訪問者
「そいで、結局あのトンネルで何があったのサ」
「だから、なんにもなかったって」
僕は誤魔化しきれないとわかっていつつも形だけ誤魔化しながら答えた。
「だっていくときはあんなにルンルンだったのに帰ってきたら急にしおらしくなって、二人に何かあったとしか考えられないって!!」
早乙女さんはちゃぶ台に晩ご飯の乗ったトレイを一つだけ置くと、その前に座り一人で両手を合わせた。
「僕の分は?」
「ボクに正直に話さないと晩御飯は抜きです!」
僕の目の前を白米の湯気が通っていく。お腹が寂しそうにくぅと鳴った。
「分かった、喋るから、ご飯は食べさせて」
「じゃ話して」
「……キスされた」
「え?」
早乙女さんが口元まで持って行っていたお米をポロリと落とした。幸いお茶碗の上に着地したが、早乙女さんは空になったお箸を口に持っていきパクパクさせている。
「なんか、祭壇の前でお祈りしてたら、いきなり」
「そそそそそそのあとあとあとはどうなったの」
「落ち着いて……なんも無かった。普通に帰っただけだって」
「嘘!暗い場所で男女が二人いてチューして終わるわけがないって!」
「本当にキスだけだから!」
「本当に本当?」
「本当に本当」
「……じゃあ良し」
早乙女さんはすくっと立って、僕の分のトレイを持ってきた。白米は少し冷めてしまったけど、まだ熱はしっかりと保っていた。
「今日のおかずは銀鮭の塩焼きと豚汁です」
「ありがとうございます、いただきます」
「いただきます」
ぱちんとご飯の前で両手をあわせ、僕は真っ先に白米に箸をのばした。口に入れるとほんのりとした甘い香りが口の中に広がって、僕は歓喜のため息を漏らした。相変わらず早乙女さんの炊くご飯は美味い。箸がどんどん進む。
「平坂くんは相変わらずご飯を美味しそうに食べるねぇ」
早乙女さんは箸も持たずに、ご飯を食べる僕をうっとりした目で見つめている。早乙女さんに見られるのは最初は恥ずかしかったけど、もうすっかり慣れてしまった。
「だって美味しいんだもん」
「ふーん。どのくらい美味しいの?」
早乙女さんは鼻をひくひくさせながら聞いてくる。
「最期の晩餐には早乙女さんの炊いたお米が食べたいぐらい美味しい、かな」
「ふぇっ!?」
突然早乙女さんが大声を上げると、彼女の顔が真っ赤に染まっていった。そんなに嬉しかったのだろうか?
「そのー、平坂くんは、私のご飯、毎日食べたい?」
「そりゃこんなに美味しいご飯、食べられるなら毎日食べたいよ」
「そっか、そうなんだ。……それは嬉しいな」
「……?」
急にしおらしくなった早乙女さんを尻目に、僕は箸で銀鮭をつかんだ。身はホロホロと柔らかく、それでいてちゃんと小さな塊になって分かれる。取り上げて一度ご飯の上にのせて、白米ごと頬ばった。
美味い。舌の上にじわっと銀鮭の暴力的なうまみが広がって、塩味とご飯がそれをほどよく調和してくれている。ちょっとだけお酒が欲しくなる味付けだ。でもこんなにうまいご飯をお酒で流し込むのも勿体ないとも思えてくる。
「この銀鮭も美味しいよ」
「隠し味にちょっとだけお酢と日本酒を垂らすのがコツなんだ。美味しいでしょ」
「うん!」
「ふふ、ほんっと、美味しそうに食べるねぇ。おしんこにも合うから取ってこようか?」
「じゃ貰う!」
「はーい♪」
本当にこのご飯を食べられるだけで、生きててよかったと改めて思う。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日の朝。
目が覚めると、文字通り目と鼻の先に早乙女さんの顔があった。彼女のくりくりとした赤い瞳の模様まではっきりと見える距離だ。
「うわぁああ!!」
早乙女さんが大声を上げて飛びのいた。僕の方が驚いたんだけど……。
「おおおおおはよう!朝ごはん出来てるよ!!」
「おはよ……朝から早いね」
「今日はしろうさ商店の方いかなきゃだから」
「手伝おうか?」
早乙女さんが返事をしようとしたその時、それを遮るように呼び鈴が鳴った。僕らは思わず顔を突き合わせた。
ドアを開けるとりつ姉が立っていた。セーラー服の裾をぎゅっと握りながら、りつ姉はまっすぐ僕らの方をみて口を開いた。
「あ、あのー、ひーくん?」
「は、はい!」
「こ、『怖い』を知るための次の話がしたいから、入ってもいい?」
「あ、ああもちろん!!どうぞ入って入って!」
彼女を迎え入れると、りつ姉は小さくお邪魔しますと呟いてから玄関を跨いだ。僕は彼女に顔を洗ってくると告げて風呂場の方に逃げた。我ながら情けないと思う。
一通り身だしなみを整えてから部屋に戻ると、りつ姉と早乙女さんがちゃぶ台を囲んで座っていた。りつ姉の前には食器が置かれていないようで、どうやら朝ごはんは済ませてきたらしい。
僕と早乙女さんはいただきますと言って朝ごはんに手を付けはじめた。昨日のあまりの銀鮭を使ったおにぎりと卵焼き、それとシーザーサラダ。これだよこれ、と言いたくなるような朝食に舌鼓を打ちながら、僕らはりつ姉の方を見た。
りつ姉は手持ち無沙汰らしくお茶を飲んだり部屋の周りを見回していたりプラモデルを見ていたりしていたが、僕らが朝食を食べ終わるのをみて意を決したように切り出した。
「ひーくん」
「は、はい!」
僕と早乙女さんの視線がりつ姉に集まる。
「きょ、今日は怖いを知るために、映画館にいこうと思います!」
「了解」
「そ、それより気になることがあるんですけど……」
りつ姉は両手の指を不安そうに絡めながら僕らを交互に見た。
「お二人はそのー、ど、同棲されてるの……でしょうか?毎日お味噌汁を作ってあげる関係でしたっけ……?」
「ち、違うから本当に!早乙女さんには報酬でご飯を作ってもらってるだけで!」
「じゃあ同衾や夜這いは……」
「そんな破廉恥なことまだしてないヨ!!」
両手でちゃぶ台をドンと叩きながら早乙女さんが大声で叫んだ。まだって言っていたような気もするけどきっと気のせいだろう。うん。気のせいに違いない。
しかしその言葉の是非について考える間もなく再び呼び鈴が鳴って、僕らの意識と視線は玄関に吸いこまれた。




