いをした者は居ると、ブラッドフォードは自身の周囲を苦く思い浮かべる。

「私は、自分が領主に向いているとは思いませんので、領主の座に未練はありません。ただ、カイルが生まれて。私でなければならない、私でなければ成し得ない、と考えていたことすべてが、そうではなかったと気づいて。それで、空しくなったというか、虚を突かれたというか・・そんな状態になりました」

「君は、責任感が強いんだな」

「それもあると思いますけれど、気負っていたんだと思います。うちは特に、親戚関係が難しい面もありましたから」

 とにかく自分しかいないのだからと、父方の親戚、母方の親戚が一同に集う際には、両家をうまく繋がなければと、殊に注意を払っていたとアイリーンは笑った。

「そうか。確か、ドレイク伯爵夫妻は、家の反対を押し切って結婚したのだったか」

「もう、和解していますけれどね」

 母に厳しい父方の祖母も、父に厳しい母方の祖父も、アイリーンのことは、とても可愛がってくれていたことから、両家を繋ぐ鎹だという声が聞かれ、アイリーン自身、そうあらねばと思って育ったけれど、いつのまにか氷解していたとアイリーンは笑う。

「確かにカイルが生まれて、色々なことが変わりました。でも、両親も周りも変わらず大切にしてくれていますし、何よりカイルが可愛くてたまりません」

「・・・そうか。本当に可愛がっているのだな。悔しいくらいに、優しい顔をしている」

 『二歳児に嫉妬する日が来るとは』というブラッドフォードの言葉を冗談と流し、アイリーンはカップを口に運んで、紅茶をこくりと飲んだ。

「だって、可愛いですから。昨日も、一昨日もその前の日も。私が作った飛び出す絵本を嬉しそうに見てくれて。あの可愛さ。控え目に言って、天使だと思います」

「ん?飛び出す絵本・・とは?」

「言葉通り、絵が飛び出す絵本です」

 問われ、簡潔に答えたアイリーンに、ブラッドフォードは首を傾げる。

「じゃあ、飛び出さない絵の絵本もあるの?そもそも、絵本ってなに?」

「あ」

 『しまった。この世界に絵本は無いらしいのだった』とアイリーンが思い出すも既に遅く。

「言葉だけでは、理解し難いから。今度、伯爵家を訪問させてね」

 『百聞は一見に如かずと言うしね』と、ブラッドフォードは、それは良い笑顔を見せた。

 


~・~・~・~・~・~・

ありがとうございます。



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