九、王都の闇 7、
「本当。兄上も、随分変わったよね。ぼくに『婚約者・・ソフィアに文香を贈りたいから、一緒に香りを選んでくれ。ああ、その。匂い袋も一緒に』なんて。いや。変わったというか、ぼくが知らなかっただけかな」
アイリーンやブラッドフォード、アシュトンとモーリスという、いつもの五人で元貧民街での仕事を終えたクリスは、お忍び馬車でドレイク伯爵邸まで戻った後、迎えに来た王家の馬車で王城を目指していた。
先ほどまで、賑やかに移動銭湯や文香、匂い袋の話をしていたお忍び馬車とはまったく違う、とても静かなその空間で、クリスは実の兄を思う。
幼い頃は、余り接点がなく、同じ王宮に住んでいるので、行き会えば挨拶をする程度という、王族としては普通なのかもしれないが、とても希薄な関係だった兄と積極的に関わるようになったのは、アイリーンとカイルを見てから。
あれが、とても羨ましかったんだよね。
『おっねえしゃまっ』と、心から信頼しているのだろう、満開の笑顔で可愛く呼ぶカイルと、そのカイルを心からの笑みで見つめるアイリーン。
そんなふたりに触発されて、クリスは兄を構いまくった。
結果、最初は面食らった様子で少々面倒そうだった兄も、最近ではクリスが行う事業を積極的に知ろうとし、政治の面からも鑑みて、後押ししてくれている。
国王は兄上で、ぼくはそれを補佐する立場がいいな。
その方が、自由に動けるから。
「殿下。到着、いたしました」
「ありがとう」
そして第二王子の笑みを貼り付けて、クリスは王城の一般区へと足を進める。
『時に王族が通ることで、防げるものもある』という父王の意見はもっともだが、だからと言って、国王や王妃が一般区をたびたび通るのもいかがなものかと進言したクリスは、第二王子の自分がその役に相応しいと立候補し、時折観察を兼ねて一般区へと帰城するようになっていた。
しかし、一般区はさり気なく耳をそばだて通り過ぎるだけで、まっすぐ、王族の居住区域を目指す。
戻ったら、まず、兄上を訪ねて頼まれた文香と匂い袋を渡して。
それから、母上お待ちかねの、ラズベリーの香りの匂い・・・っ。
「クリス!ディアナが見つからなくて、苦労しているんでしょ!?」
楽しく考えながら歩いていたクリスの前を塞ぐように立ち、勝ち誇ったように言ったのは、ベティ・コーツ男爵令嬢。
その親し気な様子に、護衛も迷う様子でクリスを見た。
「勝手に名を呼ぶのはやめてもらおう」
しかし、きっぱりと言い切ったクリスに護衛もぴりりと引き締まるも、ベティ・コーツは駄々を捏ねる幼児に対するよう軽く肩を竦め、分かっていると言わぬばかりに話を進める。
「もう、堅苦しくしなくたっていいじゃない。ディアナ、見つからなくて、いらいらしてるんだろうけど」
「そのような事実は、ございません」
一体、何の話だと、クリスも護衛も思っていると、侍従が音もなく近づいて、クリスとベティ・コーツの距離を取った。
「え。ディアナだよ?脱走したままなはずよ?」
「脱走など、そもそもしておりません」
侍従が、しっかりとベティ・コーツの目を見て答えれば、あからさまに目を顰める。
「いい加減なこと言わないでよ。そんなはずないでしょ。脱走して、見つかっていないのは分かっているんだから、嘘言わないの。だって、あたし、見つけていないんだから」
「なるほど。そちらが真実だとおっしゃる。ですが。そも、あなた様に、いったいどのような関係があるのでしょうか?」
王城で、親しくもない王族に、名乗りもせずに話しかける。
そんな令嬢は、前もって告知がされていなくとも即排除だと、敏腕侍従はきりりと眉をあげた。
「クリスは、あたしの恋人候補なの。ね?クリス」
「戯言だな。不敬罪を問われたいのか?」
甘える声でベティ・コーツが言った瞬間、クリスが即答し、護衛が動けば、ベティ・コーツは一歩下がる。
それでも、優位を確信しているような表情には一遍の曇りも無い。
「もう。仕方のない。あたし、ディアナにって特別な食事を考えたのに。あのね、人間が食べるようなケーキになっていてね」
「なんだと?」
「ふふ。斬新でしょう?猫だって、お誕生日ケーキを用意したら喜ぶわ・・って、なによ?」
揚々と話していたベティ・コーツは、蔑むような瞳を向けられて困惑した。
「動物のための、お誕生日ケーキでございますか。確かに、王妃陛下はじめ、貴族の奥方様の間で大人気でございますね」
