九、王都の闇 3、
「なんか・・臭う」
平民街を抜けた辺りでアイリーンが思わず顔を歪めれば、乗っている全員が同じ顔をして、鼻を手で塞いだ。
「臭うなんてもんじゃねえだろ。くっさ!」
「未だ、入口、なんだよね?・・・ここが一番臭うってことは・・ないか」
アシュトンは、臭いと言いながら窓が閉まっていることを確認し、クリスは絶望的な目をして息を吐く。
「これで、馬車を下りたら・・考えたくないな」
「ある種の攻撃だな」
「ガスマスクを用意するべきだったかしら・・いえ、それは先方に失礼よね。なら、馬車に防臭効果を付けられるようにすればいいかな」
そしてアイリーンは、現実逃避をするように、馬車のさらなる改造を目論んだ。
今アイリーン達が乗っているのは、お忍び、視察用の馬車で、外装は黒塗りで装飾無し、紋章無しの仕立てで、通常より小ぶりな造りになっているものの、内部は結構広く、五人で乗っても狭さは感じない。
それどころか快適だと好評価の馬車内で、これほど苦悶の表情が繰り広げられるのは初めてのことだった。
「ようこそ、お越しくださいました。私は、この地域の神殿を任されております神官の、マーク・ジーと申します」
「王城からの命で、この地を視察します。案内、お願いします」
まずは全員の身分を伏せ、監察官の立場で行動することになったアイリーン達は、代表となっているブラッドフォードの挨拶に合わせ、軽く頭を下げる。
「では、早速ですが、水場からご案内いたします」
そう言って歩き出すマークの後ろに続いて歩きながら、アイリーンは、吐き気を堪えるのに必死だった。
想像はしてた・・けど、それを簡単に超えたわよね!
臭い・・臭すぎる。
これは、あれかな。
糞尿を、辺りにまき散らしてしまう文化ってことなのかな。
でもとりあえず、現物は見える範囲にはなさそうでよかった。
「こちらが、この地域唯一の水場です。幸い、湧き水があるのですが」
うわああ。
これは酷い。
『湧き水があるのですが』と、含みのある声で言った意味がよく分かると、アイリーンは、その水たまりにしか見えない物を見つめた。
「唯一の水場?まさか。これが、飲用水だというのか?」
「はい。この地域の民の飲用水であり、生活、すべてを賄っております」
茫然と、その大きな水たまりを見つめ尋ねたブラッドフォードに、マークはそう説明を加える。
「あの。あちらの四角く囲われている場所は?」
「ああ。あちらは、糞尿置き場です」
「え」
その大きな水たまり・・もとい水場のすぐ脇には、四角く囲われた何かがあって、そこは食糧庫か何かだと検討を付け、この臭いのなかで食料や備蓄品は無事なのだろうかと思いつつ聞いたアイリーンは、またも目を見張ることになった。
水たまりにしか見えない濁り加減とはいえ、飲用水のすぐ傍に糞尿置き場があるってこと?
きちんと、分けられているならともかく、これくらいの囲いなら、雨が降ったりしたら簡単に混じり合いそう・・・うえっ。
「それじゃあ、まず必要なのはきれいな水を供給できる井戸ということかな」
「あと、ご不浄ですね。長屋の厠のようにすれば・・あっと、長屋というのは共同住宅のこ」
「てめえら、何の話だよ。井戸なんて要らねえよ」
アイリーンが、長屋の厠と言っても通じないと、はっとしたところで、破落戸のような男たちが現れた。
「しかし、この水では腹を壊したりしないか?特に子供や老人など」
突然の無法者の登場にも焦ることなく問いかけたブラッドフォードに、破落戸のような男たちが、けっと吐き捨てる。
「あのな。死ぬ奴は死ぬの。なんで、俺達が気にしなくちゃなんねえんだよ」
「ああ、酒の出る井戸ってんなら、考えてやってもいいぜ」
『それとも一発食らうか?』と、指をぽきぽき鳴らして脅しをかける破落戸たちにも、まったく怯むことない四人に、神官マークが尊敬の目を向けているのを見て、アイリーンは内心で苦笑する。
この四人、護衛要らずと言われるほど最強だもの。
これくらいの脅しに怯むわけないのよね。
むしろ、本物の護衛の方が、四人が強いとは分かっていても心配で、はらはらして気が気じゃなくて、胃が痛い思いをしていそう。
いつもありがとうございます。
今度、また何か差し入れをしますね。
「そうか。分かった。それは、君たちの意見として聞いておこう」
にたにたと笑いを浮かべる破落戸に、ブラッドフォードが動じることなく、涼やかな笑みを浮かべ答えるのを聞きながら、アイリーンは、今もどこかに潜んでいる護衛に思いを馳せた。
「監査官殿。申し訳ありません。彼らもこの地に住まう者たちで」
「いえいえ、力が有り余っているようで何より。これからの労働力にも期待できます」
おろおろするマークに向かってにっこり笑うブラッドフォードの後ろで、睨みをきかせるモーリスと、圧を感じさせるアシュトン。
そして、ブラッドフォードと同じように穏やかな表情ながら、その場のすべてを平伏させる、ドンの如き覇気を発するクリス。
うわあ。
なんかみんな、いつもより紳士っぽくない。
破落戸を制圧する、もっと格上の破落戸みたいになっている。
これは、あれよ。
ブラッドフォード様が、ブレインでナンバーツー、クリス様がボス、そしてアシュトン様とモーリス様が、実際に動く拳強い系。
『本当。クリスは、笑顔でえげつないな』
『そう?でもそれ、ブラッドフォードにだけは言われたくないかな』
『ふたりとも、笑顔が似合う素敵な紳士とか言われてんだぞ?真っ黒な笑顔がいいなんて、趣味悪ぃ』
『その黒さが見えないのだろう。腹の黒さ同様、隠すのが上手い』
『何を言っているのかな?アシュトンだってモーリスだって、鋭い瞳が素敵とか言われているじゃないか』
『そうそう。黒い狼だそうだよ』
『そりゃ、いつも黒い服着てっからだろ!』
なーんて言い合っちゃう、仲のいい組織。
くふふ。
絶対、格好いい。
「俺らの脅しに怯えねえなんて」
「なんなんだよ・・おまえら」
「っ・・・はいっ。わたくし共は、王家直轄の美化委員会の構成員です!」
黒服で暗躍する彼らも素敵、と思ったところで我に返ったアイリーンは、怯える破落戸にそう笑顔で申告した。
いつもの方も、はじめましての方も、ありがとうございます。




