七、貴族院入学 6、
「まあ、素晴らしいですわ」
その日。
初めての刺繍の授業を胸躍らせて受けていたアイリーンは、隣から聞こえた声に集中していた目をあげた。
隣の令嬢の視線の先・・アイリーンの手元にあるのは、刺し始めたばかりの作品と、図案代わりの一枚の絵。
そしてその絵は、当然のようにブラッドフォードの作。
ふっふっふっ。
そうでしょう、そうでしょう。
気持ちは、よおおく、分かります。
ブラッドフォード様の絵は、本当に素敵ですものね。
「あ、ごめんなさい。つい」
「いいえ。本当に素晴らしい絵ですもの。思わず声が出てしまっても、仕方ありませんわ」
隣の席は、確かヘイル伯爵令嬢だったと思い出しつつ、アイリーンは、はっとしたように口元を押さえる彼女に、にこりと笑った。
謝ることなんて何もないです。
ブラッドフォード様の絵は、ほんっとうに素晴らしいですから!
「あ、いえ。絵も素晴らしいと思いますが、私が今言ったのは、ドレイク伯爵令嬢の刺し方です」
『ブラッドフォード様の絵を絶賛されるのは嬉しい。一緒に鑑賞できるのも楽しい』と、にこにこしていたアイリーンは、ヘイル伯爵令嬢の言葉に首を傾げた。
「え?私の、刺し方、ですか?」
「はい。図案を見ながらではなく、絵を見ながら形を成せるなんてすごいです。それも、とても速く」
言われてアイリーンは『ああ、なるほど。そこか』と納得する。
アイリーン自身としては、そう特殊なことをしている気持ちは無いのだが『絵は描けないのに、図案ではなく絵を見ながら刺繍で形を作ることは出来るなんて、奇妙な特技だ』と、周りから言われ続けて来た。
お陰で、この刺し方が普通ではないらしいことは分かっているが、完成した作品は、どれもいい出来だと言ってもらえているので、それでいいと思っている。
「この刺し方が、変わっているらしいことは理解しているのですが。どうしても私は、これがやりやすいのです。図案を起こすのは、どうにも苦手で。先生も、このやり方で問題ないと言ってくださいましたし」
最後は言い訳のように言いながら、そのうち図案の授業もあるのだろうなと思い至ったアイリーンは、その時を思って気持ちが沈んだ。
はあ。
あれ、本当に苦手なのよね。
図案を起こすのも絵を描くのも、私にとっては大差ないわ。
「ドレイク伯爵令嬢。私も、図案を起こすのがとても苦手なのです。ですから、お気持ちはよく分かります」
「そうなのですね・・・!」
『同士よ!』と、叫びたい思いで、アイリーンはヘイル伯爵令嬢を見た。
「はい。とはいえ、ドレイク伯爵令嬢のように、絵をそのまま刺し写すなんて出来ません。何か、こつのようなものはありますか?」
「こつ、ですか」
問われて考えてみるものの、アイリーンは、ブラッドフォードの描いた絵を、委細違わず刺繍にすべく、色を考えステッチを考えているだけなので、それをどう言葉にすればいいのか答えに迷った。
「何か、きっかけのようなものは、ありましたか?」
「きっかけは、ブラッドフォード様の描かれた絵を、刺繍で表現したいと思ったことです」
ブラッドフォードが、絵本の世界を表現した絵。
それをハンカチに刺繍して贈りたいと思ったのが始まりだったと、アイリーンは、にこやかに口にした。
「まあ。アーサーズ公爵子息への思いが発端だったのですね。もしかして、この絵も?」
「はい。ブラッドフォード様の作品です。絵本に登場したドラゴンの、特別バージョンなんです」
カイルも気に入ったドラゴンの話は、人気が出て有難いことにシリーズ化と相成った。
そして今回、初めての刺繍の授業で作る作品は、カイルに贈るタイにすること、絵柄はそのドラゴンにするつもりだと言ったアイリーンに、それならばとブラッドフォードが特別に描き下ろしてくれたのが、この絵。
「おふたりは、本当に仲がよろしいですよね。私も婚約するなら、アーサーズ公爵子息のように、大切に慈しんでくださる方がいいです」
「ブラッドフォード様は、最高の殿方ですから」
推し!
最高!
「まあ。ごちそうさまです」
ふふ、と笑い合い、なんとか叫びは心のなかだけに抑えたアイリーンは、そのまま刺し進めて行った。




