五、三位一体 4、
「すみません。私、そこまで思い至ってなくて。ブラッドフォード様、ご親戚の方たちとかに、苦言を呈されたりしていませんか?」
貴族は自分で絵筆を持ったりしない。
しかも、ブラッドフォードの生家であるアーサーズ家は、親族も関係貴族も数多ある貴族最上位の公爵家なのだから、嫌がられても当然なのではと心配を募らせるアイリーンに、ブラッドフォードは問題無いと笑みを浮かべた。
「それは、大丈夫だよ。僕は、小さい頃から絵を描くのが好きだったからね。まあ、僕は跡継ぎだし、趣味の範囲を越えないならって、曾祖母にはしつこく言われて来たけど」
最後の言葉を苦笑と共に言ったブラッドフォードに、アイリーンが、ずずいと近づく。
「え!?趣味の域、軽く越えちゃいましたよね!?どうしましょう!これはもう、私がブラッドフォード様を蟻地獄のような場所にお連れしてしまったと、皆様に責められても文句言えな」
「はいはい、落ち着いて、アイリーン。ほら、息を吐いて、吸って」
私欲が発端とはいえ、既に幾枚もの絵を描いてもらっていて、しかもそれを事業にするというのだから、これはもう趣味の域ではないだろうと、青褪め、爆走するアイリーンを、ブラッドフォードが、どうどうと落ち着かせる。
「・・・ブラッドフォード様。なんだか私の扱いに慣れてきましたね」
「嬉しいよ。達人の域まで目指すんだ」
わくわくした様子を隠しもせずに言うブラッドフォードを、アイリーンはじとりと見た。
「そんな目標、要ります?」
「必須だよ。それと、僕が絵を描いてアイリーンが物語を作る、絵本を事業にしようと言ったのは、そもそも僕だし、両親も祖父母も納得している・・というか、応援してくれているから心配要らないよ」
さらりと言って、ブラッドフォードは、アイリーンの、くるんとしたはしばみ色の毛先を、つんとつつく。
「あ、その部分。コロネみたいで美味しそうですよね」
「え?コロネ?可愛いとは思うけど、え、美味しそうって?」
『コロネ、食べたい』と、うっとりしてしまったアイリーンを、またもブラッドフォードが不思議そうに見やった。
「コロネは、パイ生地をちょうどこんな風に焼いて、空洞部分にクリームを入れたお菓子です。パン生地で作ってもいいんですよ」
「へえ。美味しそうだね。今度作ってよ」
「はい!」
「で。うちの領の、絵具の話も聞いてくれる?」
仕切り直すように言ったブラッドフォードに、アイリーンは、こくりと頷く。
「はい。私が聞いてもいいのなら」
「アイリーンに聞いてほしいんだ。さっきも言ったけど、アイリーンはやがて家族になるんだから」
そう言って小さく息を吐き、ブラッドフォードは、かつてアーサーズ家で何があったのかを語り出した。
「僕の曾祖父が、画家を目指していたという話をしただろう?相当に本気だったらしくて、跡取りだったにも関わらず、家出までしているんだ。でも直ぐに連れ戻されて、婚姻している」
「家出をして、画家を目指そうとなさったのですね」
公爵家の嫡男としては許されないことだろうが、本人はそれほど強く望んだかと、アイリーンはしんみりしてしまう。
「まあ。希望する人生を歩めなかったということはあるだろうけれど、その時にも公爵家の家宝など持ち出して換金しようとしていたそうだから、同情は出来ないんだよね。それに、婚姻した相手を大事にすることも、貴族としての責任を果たすことないのに、権利だけは甘受していたそうだから」
そう言って、既に公爵家後継としての教育を受けているブラッドフォードは、苦い顔で続ける。
「公爵家の領地経営や事業は、すべて高祖父母や己の伴侶に任せて、自分は本邸と同じ敷地内に別邸を建て、そこに画家仲間を住まわせていたそうなんだ。仲間兼パトロンだね。それで、当然のように彼らの生活費や活動費まで、すべて公爵家の財で担っていたうえ、そのうち幾人かは愛人だったというんだから、驚きだよ」
「まあ、それは。なんというか、ご家族公認だったということでしょうか?夫人は、政略で?」
