サフランと除霊と人間と
「りつ姉……?」
真っ暗なショッピングモールはさっきまでいた沢山の人の気配を失って、暗く冷たい空気が僕を圧し潰してくるようだった。
りつ姉は何も答えない。彼女の表情も暗いフードコートの中では良く見えず、僕は目の前に存在する神への恐怖に包まれていた。
「りつ姉!」
恐怖をかき消すように叫んだ。でも彼女は動かない。しかし周囲の人影を探そうと僕が彼女から目を離したその一瞬の間に、りつ姉は目の前からいなくなっていた。
「は……?」
直後、僕の視界は急速に回転した。後ろから誰かに椅子ごとひっくり返されたことに気づいたのは、衝撃と共に暗い天井が目に入ったからだ。
「ひーくん」
脳天付近からりつ姉の声がして、僕を倒したのはりつ姉なのだとすぐに理解した。彼女の存在を探すために目を動かしても、視界のどこにも映らない。
直後、僕の視界は彼女の手で覆われた。
「ひーくん、ダメです。ダメですよ。私とひーくんはあの時のように仲良く過ごすんです」
「なら、どうして依頼したのか本当の理由を教えてよ。あの時りつ姉は僕が管理人と知らずに電話をしてきたよね。本当の目的は何?」
「……」
りつ姉は答えない。でも僕にはりつ姉が何かに必死になって焦っているのだとすぐに分かった。……彼女の行動から伝わったというのが正確かもしれないけど。だって彼女が僕を少しでも傷つけるようなことなんて、これまでなかった。彼女のサインに僕が気づいてあげないと。
「仮に信仰は足りてるとしたら、新しい怪異を生み出す方だよね。――もしかして、ADAと関係ある?」
”ADA”の一言が出た瞬間、彼女の指がピクリと動いた。それは彼女の言葉を待たずとも分かる肯定のサインだった。
「ひーくんは……ADAについてどこまで知っていますか」
「なんとなく、釣鐘小僧くんみたいな妖怪――異常存在だっけ、を特定して必要に応じて収容してる組織ってぐらいしか知らない」
「……あの子たちは、人間の日常を保つために、その現象が本当に異常なのかどうか文字通り身を粉にして働いているんです」
「なら尚更、怪異なんて生み出さないほうが」
「――私が異常存在を確保・収容する対抗神話を作るんです。私の権能で変わりの組織を作り、誰も異常存在に殺されなくていいようにするんです」
とん、とん、というわずかな振動を、僕の瞼が捉えた。それが彼女の涙だと理解するのにそこまで時間は要らなかった。
そうだ、元を正せば 瀬織津姫は厄払いの女神なんだ。――きっと彼女の紫色の瞳はずっと見てきたのだろう、人間の生活を守るために戦い死んでいったADAの職員たちを。本来厄災から人を守るのが自分の役割であったはずなのに、逆に逆にそれを庇護する立場になったがゆえに人々を守れなくなってしまったんだ。
彼女の気持ちを考えると、僕は胸がキリキリと痛くなった。
「りつ姉は、人間と異常存在どっちも守りたいんだね」
「……ひーくん、助けて。私にはもうどうすればいいか分からないんです」
「分かった。僕に任せて」
ふっと視界が開けたと思うと、明るいフードコートとたこ焼きが僕の視界に戻った。目の前のりつ姉は泣き崩れて机に突っ伏してしまっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そいで平坂くんはまだ依頼を続けることにしたんだ」
ムール貝をフォークでつつきながら、早乙女さんは話した。彩華さんはサフランライスを取り分けて、上に魚介を乗せて僕に渡してくる。それを一口頬張ってから僕は答えた。
「うん、美味しい……じゃなくて。りつ姉に『助けて』って言われたら、もうやるしかないじゃん?」
「気持ちは分かるケド……。ADAの職員もアブノーマルも守る方法を探すだなんて、流石に無茶が過ぎるというか……」
「だから早乙女さんと彩華さんの知恵を貸してほしい、この通りっ」
僕は両手を合わせて彼女にお辞儀をした。彩華さんは一度足を組みなおすと、顔を赤くしながら答えた。
「……平坂くん、時々分かってやってますよね」
「何が?」
早乙女さんが呆れたと言いたげな顔で僕の手を指さす。
「それ祈りのポーズ……」
「あ”っ”」
「……」
「ごめんなさい……。でも本当に困ってるんだよ」
「分かったから、今はご飯に集中!」
「「はーい」」
今日のご飯は、献立に悩む早乙女さんに彩華さんが提案して魚介のパエリアになった。黄色く輝くサフランライスは噛むたびに魚介と米のうまみが漏れ出してきて、思わずフォークが進む。
パエリアとはスペイン料理を代表する米料理だ。パプリカやトマトなどの野菜とエビやイカなどの魚介・それとサフランで香り付けしたライスを炊きこんで作る。ナスが乗っているのは彼女なりのアレンジらしく、魚介とコンソメの出汁を吸ってうまくなるのだとか。
「どう?おいしい?」
「うん。ご飯の炊き具合もちょうどいいよ」
「本当はおこげも楽しめる専用のフライパンを使いたかったんだけど、片付けが大変なんだよねー」
「全然気にならないぐらい美味しいです!」
「でも作るの大変じゃなかった?米も野菜もエビも貝だって入ってるよね?」
「ボクも最初はそう思ってたんだけど、レシピを見ると流石家庭料理って感じで、とりあえず全部入れて炊くだけでもある程度形にはなるみたい。一応パプリカとナスは一度別で焼いたけどネ」
「意外、なんか壮大な料理だと思ってた」
「こだわりポイントはたくさんあるから、簡単だけど奥が深いって感じカナ。初めて作ってみたけど美味しいねー」
早乙女さんも鼻をひくつかせながらモリモリ食べている。三人でお代わりを繰り返している間に、フライパンはあっという間に空になってしまった。
「そいじゃ片付けはボクがしてくるから、二人はお腹を休めてて♪」
「皿洗いならやるよ?」
「わ、私もっ」
「だいじょーぶ。初めて作る料理だから最後もしっかり自分でやりたいノ」
「……そういうことなら」
早乙女さんの言う通り満腹に息をつきながら天井を見ていると、彩華さんが心配そうな表情でこちらを見ていた。
「彩華さん、どうかした?」
「あぁいえ、今回の依頼、すっごく難しそうになっちゃったな……と思いまして」
「大丈夫。ご飯を食べてるときに実はちょっと思いついたことがあってね」
「思いついたこと?」
「うん。名付けてミックスパエリア作戦!……といっても、そんな大層なものじゃないケドね」




