三、婚約式 6、
「うん。その間抜けな声も表情も可愛いよ、アイリーン。そして、僕の言葉を全否定しているのが分かって、とても嬉しい」
「はあ、そうですか・・それはよかっ・・なっ・・間抜け!?」
にこにこと上機嫌に言われ、またも気の抜けた返事をしかけたアイリーンは、慌てて表情を引き締める。
「ははっ。残念だなあ。俺は、ドレイク伯爵令嬢なら大歓迎なのに。ねえ、俺も名前で呼んでいい?もちろん、俺のこともアシュトンと呼んでいいからさ」
「え、あ、はい。私のことは、アイリーンとお呼びください。キーズ辺境伯子息」
言外に、自分の名は呼んでも良いが、こちらは名前呼びしないと告げるアイリーンに、アシュトンは苦笑した。
「うーん。鉄壁だなあ。『いいですよ』とか『かまいません』っていう了承の言葉だけだったら、言質取ったって言って、俺の名前呼んでもらうのに」
「馬鹿も休み休み言え、アシュトン。僕だって未だ、名前で呼んでもらえていないのに」
『アイリーンから最初に名前で呼んでもらうのは、僕に決まっているだろう』と言い切るブラッドフォードを、アシュトンは面白いものを見るように見つめる。
「へえ。普段『令嬢は、どうしてあんなに面倒な生き物なんだろう。煩いし臭くてかなわない』って言ってるブラッドフォードが、ねえ」
「アイリーンは、煩くも臭くもない」
なぜか、自分が胸を張るブラッドフォードに、アシュトンは頷いて全面同意した。
「うん。確かに、爽やかな香りがするよね」
「っ。アシュトン。守ってくれたことは感謝するが、それ以上アイリーンに近づくな」
慌ててアイリーンを自分の後ろに隠すブラッドフォードを、アシュトンがお腹を抱えて笑う。
「うわあ。溺愛しているなあ。アイリーン嬢、重たくなったらいつでも俺のところに来なよ」
「こんな話、聞かなくていいぞ、アイリーン」
「お。そんな風に言っていいのか?この間、お前がアイリーン嬢に内緒でって」
「アシュトン!」
揶揄うように言ったアシュトンに『黙れ』と言って、肩でアシュトンの肩を押すブラッドフォード。
攻略対象ふたりが、しかも片方は推しのブラッドフォードが戯れる姿に、アイリーンの瞳は、きらきらと輝きっぱなし。
ああ、眼福。
ゲームにもなかった、素晴らしき場面。
ブラッドフォード様が、気を許しているキーズ辺境伯子息なればこそ。
ありがとうございます、キーズ辺境伯子息。
最高のアシストです!
「あっ、あの」
「それで?アイリーン。そこの場違いに派手な扇を持った奴に、何を言われたの?」
アシュトンの攻撃を受け、その場で石化したかの如く固まっていたアンドレアが、復活して声をかけようとしたのを目だけで制し、ブラッドフォードはアイリーンに優しく尋ねた。
「あ、はい。ギャレット侯爵令嬢は、私よりも『フォー様』と愛称呼びを許されているご自分の方が、アーサーズ公爵子息にはふさわしいとおっしゃって・・あ!もしかして、フォー様というのが、前にアーサーズ公爵子息が望まれていた愛称」
「違うから。そもそも、そんな奴に愛称呼びどころか、名前を呼ぶことも許していない。簡単に信じるなよ」
苦虫を嚙み潰したように言われ、アイリーンは首を傾げる。
「そうなのですか?でも確かに、ギャレット侯爵令嬢は『フォー様』って」
「だから、そいつが勝手に呼んでいるだけだし、そんな呼ばれ方、望んでいないって。いや、アイリーンが呼んでくれるなら、フォーでもいいけど」
「え。フォー様、ですか?でも、そうお呼びしたら、毎回おいしそうだなって食べたくなってしまうかもしれません」
完璧に前世の食べ物を想像できるようになったアイリーンは、フォーと聞いただけでその食欲そそる匂いまでもを思い出してしまうようになるに違いないと、思わずこくりと喉を鳴らしかけた。
「え。ドレイク伯爵令嬢。大胆だね。ブラッドフォードを食べるの?意外と肉食系?」
「キーズ辺境伯。いえ、そうではなくて、ですね」
大仰に驚いてみせるアシュトンに、まさか前世の食べ物の名前なのだと言うわけにもいかず、ちらりとブラッドフォードを見るアイリーン。
「アシュトン。アイリーンにおかしなことを吹き込むな。もちろん、アイリーンに食べられるのなら本望だけど」
そんなアイリーンの視線を受け、アシュトンの『食べる』の意味を、深くは理解していないとほっとしつつ、ブラッドフォードはアイリーンに『その合図理解した』と軽く頷いてみせた。
もちろん『後でくわしく』と、合図し返すことも忘れない。
「あの、アーサーズ公爵子息。それならどうして、ギャレット侯爵令嬢は、アーサーズ公爵子息をフォー様とお呼びになるのでしょう?ギャレット侯爵令嬢は、アーサーズ公爵子息より許可を得たとおっしゃっていたのですが」
ブラッドフォードの話とは異なると、アンドレア本人に確認しようとしたアイリーンの、その両肩を、ブラッドフォードがそっと掴んだ。
「っ」
「駄目。アイリーンは、僕を見ていて」
そしてアイリーンの顔を自分に固定させると、ブラッドフォードはアイリーンの、はしばみ色の瞳をじっと見つめた。
「アーサーズ公爵子息?」
「よく聞いてね、アイリーン。僕が名前や愛称で呼んでほしい令嬢は、アイリーンただひとり。そこの派手な扇女が何か言ったとしても、それは勝手に言っているだけの戯言だ。僕はアイリーン以外の令嬢に名前呼び、ましてや愛称呼びなど望んだりしていない。そしてそれは、この先もずっと、アイリーン以外の全員に適用される事項だ。つまり、僕を名前や愛称で呼ぶ令嬢は、この先もずっとアイリーンだけ。僕の特別はアイリーン。分かった?」
もの凄い眼力と共に、噛んで含めるように言われ、アイリーンは、こくこくと懸命に頷く。
ふわあ。
ブラッドフォード様の瞳、強く輝いて、とってもきれい!
吸い込まれそう。
ああ。
この距離に居られる我が身の至福よ。
この幸運をくださったすべてのものに、感謝いたします!
「へえ。なかなかに面白い話をしているね。ぼく達も混ぜてくれるかな?」
「お、王子殿下!」
じっと、魂を飛ばして麗しいブラッドフォードの碧眼を見つめていたアイリーンは、声をかけてきた相手が、クリス王子だと知り、慌てて淑女の礼を取った。
「ああ、楽にして。ぼくは、ブラッドフォードの友人のクリス・アンブラーだ」
そんなアイリーンに、クリスは軽く手を挙げて微笑みを浮かべる。
「オレは、モーリス・フレミング。同じくブラッドフォードの友人だ」
そしてクリスと共に現れたモーリスにも自己紹介をされ、アイリーンは緊張しつつも挨拶を返す。
「アイリーン・ドレイクでございます」
「クリス様!その子が、あたくしをいじめるんです!あたくしが、可愛いからって理由で!」
「え」
そこで、瞳を潤ませたアンドレアに割り込まれ、指をさされて、アイリーンは理解できずに固まった。
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