「え。大人気って。うそ。もうあるの?」
信じられない、と目を見開くベティ・コーツに、侍従は更に笑みを深くした。
「はい。もしかして、ご存じない?」
「知らないわ。そんなの。貴族の奥方たちって、あたしの母様はそんなこと言ってなかったもの」
「さようでございますか。お付き合いの範囲が、異なるのでございましょうね」
言外に『王妃陛下との繋がりなど無いのだから当然』と毒を潜ませながら、あくまでも穏やかに、けれど決してクリスに近づけさせない隙の無さで、侍従はベティ・コーツを追い詰める。
「あ!あのね、クリス!今年か来年か、その次の年か分からないけど、王都で疫病が蔓延するの。それでね、その疫病でたくさんのひとが死ぬのよ!」
「は」
そこで漸く、クリスが自分を見たことで、ベティ・コーツは勢いを増した。
「でも安心して!最初は貧民街で、死ぬのも貧民街の汚いひとたちだから!あのひとたちがいなくなれば、王都は浄化されるってもんよ!だから、疫病自体は発生した方がいいと思う!何より、あたしとクリスが仲良くなれるし。あ、それでね。ここからが肝心なんだけど、死んだひとの遺体は、すぐに燃やした方がいいの!そうしないと、平民街を越えて、貴族街まで被害が及んじゃうから。選択肢間違うと、大変なのよ」
「貴様、なにを」
クリスの脳裏に浮かぶのは、元貧民街の住人たち。
すっかり打ち解けて、笑顔も多く見せてくれるようになり、今では、雇用主と被雇用者という円満な関係を結んでもいる。
「でも、大丈夫!ちゃんと遺体を燃やせば、平民街までの被害で済むから!あたし、知っているの!だから任せて!」
「っ」
話を聞くうち、クリスはベティ・コーツが語るその話が、アイリーンの記憶のイベントなのだと察した。
そうか。
貧民街から発生した疫病が、王都を壊滅させる。
そして、多くの犠牲が出て、遅まきながら解決策を探る。
それでは、みんなを守れなかったんだな。
アイリーンが言っていた、疫病など発生しないならその方がいい、という言葉を、クリスは改めて噛みしめる。
みんなの笑顔を守れてよかった、と。
「そんな未来は訪れない。疫病など、発生させない」
「ああ、そう思いたいよね。でも、貧民街はきったないから無理なんだって。そこで疫病が発生して、子供を中心にたっくさんひとが死ぬの。で、平民街まで蔓延していって。でも!そこで、あたしとクリスが活躍するのよ!それで、何とか収集させるの。頑張ろうね!」
周りの凍てつく視線にも気づかず、ベティ・コーツは、腕を振り上げて満面の笑みを浮かべた。
「・・・・多くの民が死ぬと言いながら、何故笑う?」
「言ったじゃん!死ぬのは、きったない貧民街のごみみたいなひとたちと、平民だって。そんなの、気にするようなことじゃないでしょ」
笑顔のまま言い切った言葉に、クリスをはじめ、侍従も護衛も、そして通りすがりの貴族たちも、明らかに冷えた眼差しを向ける。
「不愉快だ。消えろ」
「あああ!対処法だけ聞いて、いいとこどりなんて、王子としてどうなのよ!でも!あたしは優しいから!困ったら話を聞いてあげる!またね!クリス!」
クリスの視線での命を受けた護衛により連れ出されながら、ベティ・コーツは懲りた様子もなく、クリスへと手を振りながら去って行った。
「いやあ。驚きました。貧民街など、今はもうないというのに」
「情報に疎いのでしょう」
「しかし、おかしなことを言っていましたね」
「疫病。そうなる恐れがあるからと、クリス王子殿下はじめ五柱の皆さまが視察をされ、改善をなされているというのに」
「殿下。くれぐれも、お気を付けください」
「何かあれば、我らも盾になりましょうぞ」
仕事で王城を訪れている貴族たちから口々に言われ、クリスは微笑んで頷きを返す。
「心強いよ。ありがとう」
これ。
ブラッドフォードや、アイリーン達とも情報を共有した方がいいな。
「今の件、急ぎ各方面へ報告する」
そして足早に進みながら、付いて来る侍従へと指示を出した。
大丈夫だ。
もう、疫病は回避した。
気持ちを落ち着けるように息を吐き、クリスは、強く拳を握る。
疫病を願う女。
民の命が奪われるのも、望むような女。
不愉快、極まりない。
クリスは、これまでになく強い嫌悪が湧き上がるのを、懸命に抑え込んだ。
ありがとうございます。