夫は公爵としての仕事は一切せず、画家として暮らし、かといって生活費は公爵家が出して当然と言い、果ては仲間の画家や愛人の生活までも面倒をみさせられる。
その夫人の気持ちはいかばかりかと思ってから、アイリーンは、先ほどは望む人生を歩めない辛さを感じたことを思い出し、複雑な思いがした。
画家になりたいのに、公爵家を継がなくてはいけない。
それは、辛いことだったのかもしれないけれど、そのために責務を放棄し、あまつさえ父母や妻を大事にしなくてもいい、という理由にはならないわよね。
でもきっと、ひいおじいさまにしてみれば、自分は公爵家に生まれたくて生まれたわけじゃない、って気持ちもあって。
だけど、好きに絵を描いて、パトロンになることまでできたのは、その公爵家の生まれだからで。
うーん。
見る角度によって、人生色々ってことかしら。
「曾祖父の妻となったひとは政略で、子供のころからの婚約者だったそうだ。だから、曾祖父が絵ばかり描いて、跡取りとしては無能だということも承知していたらしい。高祖父母も、早くに我が子を見限って、嫁いで来る彼女との間に子供が出来次第、そちらに全力で教育をすると決めていたそうだよ」
「まあ。種馬のよ・・・んんっ」
既に色々見限られ、血筋を残すための存在とされていたのかと認識したアイリーンは、直截な物言いをしかけて、慌てて口を噤んだ。
「そういう扱いだったんだと、僕も思うよ。ただ、嫡男・・僕から見ての祖父が誕生して、跡取りを設けたのだからと断種を要求されたとき、曾祖父は妻である夫人にそれでいいかと聞いたそうなんだ。子供を、これ以上持てなくてもいいいかとね」
「自分が嫌だとか、愛人にも子を産ませたいとか、ではなく?」
家のことを放棄し、愛人を数人持ち、夫人のことなど眼中に無かったのではという、これまでの話とは違う内容に、アイリーンは首を傾げる。
「うん。そもそも、曾祖父は愛人には絶対孕ませないようにしていたとかで、そこは、公爵家の人間としての意識が、きちんとしていたのかなと思うんだよね」
愛人が子供を産めば、少なからず揉め事が起きる。
それを避けようとしていたのではないかと、ブラッドフォードは評価した。
「奥様は、複雑だったでしょうね」
「はは。複雑か。アイリーンは優しいね。それを聞いた曾祖母は『は?わたくしが、あなたの子をもっと望むと言うとでも思っていらっしゃるの?笑えない冗談ですわね』と返したそうだから」
『はじめから期待も望みも持たなければ、腹も立たない』というのが、曾祖母の口癖だったと、ブラッドフォードは、在りし日の彼女を思い出したように口真似する。
「私も、ひいおばあさまにお会いしてみたかったな」
「夫に代わって公爵家を切り盛りしていただけあって、きりりと凛々しい方だったよ。でも、可愛いところもおありでね。曾祖父が残した自分の絵を、大切に飾っていらした。幼馴染が『自分の最高傑作だ』と言った作品だからと言ってね」
「幼馴染」
小さい頃からの婚約者だったからの言葉だろうと、アイリーンは咀嚼するように口にした。
「うん。曾祖父は、割りと早くに亡くなったんだけど、その直前に、漸く納得のいくものが出来たと、曾祖母の絵を大々的に披露したらしい。それが、さっき言った、曾祖母が大事に飾っていた絵だね。それは本当に見事な出来なんだけど、タイトルが『最愛』なんだよね。当時、それを知った愛人のひとりが、怒り狂ったという話も残っている。自分が、一番に愛されていたはずなのにって」
「人の心って複雑なのね」
夫人と過ごした時間よりも、愛人と過ごした時間の方が長かったはずなのに、最後に残したのは、夫人への思いだった。
それを、夫人はどう受け止めたのか。
「あ。だから、幼馴染?」
夫婦として過ごした時間は、夫人にとって既に割り切った、冷たいものだったのかもしれないが、幼少期からの友人と思えば情も残っていたのではないかと、アイリーンは呟いた。
ありがとうございます。




