九、王都の闇 6、
「ご歓談中、失礼いたします。王妃陛下より、アイリーンお嬢様へのお手紙でございます」
ブラッドフォードとアイリーンがお茶を楽しんでいるところへ、ドレイク伯爵家の侍女が銀盆に乗せた手紙を恭しく持って来た。
「ありがとう」
これまでも、たびたび王妃陛下から手紙を受け取って来たアイリーンだが、それでも慣れ切ることはなく、やや緊張の面持ちでそれを受け取る。
「もしかして、母上から、また何か情報を得たのかな」
「王妃陛下が気に留めるようなこと、あったかしら」
『アーサーズ公爵夫人は、未来の娘として親しくしてくれているし、そして何より事業提携者として尊重してくれているけれど、ここ最近で、目新しいものは無かったような』と呟きながら読み進めたアイリーンの目が丸くなった。
「アイリーン?なんだった?」
「今度の、王妃陛下主催のお茶会の招待状に文香を忍ばせたいから、香りの種類をあるだけ教えてほしい、って」
『そういえば、先だってアーサーズ公爵夫人への手紙に、文香を忍ばせたっけ』と言うアイリーンに、ブラッドフォードが首を傾げる。
「文香?」
「ほら。小さな匂い袋のようなものを、アーサーズ公爵夫人のお手紙に入れたでしょう?あれが、文香よ」
「ああ、あれか!母上がとても気に入っていたな。そうか、あれを」
言われて『アーサーズ公爵夫人は、こういう香りは好きかな?』とアイリーンに相談を受けたことを思い出したブラッドフォードは、納得と頷いた。
「アーサーズ公爵夫人も、お気に召したようだから嬉しく思っていたのだけれど」
「これは流行ると踏んで、また、王妃陛下に自慢したんだな。『アイリーンからもらったの』と言って。目に浮かぶようだね。だけど、母上に任せておけばアイリーンの発想が安く売られないから、そこは安心だよ」
アイリーンが『喜んでくれますように』と贈る色々な物を気に入る公爵夫人だが、それを安易に広めたりはしない。
まずは、この国で一番、女性のなかで影響力を持つ王妃陛下にだけ見せ、流行の発信源とするところが、流石の手腕だと、ブラッドフォードもアイリーンも信頼を寄せている。
「うん。これは流行ると確信している、と書いてくださっているわ」
「まあ、いつものことだな」
これまでもあった流れだと、ブラッドフォードは、慣れた様子で頷いた。
「もう、ブラッドフォード様まで。なんか、当たり前のように商品化することになっているわね」
「あれ?もしかして、商品化はしないつもりだったの?実は僕も売れると思っていたし、王妃陛下がこれだけ乗り気だと回避はかなり厳しいけど、アイリーンがどうしても嫌だって言うなら、しなくてもいいように動くよ?」
『アイリーンの気持ちが一番』と、当たり前のように言うブラッドフォードを嬉しく思いつつ、アイリーンは緩く首を横に振る。
「嫌とかではなくて。香って、出来上がっている香りを買うのも、もちろん素敵なんだけど、自分で好きな香りを合わせるのも素敵なのよ。だから、そういった楽しさも味わってほしいな、なんて思ったの」
アイリーンの言葉に、ブラッドフォードは、迷いはそこかと頷いた。
「そうなんだね。じゃあ、完成している香りとは別に、材料を売るっていうのは?そうして、好きに組み合わせて、好みの袋に入れれば、手製の匂い袋が出来るんじゃないか?」
「ブラッドフォード様!やっぱり天才!じゃあ、王妃陛下には、香りの好みを聞いて、お茶会の招待状に相応しい香りを作るのではどうですか、って提案してみるわ」
「それはいいね。王妃陛下の香り。うん。特別な感じもあって、お喜びになるんじゃないかな」
生き生きと目を輝かせるアイリーンを愛しく見て、ブラッドフォードはカップに口を付ける。
「王妃陛下かあ。美しくて可愛らしい面もお持ちで、好奇心旺盛で。どんな香りがお似合いかしら」
「アイリーンは、本当に凄いね。貧民街改善計画とか、稲わらで靴を作るとか、馬車で風呂を運ぶ移動銭湯とか。代表で仕切っているクリスが、とても遣り甲斐があると張り切っていたよ。あれはもう、節操無し女のことなんて忘れ切っているんだろうな」
貧民街では今、掘っ立て小屋のような家々を壊して清掃し、新しく長屋を建てる作業が始まっていて、貧民街の住民も労働力として参加し、その対価に食事や賃金が支払われている。
