左の小指と冷凍食品
「なななな何が起きてるんですかーーーっ!?」
106号室から外に出た彩華さんが、大声で叫んだ。そしてその一瞬、葉隠の視線がそれた。
「今だっ!!」
見えない指を伸ばす。
(届け、届け、届け……!)
10センチ、
5センチ、
1センチ……!
「秋津平坂っ!!」
葉隠が銃弾を放った。銃声と共に右腕に鋭い痛みが走る。
「がぁっ……」
声にならない悲鳴が出るも、それでも届いた感触があった。
「壊れろ……っ!!」
見えない指で凍結装置をぶっ叩く。白い結晶がぱらぱらと崩れ、凍結装置がその構造体を維持できなくなる。
ダメ押しでもう一度叩くと、それはバラバラと崩れ白い粉に変わっていった。
ガラスが割れるような音がすると、その直後に早乙女さんが息を大きく吸う音が聞こえてきた。
消えゆく意識の中で僕が最後に見たのは、その権能を存分に発揮して大暴れする早乙女さんの姿だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――――らさかくん、平坂くん!!」
早乙女さんの声が耳元で響いてくる。がんがんと痛む頭痛に何とか耐えながら、僕は目を開いた。
「平坂くん!!!」
ふわふわが飛び込んできた。やめて早乙女さん、腕痛いの……。というかここ、僕の部屋?あれからどのくらい経ったんだろう。
「意識を取り戻したからには、ひとまず安全圏に入ったかと思います」
白衣を着た知らない人が早乙女さんに話している。彼女は「良かった」とほっと胸をなでおろすと僕の布団の上から覆いかぶさった。
「うあああああよかったあああああああ」
「早乙女さん、お、重い」
「おおおお重いだとぉ!?みんなよりちっちゃいのに!?」
「そうじゃなくて、その、体調的に……」
「あ、ああそうだよね、ゴメンゴメン」
早乙女さんが身を引いてくれたので、彼女の向かい側に座っている白衣の男の人を見た。お医者様だろうか?僕のそんな疑問を先読みしたかのように、その男の人は僕に向かって話しかけてきた。
「どうも、私はADA医療支部の榎です。榊研究員の要請でこちらに来ました。これが何本か分かりますか」
榎と話した男がピースサインを僕の目の前でゆらゆら揺らした。僕が「2」と小さく呟くと、彼は嬉しそうにうなずく。
「大丈夫そうですね。撃たれたと聞いたときは驚きましたよ」
「申し訳ありませんでした……」
榊さんがのぞき込んでくる。僕は身体を起こして周囲を見た。りつ姉と彩華さんも心配そうに僕の方を見ていた。
「まあなんとか大丈夫なんで……。あの人……葉隠さんでしたっけ、は何だったんでしょうか」
「彼は私達ADAの18支部の部長なのですが、私達穏健派と違い、異常体は積極的に封印すべしという急進派のトップでもあります」
「急進派……?」
「ADAも一枚岩じゃないってことですね」
「ええ。ですから今回の計画書もダメもとで提出したのですが、まさかここまでの強行手段を取るだなんて……」
そういうと榊さんは申し訳なさそうに頭を下げた。でもたとえADAのやったことだとしても、僕は彼女を責める気にはなれなかった。僕だってADAの事情も分からずに強引に提案してしまったんだし、責任の一端は僕にもある。
「まぁこの通り大丈夫ですから、顔を上げてください。」
「平坂くん!?」
早乙女さんが驚いて顔を上げた。なんとなく彼女の頭を撫でる。ふわふわしてて気持ちがいい。それでもシッカリ頭蓋骨の硬さは感じるし、彼女も生きてるんだなあと分かるとちょっとだけ嬉しい。
撫で続ける僕の腕を引きはがしながら、彼女は話を続けた。
「子供扱いしないで!それにADAのやったことだよ、許せないよっ!!」
りつ姉も同調するようにうんうん頷いている。
「許せない気持ちだってわかるけど、ここで決別しちゃったらこれまでの努力が無駄になっちゃうよ。それに僕はあくまでりつ姉の願いを尊重したいんだ」
