七、貴族院入学 7、
「アイリーン!」
刺繍の授業を終えたアイリーンが中庭に面した回廊を歩いていると、嬉しそうな声がして、ブラッドフォードが姿を現した。
そしてその彼の後ろには、アイリーンたち女子生徒が刺繍の授業を受けている間、ブラッドフォードと共に屋内の鍛錬場で剣術の指導を受けていた男子生徒たちが続いている。
そのなかには当然、クリスやアシュトン、モーリスもいた。
「ブラッドフォード様。お疲れ様です」
「うん。アイリーンも、お疲れ様」
三人が、ブラッドフォードのすぐ後ろに居ようとも、迷わずブラッドフォードだけを見たアイリーンは、にこやかに挨拶をしてからクリスたちに向き直る。
「みんなも、お疲れ様です」
「うおお。安定の俺達ひとからげ。でもま、ありがと」
大げさに仰け反ってみせてから、礼を言う。
そんなアシュトンに、苦笑を隠しもしないモーリスとクリスも続く。
「この雑さが、アイリーンだな」
「ぼくたちに雑っていうより、ブラッドフォードが特別ってことなんじゃない?」
そして、そう肩を竦めて言ったクリスに、ブラッドフォードが満足そうな笑みを浮かべた。
「流石クリス。よく分かっているじゃないか」
それぞれ言いたいことを言い、最後はブラッドフォードが締める。
そんな風にいつも通りの遣り取りをし、くすくすと笑い合った五人は、そのまま一塊となって教室を目指して歩き出した。
「そういえば。今日、打ち合いをした相手が、オレのハンカチを羨ましいと言っていた」
「あ、俺も。ねえねえモーリス。それってもしかして、アイリーンに刺繍してもらったハンカチじゃない?」
モーリスとアシュトンの会話に、アイリーンがぴくりと反応した。
「え?私が刺繍したハンカチ・・・って。あの、花とか葉っぱの?」
確かにブラッドフォードだけでなく、モーリスにもアシュトンにも、そしてクリスにも、刺繍入りのハンカチを贈ったことは幾度もあるが、どれも特別な絵柄だったわけではない。
それどころか、そのとき部屋に活けてあった花や、庭の植物を見て直接刺したものだったと思い出し、アイリーンは思わず苦笑した。
あれ、図案どころか絵もないのよね。
そのまま、見たままを刺しているから。
「そうか。アイリーンのハンカチか。ぼくの相手はブラッドフォードだったからね。持っているのは当然、ぼくより凝ったものも多いから。残念。今度、他のひとに見せびらかしてみよう。ぼくも羨ましがられたい」
「やめてください、クリス殿下。恥ずかしいです。それに、クリス殿下が恥をかいてしまいます」
あれには、羨ましがられる要素が無いと言うアイリーンの隣で、ブラッドフォードが複雑な顔をする。
「・・・知らなかったな。アイリーンの刺繍が、鍛錬場で話題になっていたなんて。嬉しいような、もっと独占していたいような。でも、アイリーンの刺繍は素晴らしいから。評判になるのも分かる」
「確かに。母上は、アイリーンが刺繍したタペストリーを、ご自分の茶室に飾っていらっしゃるくらいだからね」
クリスの母、すなわち王妃陛下が自分の刺繍を気に入っている事実を持ち出され、アイリーンは遠い目になった。
あれ。
元は、絵本一冊分のブラッドフォード様の絵を一枚の布で見られたら素敵、とか思って、ところどころ縮小を入れたりして作ったタペストリーなのよね。
それはもちろん自分のためだったのだが、ドレイク伯爵邸を訪れたアーサーズ公爵夫人に絶賛され、自分にも作ってほしいと、希望の絵本を伝えられたので、贈り物とさせてもらった。
そしてその事実がアーサーズ公爵夫人から王妃陛下に伝って、自分にも作ってほしいと言う依頼が届いた。
あの時は驚いたわよね。
報酬を払うというのだもの。
