「怖い」を知りにいこう
次の日、僕とりつ姉は近くの駅に集合することになった。別に駅でなくとも初春荘からでいいのではとも提案したのだが、りつ姉曰くこういうのは駅で待ち合わせするのが風情があるのだそうだ。
駅に向かうとりつ姉が既に待っていた。柱を背にしながら鏡を手に前髪を弄っている。彼女の女性らしい一面に僕は少し驚きながらも、平静を装ってりつ姉に話しかけることにした。
「ごめん、待った?」
「私も今来たところです」
りつ姉が嬉しそうにニコニコと笑う。このやり取りがしたかったんだろうな。彼女は「じゃあ行きましょうか」と僕の手を引いた。慣れた手つきのように見せてはいるが、わずかに言い出した声が震えていて彼女の緊張が伝わって来た。今日は僕がエスコートしてあげないといけなさそうだ。
「それで『怖いを知る』って何をするの?」
「ふふっ。秘密、です♪」
彼女は電車のチケットを2枚買うと僕に片方を渡した。チケットは掠れて値段や駅名は読めない。そんな僕の様子を見てりつ姉は口を一文字にして笑う。頬のチークがいつもより濃くて、少しだけドキっとした。
そしてこの後もっとドキっとすることになることを、この時の僕は知る由も無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そのままりつ姉に手を引かれるままやって来た電車に乗った。列車と呼んだ方が適切なような古めかしい電車はガタガタと振動を僕らに与えながら猛スピードで進んでいく。
音を置き去りにするかのような速度でスクロールする風景に不安を感じながら僕はりつ姉の方を見た。彼女は全く普段通りの様子で、まるで僕の方がおかしいのかと思わせてくる。
「ね、なんか速くない?そんなスピード出る電車なのこれ?」
「そうですか?ウフフフ」
「だってこんなガタガタ揺れてるし……」
その時僕は何となく感じていた違和感の正体に気づいた。――乗客が僕ら以外にいない。
僕は思わず立ち上がって隣の車両の様子を見ようとした。しかし後部車両の窓の向こうは真っ暗で何も見えない。
『次はー、縺■繧峨ー駅、縺■繧峨ー駅』
電車のアナウンスが流れる。駅名の意味が分からず僕はりつ姉の方を見た。彼女の顔は――真っ黒の渦巻きになっていた。
僕は恐怖のあまり気を失った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ひーくん、起きてください。ひーくん」
りつ姉のソプラノボイスが耳元で聞こえてきて、僕は目を覚ました。次に木のベンチの硬い感触と、りつ姉の太ももの柔らかい感触が飛び込んでくる。
身体を起こすと見知らぬ駅のホームにいることに気づいた。ペンキは乾いてひびが入り、木製のフレームは所々風雨に負けて欠けたり腐ったりしている。あれだけ明るかった太陽は雲に隠れ周囲は薄暗い。
「り、りつ姉……ここはどこなの」
「■■■■駅ですよ?」
さも当たり前のようにりつ姉は答える。ぎゅーっと腕を伸ばしながら、彼女は僕の方を見た。
「では『怖い』を知りに行きましょうか」
「まってまってまって、もう充分怖いんだけど、なんて駅って言ったの?」
「ですから■■■■駅です。■ー■ー■ー■ーえーきーです」
りつ姉がゆっくり言ったおかげで、僕は自分がそれを聞き逃したわけではなく、脳が理解することを拒んだという事実に気がついた。多分《《理解してはいけない》》やつだ。
「 ……?」
りつ姉はそれが当然だと言いたげな様子で僕の方を見た。ここに来てからずっと彼女の様子はこうだ。なぜ、どうしてという疑問が湧いてくる。しかし彼女に頼るしかないのもまた事実だ。
「近くに有名な心霊スポットがあるんです。『怖い』を知るのにはうってつけだと思うんですが、どうでしょうか?」
「もう充分怖いよ……」
「ふふ。なら良かったです。どこがどう怖かったんですか?」
「誰だって知らない土地にいきなり連れていかれたら怖がるよ!!」
僕は思いのままに声を荒げた。しかしりつ姉はメモ帳と鉛筆を取り出すとメモを取り始めた。
「知らない土地にいきなり連れていかれたら、人は恐怖するんですね。メモメモ……」
僕は周囲の様子をみた。駅の周囲は草木が鬱蒼と生い茂っていて、湿って冷たい空気が僕の肌を撫でてくる。人気はなく、駅員どころか人っ子一人見えない。
りつ姉はどんどんと距離を離していく。僕は慌てて彼女を追った。
「り、りつ姉、どこに行くの!?」
「近くに”出る”って言われる心霊スポットがあるんです。そこで怖いをもっと体験しましょう」
「もう十分だってぇ……」
「いえいえ、まだまだ来たばっかりですから」
鼻歌を歌い軽やかなステップで、りつ姉は道なき道を進んでいく。僕は足元に気を付けながら必死に彼女を追った。ここは恐ろしい。そこに連れてきたりつ姉はもっと恐ろしい。でも一番信頼できるのもまたりつ姉だった。
数分は追いかけただろうか。彼女のセーラー服を必死に視界の端に捉えながら、僕らがたどり着いたのは一つのトンネルだった。少しも整備されておらず看板も見当たらない、名もなきトンネル――その入り口に僕ら二人だけが立っていた。
「さ、ここです。ここがあの彼方此方トンネルです」
「か、かなこ……何?」
「いえいえ。さ、一緒に行きましょう?」
りつ姉が僕に手を伸ばす。――彼女の手を取ってはいけない、全身の神経が警鐘を鳴らした。
「さぁ」
手を取ってはいけない。しかしここで彼女を拒絶したら僕はどうなってしまうんだろうか。嫌な汗が頬を伝う。
しかし沈黙を破ったのは意外にも別の声だった。
「あ、あのー、瀬織津姫サマ……?」
音の出所を探してみるも、左も右にもいない。「こっち!こっち!」と足元から叫ぶ声が聞こえてきて、僕は地面の方を見た。小さな釣り鐘に手と足がついた謎の生き物がそこにいた。