そして、子供たちには、稲わらで靴を作る方法を教え、それを手仕事とした。
もちろん、ひょうたんが収穫できれば、それの加工品づくりにも参加することになっている。
「お腹が空いても、食べる物が無いというのは辛いもの。気力だって、わかないわ」
「そうなんだけど。まさか『稲わらで靴を作って売れば、それでごはんが買えますよ』なんて、言い出すとは思わなかったよ」
その時を思い出し、ブラッドフォードは苦笑した。
「そんなに意外だった?」
「意外も意外。何を言い出すのかと思ったよね。そういえば、木樽の菰も稲わらの加工品だったな、って思い出したよ」
それ以上、稲わらさえ知らない子供たちは、きょとんとしているなんてものではなかったと、ブラッドフォードは、アイリーンを見る。
「でもあの子たち、すっごく器用なのよ。教えた私より、もう上手なんじゃないかな」
「先生がよかったんだよ」
「ブラッドフォード様は、私に甘いわよね」
「当然だよ」
ふふ、と笑い合い、ふたり仲良くクッキーを摘まむ。
「稲わらの靴は、可愛いと評判だよ。ほら、アイリーンが、色付きの紐をアクセントにしたらいいと思うっていうアイディア、あれはいいよね。アイリーンも、冬になったら履いてみせてよ」
ドレスで稲わらの靴。
まあ、それも一興かしらね。
「じゃあ。その時は、ブラッドフォード様もお揃いにしましょう!」
「うん。でもアイリーンは、本当によく気が付くよね。稲わらの靴は、そもそもあの子たちのためだったんだろう?」
貴族が履く靴は、もちろん高い。
そして、貧民街の彼らは、平民が履くような木靴さえ手に入れるのは難しい。
そこで考えたものなのだろうと気づいたブラッドフォードの言葉に、アイリーンは、こくりと頷いた。
「やっぱり、ブラッドフォード様は気が付くのね。何目線だよ、って言われるかもしれないけど、壊れかけの靴や、サイズの合わない靴を履いているのが、凄く気になったの。でも、靴を贈るのが正解ではないと思えて。ほら、ブラッドフォード様も言っていたでしょう?」
過ぎたる保護はよくない。
そう言ったブラッドフォードの言葉に共感したのだと言って、アイリーンは、ひと口お茶を飲む。
「それで。自分達も履けて、売り物にもできる稲わらの靴か」
「アシュトン様の領と契約して、稲わらを入手できるようにできたのも、大きいわ。本当に感謝よね」
「あれは寒い時期に役立つと、キーズ辺境伯も感嘆していたよ」
アシュトンの父であるキーズ辺境伯は、アイリーンから稲わらを融通して欲しいと持ち掛けられた時、とても怪訝な顔をしていた。
しかし、アイリーンが、試しにと一足作ってみたところ、即決で材料を融通してくれることになった。
もちろん、キーズ辺境伯領にも、稲わらの靴を売る約束で。
「本当に、貧民街は変わるよね。これで、ひょうたんの加工が上手く軌道に乗れば、彼らはもっと自分達で稼ぐことが出来るようになるからね。それにしても、王営の住宅なんて、よく考えたね。収入に応じて賃料を決める、なんて」
「ああ、あれは。ちょっと反省しているの。だって、はじめのころは無料でもいいようにしたかったから提案したんだけど、あれ、しれっと住民登録して、税を納める対象にしてしまったなって」
貧民街の住民は、怪我をして元の仕事が出来なくなったり、親に捨てられて行き場をなくした者の集まりで、王国の民としての存在ではなかった。
それを、今回の改革で貧民街の住民も王国の住民だと登録がなされた。
それによって、王国の民としての権利も得た彼らだが、同時に義務も発生する。
「でも、あの屍のような瞳が嘘のように輝いているじゃないか。今度は、不満があるなら口にすると思うよ。それに、移動銭湯を楽しみにしているって声も多い」
「身を清められるのは、凄く幸せなことよね」
臭わないって素晴らしい、とアイリーンは嘔吐しそうになった、最初の貧民街訪問を思い出す。
「確かに。なんだか、移動銭湯っていうのが楽しいしね。どうする?移動銭湯も経験してみたい、とか。王妃陛下に言われたら」
「おっしゃるわけないじゃない。王妃陛下は、それこそ素晴らしい浴場をお使いになれるのだから」
『冗談はよしのしん』と、ブラッドフォードには今一つ伝わり難い言い回しをして、アイリーンは、にこりと笑った。
ありがとうございます。