アイリーンとしては、自分の作品の価値を示してくれたようで嬉しかったものの、商売にしているわけでもないので、もちろん贈らせてもらうことにしたのだが、その返礼として、何と王妃陛下愛用のブローチが贈られて来た。
それは、アイリーンが刺繍したタペストリーにそれだけの価値があると宣言したも同じで、貴族社会では一時、大変な話題となったことは知っている。
それで、アイリーンの刺繍に付加価値が付いたのだと。
「私の刺繍を羨ましがられるとしたら、王妃陛下やアーサーズ公爵夫人のお陰よ」
「アイリーン。謙遜も過ぎれば害悪だ。事実オレは、この四隅にあるさり気なさが気に入っている」
きっぱりと言い切ったモーリスに、アシュトンが俺もと食い付いた。
「うん。あの四隅にあるやついいよね。俺のはよく分からない葉っぱだけど、きれいなんだよな。拭くのに邪魔にもならないから、使い勝手もいいし。モーリスのはどんな模様?」
「どんな・・。これなんだが。オレも、何の葉なのか・・・っ」
百聞は一見に如かずとハンカチを取り出し、アシュトンに見せようとしたモーリスの手から、ハンカチがひらりと飛んだ。
「おおっと!」
「わあ!アシュトン様、素早い!ナイスキャッチ!・・・って、あ」
そして、その場で軽く飛び上がり、ハンカチをすかさず受け止めたアシュトンに拍手を送ったアイリーンが、不意にぱしんと手を打った。
「どうしたの?アイリーン」
「ブラッドフォード様。これです。これが、モーリス様とヒロインの出会いのイベントです。実際には、もっと遠くまで飛んでいましたけど」
モーリスとベティ・コーツの出会いは、剣術の授業帰り。
場所は、中庭に面した回廊。
モーリスが不注意で飛ばしてしまったハンカチが、通りすがりのベティ・コーツに当たってしまい、モーリスは青くなる。
『ご令嬢。これは大変な失礼をした。申し訳ない』
『そんな。ハンカチなんだから、問題ないです。それより、床や地面に落ちなくてよかったですね』
とんでもないことをしてしまったと、モーリスが真摯に謝罪すると、ベティ・コーツは笑顔でそう答え、優しい手つきでハンカチを返す。
そんなイベントだったと、思い出したアイリーンは満足そうに告げた。
「いやあ。俺がモーリスの運命って?」
実際に飛びかけたハンカチをキャッチしたのは自分だからと、アシュトンは大仰な紳士の仕草でハンカチをモーリスに返す。
「あ!なるほど!キャッチしたのがアシュトン様なんだから、そういうことですね!頭脳と技能で運命のコンビ!素敵!納得!」
『最強のコンビ誕生!』とはしゃいだアイリーンは、そこではたと思い出した。
これは、本来であればモーリスとベティ・コーツの出会い。
であるならば、ふたりの出会いはどうなってしまうのか。
「ねえ。ヒロインは?どうなるのかな?」
「もう、ここでモーリスと個人的に出会うことは無いだろうけど。それを期待していたんだろうね。あそこに待機していたようだよ。僕のアイリーン。ほら、桃色頭が見える」
「うん。ということは、あそこまで飛ぶはずだったんだね」
アイリーンの呟きに、ブラッドフォードとクリスが答え、モーリスは胸を撫でおろした。
「回避したということだな。ハンカチ関連とだけ聞かされていたから。飛んで来ても落ちていても、触ったり、拾ったりしなければいいと思っていたのだが。そういえば、そこも曖昧だったか」
「破廉恥じゃなくて、モーリスが飛ばす方だったねえ」
ともかくもよかったと、ほっとしたように言うモーリスにアシュトンが答え、クリスは考える顔になる。
「これで、ぼくの出会いは、猫探しか、ぶつかって云々のどちらかということだね」
「そうだな。だが、その話をする前に急いで移動しよう。今ならまだ、節操無し女が呆然としている」
今のうちに回避してしまおうと頷き合い、五人は、ささっとその場を離れた。