「でも……」
「早乙女さんの気が済まないって気持ちもわかります。でもその分は僕が早乙女さんのいうことを聞いて埋め合わせしますから、どうにか矛を収めてもらってもいいでしょうか」
「……わかったよ」
早乙女さんはしぶしぶながら榊さんの方を見て言った。
「一回しか言わないからちゃんと聞いてね。今回の件、平坂くんの顔に免じて全て赦します。ただし、《《二度目は無い》》と思ってください。今度は早乙女ではなく――乙子狭姫として――全力でADAに敵対することをここに宣言します」
「早乙女さん!!」
僕の口にぷにっと手を当てて、早乙女さんは僕を制止した。
「ごめんね。でも平坂くんの気持ちと同じように、ボクにだって譲れないところがあるんだ」
榊さんもくすりと笑いながら答える。
「安心してください。急進派にとって今回の件はかなり痛手です。なんたって民間人を巻き込んだ上に貴重な凍結装置を失っているんですから。葉隠部長も今回の件で立場はかなり危うくなるはずです。少なくとも乙子狭姫の溜飲が下がるぐらいまでは、大胆な行動は取れないと思います」
「ほんと~?ボクは根に持つタイプだよ?」
「では、まず赤雁の凍結を解除するので下げていただけますか?」
「いいの!?」
「もともと取り決めを守るための形式的なものでしたから。もうお互い取り決めを破った今、凍結も解除するのが妥当でしょうから」
「うんうん、やっぱり話が分かる人間は良いねぇ。また今度ご飯作ってあげるからおいでよ」
「ど、どうも……。ではこのまま赤雁の解放処置をするので私はADAに戻りたいのですが、よろしいでしょうか」
「うん、好きにするといい。赤雁には自分で帰ってくるように言ってくれれば大丈夫だヨ。賢い子だから一人で帰ってこれるから」
「分かりました。では……改めて、この度は申し訳ありませんでした。それと平坂さん、本当にありがとうございました。」
榊さんが綺麗な礼をする。
そうして早乙女さんが「解散!」の号令をかけた。部屋に僕と早乙女さんだけが取り残されると、二人ではぁーと大きなため息をついた。
「とりあえず、みんな無事でよかったよ」
「お腹すいちゃいました」
「ボクも疲れたし、今日は冷凍でもいい?」
「全然構いませんよ。冷凍食品も結構おいしいですし」
「やった~~じゃあチンしてくるね」
「はーい」
てちてちと冷蔵庫の方に歩いていくと、彼女は冷凍のチャーハンを取り出して皿に移すと、電子レンジのスイッチを入れる。
ブーンという低いモーターの音と共に彼女が戻ってくる。彼女は後ろに手を隠して、左右にゆらゆら揺れている。
「そ、それでさ平坂くん……?」
「なに?」
「ボクの溜飲を下げるためなら、な、なんでも言うこと聞いてくれるんだよね……?」
そう言うと早乙女さんが布団の上に乗って、じりじりとにじり寄って来る。
完全に僕の腰にまたがるようにのしかかると、彼女の湿っぽい息が僕の鼻をくすぐった。
「あのー、早乙女サン……?」
もう鼻と鼻がくっついてしまいそうな距離だ。
「…………」
彼女は何も答えない。ぷっくりとした彼女の唇の皺まで見えてしまいそうなぐらいの距離感で、僕はただ垂れていく汗の味を感じることしかできなかった。
吐息を交換しあったその時――。
チン!
と電子レンジの音が部屋に鳴り響いた。はっと彼女と目が合う。早乙女さんの顔が真っ赤に染まって、彼女はバッと身を引いた。
「そ、そのー、えーと、なんでも、いいんだよ……ね?」
「ま、まぁ……」
「じゃさ今度さ、新しいレシピの実験台になってよ。なんか作るからさ」
「わ、わかった。辛いのでも苦いのでもなんでも来て」
「うん、じゃあそれでオッケーね。溜飲下がった下がった……」
気まずい空気から逃げるように彼女は電子レンジに走っていく。僕も恥ずかしさを誤魔化すように顔を洗いに行った。




