三、婚約式 2、
「ねえ、ところで。レイラもアイリーンも、髪がとてもきれいなのだけれど。何か、秘密があるの?」
話が一段落したところで、カイルを膝に乗せたままのシンシアが、瞳を輝かせてそんなことを口にした。
「まあ、ありがとうございます。あーさ・・シンシア様。わたくしは、アイリーン特製のヘアパックを使っているのです。カイルを産んでから、髪がぱさついてしまっていたのを気にしていたら、アイリーンが考えてくれました」
『ね?』と、嬉しそうな母に視線を向けられ、アイリーンは、こくりと頷きを返す。
「はい、アーサーズ公爵夫人。お母様が悩んでいらしたので、本を読んで得た知識で作ってみました」
「ふふふ。アーサーズ公爵夫人、ねえ。ねえ、アイリーン。今はそれでいいけれども、慣れたらお義母さまと呼んでね。それで。アイリーンも、そのヘアパックとやらを使っているの?」
「あ、はい。たまにですが、使った方が髪がきれいになるので」
『ふうん。本で得た知識、ねえ』と、またも隣でにやつくブラッドフォードを肘で軽くつつき『慣れたらお義母さまと呼んでね』と、断りづらい願いを盛り込んだシンシアに顔を引き攣らせつつ、アイリーンは丁寧に答えた。
そんなアイリーンに、ブラッドフォードは意味ありげな笑みを浮かべて囁く。
「気づいていないみたいだけど。アイリーン。今の『はい』で、母上が願う『お義母さまと呼んで』も、了承してしまったよ?」
「あ」
「大丈夫。そういう、ちょっと鈍いところも可愛いから」
「もう!アーサーズ公爵子息は、そうやって揶揄ってばかり」
『知らない』と、横を向くアイリーンを、楽しそうに振り向かせようとするブラッドフォードと、心底から拒絶しているわけではないことがよく分かるアイリーン。
そんなふたりを満足そうに見つめ、シンシアは膝に座らせたカイルに、お菓子を食べさせる。
「うっあ!」
「おいしい?」
「う!」
両手を頬に当てて美味しいを表現するカイルを、両親である伯爵夫妻はもとより、公爵夫妻も蕩けるような眼差しで見つめた。
「可愛いわ。ブラッドフォードも、このくらいの時は、本当に可愛かったのに」
「嫡男がいつまでも可愛かったら、その方が問題でしょう」
カイルのぷくぷくの頬をつつき、恨みがましく言うシンシアに、ブラッドフォードは澄まして答える。
「そうよね。アイリーンと、新しい事業を始めたいなんて、本当に成長したと、母は嬉しく思っていますよ。それでね、レイラ。この子たちは、絵本の方の事業で忙しいでしょう?だから、そのヘアパックとやらは、わたくしたちの方で事業展開しない?」
「っ・・は!?わ、わたくしが、ですか!?」
公爵夫人に失礼が無いよう、気をつけてカイルを見守っていたレイラは、突然の話の流れに、淑女らしからぬ素っ頓狂な声をあげた。
「レイラ。大丈夫か?失礼ながら、アーサーズ公爵夫人。ヘアパックを事業にとは、いったいどういうことでしょうか?」
そんな妻の窮地に、ドレイク伯爵は困惑しながらも問いかける。
「どういうもこういうも、そのままよ。もちろん、アイリーンの知識なのですから、わたくしたちもきちんと学んで、アイリーンにも収益が行くようにします」
「シンシア。少し待ちなさい。先走り過ぎだ」
身を乗り出すようにして話すシンシアを、夫であるアーサーズ公爵が苦笑と共に制した。
「あら、ごめんなさい。ふたりの髪が余りに美しいから、これは事業になる、誰かに真似される前に先取りしなければと思ってしまって」
「い、いえ、お謝りにならないでください」
素直に謝罪するシンシアに、レイラは即座に首を横に振る。
「アーサーズ公爵夫人。わたくしの発案が事業になるというのは、俄かには信じられませんが、髪を美しいとおっしゃっていただけるのはとても嬉しいですので、今度アーサーズ公爵夫人にも、わたくし共が使っているヘアパックについてお教えします・・・お母さま、それがいいと思いませんか?」
「そうね。お使いになってみていただくのが、一番ね」
アイリーンの言葉に、レイラがほっとしたように頷いたのも束の間。
今度は、ブラッドフォードがアイリーンへと身を乗り出した。
「流石は、アイリーン。まずは自身での使用を薦めるなんてとても建設的だ。でも、確かにレシピは早めに、きちんと保護した方がいいかもしれない。ドレイク伯爵、もしかして、そちらの権利も既に申告されていますか?」
「いえ、それはしておりません。確かに、ふたりとも髪が美しくなったとは思いますが、髪の洗浄液は既にありますので」
「なるほど。ですが、アイリーンの考えるものです。僕もきちんと確認しますが、既存の物とは似て非なる物である確率が高いかと思います。その際には、伯爵にもご確認いただき、是非申請の方を、お願いしたく思います」
「わかりました」
十二歳とは思えない公爵子息の弁に、ドレイク伯爵は、上司に対するように了承の意を示す。
「ドレイク伯爵。妻と息子が申し訳ない」
「いいえ、とんでもありません」
そんな妻子の様子に苦笑いを浮かべた、身分が上のアーサーズ公爵に謝罪され、ドレイク伯爵は恐縮しつつも、本心から謝罪の必要は無いと伝え、裏の無い笑みを浮かべた。
「そう言ってくれると有難い。そこでどうだろう。これからは、縁戚として近しく付き合っていくことだし、事業の提携も更に増えそうなのだから、私のことはブルーノと、名で呼んではくれないか?」
「は。で、では。私のことは、ハドリーとお呼びください」
伯爵位の自分が、公爵閣下の名を呼ぶことになった。
その事実に、鳩が豆鉄砲を食らったような思いをしつつも、流石の社交術でハドリーはそれを表に出すことなく、表面は穏やかなままに答える。
「ああ。ハドリー。これからも、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
こうして、まんまと名前呼びを手に入れた両親、その見事な手腕を目の前で目撃したブラッドフォードは、憧憬とも焦燥ともとれる瞳で呟いた。
「僕は未だ、アイリーンに名前で呼んでもらえていないのに」
「ふ。まだまだ、だな」
「精進なさい」
そしてそんな失意のブラッドフォードに、公爵夫妻は、先達者らしい言葉をかけた。
~・~・~・~・~・~・
ありがとうございます。




