三、婚約式 4、
「あなた、自分の姿をきちんと見たことが無いのでしょう。ああ。もしかして、鏡が無いのかしら」
「いいえ、あります」
ブラッドフォードとアイリーンの婚約式も半ばを過ぎ、宴もたけなわという時分。
『ちょっと外す。すぐに戻るから』と、共に挨拶をしていたブラッドフォードが侍従に呼ばれて抜けてしまったその後も、何とか祝いの言葉をかけてくれる人々に、笑顔で挨拶をしていたアイリーンは、突然、行く手を阻むように現れた貴族令嬢から放たれたその言葉に、思わず真顔で答えてから『あ、これは』と気づいた。
あ、いけない。
咄嗟に本気で答えてしまったけれど、これは、嫌味というものね。
それを証拠に、なんか、ご令嬢のお顔が怖いことに。
おお、般若!
「ちょっと!いい気にならないでよ!それとも、こんな嫌味も通じないというの!?本気の馬鹿!?そこは、あたくしの美貌と、鏡に映った平凡な自分の容姿を思い出し比べて、傷つくところでしょうが!」
すると案の定、アイリーンの受け答えが気に入らなかったらしい令嬢が、眦を釣り上げて抗議してきた。
うわあ、怒り出しちゃった。
ええと。
ちょっと、待って、落ち着いて。
・・・うん。
このご令嬢は確か、アンドレア・ギャレット侯爵令嬢。
それで、ギャレット侯爵令嬢の後ろから、同じく攻撃目線をくださっている、いかにも取り巻きですってふたりのご令嬢が・・・・・。
すみません。
伯爵位までの方しか、覚えておりません。
「そう。そういうこと。あなた、自分が、フォー様に相応しいと勘違いしているのね」
混乱しつつも、何とか情報をまとめようとしていたアイリーンは、そのアンドレアの言葉のひとつに、完全に意識を持っていかれた。
「フォー・・様?」
「ふふ。そうよ、フォー様。ブラッドフォード・アーサーズ公爵子息のことよ。あたくしは、フォー様と呼ぶことを許されているの。あなたとは、違うのよ。ああ。あたくしのフォー様」
開いた扇の上からアイリーンを勝ち誇った目で見やったまま、うっとりとした声で告げるアンドレアだが、実際のところ、そんな彼女の存在など最早アイリーンの眼中に無い。
ただ、自棄に派手な扇を見つめたまま、アイリーンは既に自身の思考に沈んでいた。
フォー様・・フォー。
ああ、なんか。
そういう美味しい食べ物があった記憶、発見。
米粉の麺とエスニックなスープが癖になるのよね、あれ。
そしてそこに、ライムをちょっと垂らしたら、もっと最高!
・・・思い出したら、食べたくなっちゃった。
米粉、手に入るかな。
あとは、魚醤かあ。
「ねえ!ちょっと!聞いていますの!?」
「・・・・・」
え?
あ、いけない。
今私、ギャレット侯爵令嬢から難癖を付けられている最中だった。
それで、ええと。
『話を聞いていたか』だっけ?
うーん。
『<フォー様>のところまでは聞いていたけど、その先はまったく聞いていませんでした。何なら、響きだけが同じで、全然違うフォーのことを考えていました』・・なんて正直に言ったら、殺されそう。
「あなた。いい気になるのも、大概になさることね。アンドレア様を差し置いて、ブラッドフォード様の婚約者だなんて、図々しいにもほどがあるわ!」
「そうよ!あんたみたいな平凡顔より、お美しいアンドレア様の方が、ずっとずっとブラッドフォード様に相応しいわ!」
そして分かりやすく取り巻きと思しきふたりの令嬢の叫びに、アンドレアが満足そうな微笑みを浮かべた。
「ふふ。ありがとう、ふたりとも・・ねえ、お分かりでしょう?周りはみんな、そう思っているの。家格でも本人の素養でも、アーサーズ公爵家に真に相応しいのは、ギャレット侯爵家の、このあたくしだ、って」
わざとらしく扇を使いながら、勝負あったと言わぬばかりに嘲笑うアンドレアに、アイリーンはこくりと頷きを返す。
「なるほど。そういったお話でしたら、私にではなく、アーサーズ公爵家に直接お願いします」
『ええと、今はどちらに』と、アーサーズ公爵夫妻か、そろそろ戻るはずのブラッドフォードか、どちらでも大丈夫かと辺りを探し始めたアイリーンに、アンドレアは苛ついた様子で、ぱしんと激しく扇を閉じた。
それはアイリーンが『うっわ。自分の手が痛そう』と、心配してしまうほどの激しさ。
「いい加減になさい!そういうことではありませんのよ!あなたが!何をしたか、分かっているのかと、あたくしは言っているのです!この恥知らず!立場を弁えなさい!」
そうして苛立つアンドレアに間合いを詰められ、閉じた扇を振り上げられて、咄嗟に後ずさりそうになるも、ここで後ずさったらアーサーズ公爵家の名を汚すことになると、アイリーンは口を引き結び、お腹に力を入れて耐える。
く、くだらない貴族の立場合戦とも思うけど、この場は譲っちゃ駄目な案件!
たとえ相手が、アグレッシブ般若ですっごく怖くても、頑張れ私!
アーサーズ公爵家とドレイク伯爵家のために!
『いいですか、アイリーンお嬢様。暴力が怖いからと安易に相手に屈すれば、その立場は後々にまで影響します。つまり。その相手に舐められ、頭が上がらなくなってしまうのです。そして、ひいては、家にまで影響を及ぼす事態を招くことになるのです。それが貴族というものなのです』
そんな家庭教師の恐怖の言葉を思い出し、アイリーンは静かに深く息を吐くと、無の精神で無理矢理微笑みの形に口角をあげて、アンドレアを見つめ返した。
ああ、でも怖い。
蛇に睨まれた蛙の気持ちがよく分かる・・って!
今!
今、ヒールをかつんっ、って鳴らした!
怖い怖い怖い。
突進して来る前の闘牛みたい。
いや、闘牛には、実際に突撃されたことないけれども!
「ちょっと!なんとか言ったらどうなのよ!この末端令嬢の恥知らず!」
っ!
は、早く何とかしないと!
ええと、蛇に睨まれた蛙が、蛇を撃退する方法。
今の場合は、末端令嬢がアグレッシブ般若を躱す方法・・・このまま、引き攣っているに違いない笑みを浮かべていれば、勝手にいなくなってくれる?
いやいやそんな玉じゃあ、ないわよね。
じゃあ、どうする?
ああ何か、何とかしないと、このままじゃ、じり貧。
「へえ。恥知らず。恥知らずかあ。いやあ。恥知らずは、そっちなんじゃない?」
正に背水の陣と、心臓をばくばくさせながら懸命に考えているアイリーンの耳に、そんな飄々とした声が届き、鮮やかなオレンジ色の髪が、その視界に入り込んだ。
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ありがとうございます。




