三、婚約式 7、
「ぼくは君に、名前を呼ぶことを許した覚えは無いが?」
底冷えのするようなその声に一瞬怯むも、アンドレアは、庇護欲を引き出すような仕草で、ふるふると首を横に振って懸命に訴える。
「ほ、本当なんです!その子は、あたくしが王子妃に選ばれる可能性があるために、未だフォー様と婚約できずにいたのをいいことに、横取りしたんです!それでも、あたくしの方が可愛いから、フォー様が、あたくしの方がいいと言ったからと睨んで!誰もが、あたくしを望むのは当然のことなのに!逆恨みされたんです!」
「はあ。妄想、ここに極まれり、だな」
「クリス様!気を付けてください!この子、クリス様にも接近しようとするかもしれない、恥知らずなんですから!」
冷たい瞳で拒否するクリスに、縋りつかんばかりに叫ぶアンドレアからクリスを守るよう、モーリスが一歩前に出た。
「ギャレット侯爵令嬢。アーサーズ公爵家とドレイク伯爵家は、事業提携における、より深い両家の結びつきを求めて婚約に至った。そして、それ以前に於いても、アーサーズ公爵家やブラッドフォードが、ギャレット侯爵家との結びつきを求めた過去は無い。つまり、ドレイク伯爵令嬢が横取りしたという事実は、どこにもない」
「何を言っているのよ!それってつまり、ドレイク伯爵家が事業を提携しているからって、脅して婚約を結んだってことでしょう!フォー様が可愛そうだわ!政略で、こんなに可愛いあたくしを諦めて、こんな子の傍に居なくてはならないなんて!」
髪を振り乱し叫ぶアンドレアが、再びアイリーンを鋭く睨み、取り巻きのふたりもアイリーンを睨む。
こ、こっわ。
言っていることは意味不明だし、嘘八百なのに、この自信。
何も知らないひとが聞いたら、信じそう。
「大丈夫だよ、アイリーン」
その時、隣のブラッドフォードがアイリーンの手をそっと握った。
「はい。アーサーズ公爵子息」
握られた手のあたたかさに勇気をもらったアイリーンは、ひとつ息を吐いて、まっすぐアンドレアを見る。
「ギャレット侯爵令嬢。それ以上、アーサーズ公爵家及びアーサーズ公爵子息を貶める発言は、お控えください」
「何を偉そうに!この泥棒猫!あたくしが貶しているのは、ドレイク伯爵家とあなたなの!話をすり替えないでちょうだい!これは、正当な訴えなのだから!」
冷静な声を発するアイリーンを、ブラッドフォードが瞳を輝かせて見つめ、そんなブラッドフォードとアイリーンを、クリス、アシュトン、モーリスが、おかしみの籠った目で交互に見つめた。
「アーサーズ公爵子息とわたくしの婚約は、アーサーズ公爵家と我がドレイク家、両家の合意によって成されました。それに不満を持つということは、アーサーズ公爵家の決定に対し、異を唱えるということです。しかも、ドレイク家に脅されて結ばされた婚約である、などという言い方は、アーサーズ公爵家の力を軽んじる発言に他なりません。撤回してください」
「アイリーンの言う通りだ。僕とアイリーンの婚約は、両家と僕達本人の意思で結ばれた吉縁なんだ。つまり、横槍を入れようとしているのは、そちらの方。しかも、僕とアイリーンの婚約式という、晴れの場での暴言に妄言。許されると思うなよ?」
嬉しそうにアイリーンの言葉を聞いたブラッドフォードが『自分達も望んだ婚約だ』と付け加えるように言った瞬間、アシュトン達は、こらえ切れないとばかりに楽しそうな笑みを浮かべ、周囲もまた、しっかりと手を繋ぎ合ったまま、突撃して来たアンドレアに向かうふたりを見守る。
「フォー様!目を覚ましてください!そんな子に騙されないで!あたくしは、クリス様のお妃に選ばれてしまうかもしれませんが、フォー様との縁も切ったりしませんから!」
「なっ。ブラッドフォード様になんてことを!いいですか、ブラッドフォード様は、唯一の相手と相思相愛で幸せな一生を送るんです。そんな、日陰者みたいな扱い、絶対にされないんだから!」
そうよ!
ブラッドフォード様は、ヒロインと出会って幸せになるのよ。
それなのに、何を言っちゃってくれちゃっているのかしら!
「アイリーン!」
「おお。よかったな、ブラッドフォード。いきなり願いが叶って」
アイリーンが叫んだ瞬間、ブラッドフォードが歓喜の声をあげ、アシュトンが心願成就を祝う。
「ああ。ありがとう、アイリーン。絶対、一緒に幸せになろうね」
「え?」
『僕の唯一』とブラッドフォードに言われ、繋いだ手を、更にぎゅうっと握られて、アイリーンは自分が『ブラッドフォード様』と声に出して叫んだ事実に思い至って、赤くなった。
「あ、ち、ちがっ。今のは、つい心の声が漏れて、声に出して言ってしまっただけで・・・!」
「アイリーン。それってつまり、心のなかでは、僕のこと『ブラッドフォード様』って呼んでくれていた、ってことだよね?」
「あっ。そ、それは・・そう・・なのです・・が・・っ」
心のなかで『ブラッドフォード様』と呼んでいたのは事実だし、何ならブラッドフォード賛歌を熱唱していたアイリーンは、しどろもどろになってしまう。
「よかったな、ブラッドフォード。そしてドレイク伯爵令嬢。心から、ふたりの婚約をお祝いする」
「「ありがとうございます」」
クリスから述べられた祝いの言葉に、アイリーンは咄嗟にブラッドフォードと声を合わせて礼を言ってしまい、ブラッドフォードと、ふふと笑い合った。
なんだか、すっごく心地がいい。
アイリーンは、素直にそう感じていた。




