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異世界配信中。幼馴染みに捨てられた俺に、神々(視聴者)がコメントしてくるんだが。  作者: 葉月


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第41話 貼り紙

 配信者戦が始まったという報せを受けてから、九日が過ぎた。


 何かが起こる――そう、身構えてはいた。


 世界の歯車が軋み、日常が唐突に断ち切られる。

 下手をすれば、命そのものが呑み込まれる――そんな結末すら覚悟していたのだ。


 だが。


 あれから九日が過ぎても、何も起こらない。


 昨日と同じ朝が来て、同じ地獄の修行が始まり、同じように疲弊する。

 恐れていた“変化”は、影すら見せなかった。


 配信者戦によって生活が一変する。

 そんな出来事は、少なくとも今のところ、起きていない。


 現実は拍子抜けするほどに淡々としていた。


 そして――変わらぬ修行だけが、確かな重みをもって続いている。


 しかし、その修行もついに終わりを迎えようとしていた。


「――しばらく街を出る」


 小瓶に吸い込まれて――十日目の朝。

 

 朝靄に包まれた森の静けさの中で、ミネルバが唐突に口にした。


「え……師匠、どこか行くんっすか?」


 思わず声を上げたルークに、ミネルバは何でもないことのように肩をすくめる。


「ああ。ちょっとした依頼でね」


 そう言いかけて、ふと視線を細めた。


「ルーク。ずいぶん嬉しそうじゃないか」


 その一言に、ルークの肩がびくりと跳ねた。


「い、いや……そ、そんなことないっすよ」


 声が裏返り、視線が泳ぐ。

 “しまった”という言葉が、顔いっぱいに張り付いていた。


 慌てて表情を取り繕おうとするが、もはや遅い。

 ミネルバの細められた眼差しは、逃げ場を与えない。


 ――すべて、お見通しだ。


 俺は横で、そのやり取りを黙って見ていた。

 不意にミネルバと目が合う。


「わかっているとは思うけど、あたしがいない間も基礎トレーニングは怠るんじゃないよ。……最後にものを言うのは、結局のところ体力だからね」


 釘を刺すような声音だった。


「はい!」

「はいっす!」


 返事だけは、我ながら見事なほど揃っていた。

 胸の奥に溜め込んでいた息が、ようやく吐き出せた気がする。


 ――この地獄のような日々から、しばし解放される。


 その事実を思うだけで、声に自然と力がこもってしまったのだろう。

 それを敏感に察したのか、ミネルバはわずかに眉を寄せ、不服そうに口元を歪めた。


「……随分と、嬉しそうじゃないか」


 師匠としては、束の間の別れを惜しむ素振りのひとつも見せてほしかったのかもしれない。

 だが――弟子の身にもなってほしい。


 この十日間、俺たちは何度、死を意識しただろう。

 罠、鉄槍、狂気じみた鍛錬。

 それらを平然と用意する女との一時の別れを、惜しめという方が無理な話だ。


 少なくとも、俺たちは惜しまない。


「(どうする?)」

「(下手なこと言って、撤回されたら最悪だぞ)」


 依頼をキャンセルして、もう一度“修行の続き”をやる――

 そんな悪夢のような言葉を、今この場で口にされてはたまらない。


 俺たちは視線だけで意思疎通を済ませ、慌てて取り繕うことにした。


「ようやく体力もついてきたところだったのにな」

「だよな。師匠の修行を受けられないと思うと……正直、残念だ」


 少し――いや、かなり白々しかったかもしれない。


 ミネルバは、糞でも踏んだかのような顔で、じっとこちらを見据えていた。


「……まあいい」


 短く吐き捨てるようにそう言うと、彼女はそれ以上、何も言わなかった。


 その一言に、俺とルークは心の底から安堵した。



 ◆



 ――十日ぶりに、小瓶の外へ戻る。


 足裏に伝わる土の感触が、やけに現実味を帯びている。

 空は広く、風は冷たく、世界は何事もなかったかのように続いていた。


「帰ったら修行するからね。くれぐれも、基礎トレーニングだけはサボるんじゃないよ」


 念押しするようにそう言い残すと、ミネルバは小瓶を腰袋に収め、振り返りもせず立ち去っていった。

 その背中は相変わらず気まぐれで、そして恐ろしいほど軽やかだった。


「……ようやく自由の身か」

「シャバの空気は、やっぱりうめぇぜ!」


 ルークが大げさに胸いっぱい息を吸い込むのを見て、俺も思わず苦笑する。

 笑えるだけの余裕が戻ってきた。それだけで、あの修行がどれほど異常だったかが分かる。


 これでようやく、冒険者稼業に腰を据えられる。


 依頼を受け、金を稼ぐ。

 宿代を払い、食事にありつく。

 派手さも救いもないが、生き延びるためには欠かせない、最低限の循環だ。


 英雄譚でも奇跡でもない。

 ただ、明日を生きていくための営み。


 その当たり前を、俺たちはようやく取り戻したのだ。


「今度こそ、俺は金を貯めてミストヴェイルに行くからな!」

「その前に金……返せよな」

「……」


 ――あ、無視しやがった。


 返事どころか視線すら寄越さず、ルークは無言で歩きはじめる。


 金を貸した覚えはあっても、踏み倒される覚えはない。

 こめかみに力を込めながら、俺は軽やかに前を行くその背中を睨みつけた。


 :踏み倒す気満々で草

 :こいつは絶対返す気ない

 :またウォーリア買うんかな?

 :趣味悪すぎww


 ――女の趣味は人それぞれなので他人が口出しすることではない。

 だが、金だけは話が別だ。クソ貴族から貰った金ではあるが、金は金だ。必ず返してもらう。


 そんなことを胸の内で呟きながら、久方ぶりに冒険者ギルドの扉を押し開けた。


 むわり、と鼻を突く、いつもの匂い。

 汗、鉄、革、酒――むさ苦しいが、不思議と嫌悪はない。

 ここに来ると、背筋が自然と伸びる。

 生きるために剣を振るう者たちの匂いだ。


「おっ」


 先を行っていたルークが、掲示板の前で急に足を止めた。

 その声の調子に引っかかり、俺も一歩遅れて彼の視線の先を追う。


【蒼の祝福パーティメンバー募集

 年齢は十代から二十代前半まで

 冒険者等級は問わず

 一緒に楽しく冒険できる人を待っています】


 ――蒼の祝福。


 視線を横に移すと、ルークの目が、見たこともないほど輝いていた。

 宝石でも見つけたかのような、無邪気で、欲に正直な光。


「……え?」


 俺が言葉を選ぶ間もなく、ルークは貼り紙を剥がし、そのまま受付のリリカのもとへ向かって歩き出していた。


「このパーティメンバー募集に応募したいんだけどさ」

「蒼の祝福ですね。受付を受理しました。明日、顔合わせと日程調整のために一度お越しください」

「わかった!」


 軽い。

 あまりにも、あっさりと。


 俺は少し離れた場所から、そのやり取りを眺めていた。

 声をかけることもできず、ただ突っ立って。


 胸の奥に、名付けようのないものが沈んでいく。


 ルークは、当然のように俺とパーティを組むものだと思っていた。

 いや――正確には、俺が勝手にそう思い込んでいただけだ。


 いつの間にか、並んで歩いて、並んで戦う未来を想像していた。

 だが、彼は彼で、別の道を選ぼうとしている。


 それが、なぜかひどく胸に堪えた。


 気づけば、俺は一人で冒険者ギルドを出ていた。

 理由はわかっている。


 ユリアナに別れを告げられた、あの日のことを思い出した。


 ……それだけだ。


 俺は、何も考えないようにして歩き出した。

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