第42話 道化師
冒険者ギルドを出た俺は、特に目的もなく街を歩いた。
人の流れに逆らうでもなく、流されるでもなく、ただ足の向くままに。
やがて、通り沿いに置かれた古いベンチを見つけ、腰を下ろす。
「これから、どうしようかな……」
独り言は、誰に届くこともなく消えた。
視線を上げると、雲ひとつない青空が広がっている。妙に腹立たしいほど、澄みきった空だ。
当面の目標は、魔王討伐。
それは揺いでいない。揺がせるつもりもない。
だが――。
掲示板の前で、目を輝かせていたルークの横顔が、ふと脳裏をよぎる。
このまま、一人で冒険者を続けていていいのか。
剣を振るう腕や体力の問題じゃない。
もっと根本的なところで、どこか噛み合っていない気がしていた。
「……仲間、か」
小さく呟く。
自分の声が、やけに他人事のように聞こえた。
仲間を募る。
俺の身勝手な目標に、他人を巻き込んで良いものなのか。
答えの出ない問いを胸に沈めたまま、俺はベンチに身を預ける。
――そのときだ。
頭蓋の奥で、またしても賑やかな音が鳴り響いた。
それと同時に、現実の風景を押しのけるように配信画面が視界へと割り込んでくる。
『――見えとります?』
画面の中央に立っていたのは、一目で常軌を逸したとわかる男だった。
白塗りの顔に、歪に引かれた黒のアイメイク。
赤く縮れた髪が道化帽の下から無遠慮にはみ出し、口元には笑顔とも嘲りともつかない、不自然な弧が貼りついている。
モノクロ調の道化服には意味を拒むような文様が散りばめられ、胸元と腰に取り付けられた黒いポンポンが、身じろぎするたびに微かに揺れた。
――ふざけた格好だ。
だが、その軽薄な外見とは裏腹に、画面越しでも肌を刺すような異様な圧がある。
冗談や演出では済まされない、底の見えない何か。
『はじめまして。選ばれし配信者の皆さん』
男は芝居がかった身振りで一礼し、くるりと帽子に手を添えた。
『ボクは道化のメリーいいます。気軽にメリーさんって呼んでくれたら、めっちゃ嬉しいわ』
自らを「メリーさん」と名乗るその男は、軽やかな口調で言葉を続ける。
まるで舞台の幕開けを告げる司会者のように。
『今、これを見とる新人配信者二十八名のみんなにはな。ちょっと言いづらい話やねんけど――』
道化のメリーは、わざとらしく言葉を切り、肩をすくめてみせた。
『視聴者のみんなから、ごっついクレームが来とるんよ。
――君らの人生、クソほどおもんないって』
耳障りなほど軽い声だった。
だが、その一言は刃物のように胸の奥へ突き刺さる。
『このままやったらな、君らほぼ全員、脱落や。
せっかく“選ばれた”のに、そない終わり方したら、あまりにもしょうもないやろ?』
メリーは楽しげに笑い、指を鳴らした。
『せやからや。君らの人生に、彩りいうか……刺激いうか。
もうちょい“見どころ”を足したろう思てな』
そこで、彼は満足げに胸を張る。
『新人限定。特別イベントの開催が、決定しましたー!』
筒状の小道具をひねった、その瞬間。
――パンッ。
乾いた破裂音が響き、紙切れのようなものが画面いっぱいに弾け飛んだ。
一瞬、何が起きたのかわからず、俺は思わず眉をひそめる。
理解が追いつかない。
だが、それを気にする様子もなく、道化師は手を叩き、ひとり芝居を続けていた。
ぱち、ぱち、と、やけに軽い拍手。
祝福の仕草のはずなのに、そこにあるのは歓喜ではない。
嘲りと期待――いや、もっと質の悪い“娯楽としての期待”だ。
なぜだろう。
たったそれだけの仕草なのに、腹の底がざらりと逆撫でされる。
――俺たちは、楽しまれるための素材に過ぎない。
そんな事実を、道化師の笑顔が雄弁に語っていた。
『イベント内容は簡単や』
道化のメリーは、まるで催し物の説明でもするかのように、指を一本立てた。
『新人配信者二十八人――それに、ゲスト一人を加えた、全員参加のバトルロワイヤルや』
その言葉が、意味を結ぶまでに、ほんのわずかな間があった。
『……要するにやな』
にやり、と口角が吊り上がる。
『みんなには殺し合ってもらうっちゅうことや』
「――っ!?」
息が詰まった。
頭の中が一瞬、真っ白になる。
殺し合い?
冗談だろ。そんなこと、許されるはずがない。
だが、画面の向こうの道化師は、こちらの動揺など意にも介さず、淡々と続きを語る。
『プレイヤーには、最初にスターを一つ配っとる。
イベント終了時に、スターを三つ持っとることが勝利条件。足りんかった時点で、そいつは――脱落や』
軽い口調。
だが、“脱落”という言葉の裏にあるものは――“死”だ。
『イベント期間中はな、【メニュー】から【マップ】を選ぶことで、ほかの配信者の位置が見えるようになっとる』
地図。
位置情報。
それが意味するところは、あまりにも明白だった。
『ちゃんと確認せなあかんで?
ぼーっとしとったら、君の真後ろに、もう誰か立っとるかもしれへんからな』
背筋に、冷たいものが走る。
俺は咄嗟に振り返った。
だが、そこには誰もいない。
行き交う人々は、俺のことなど最初から存在しないかのように、足を止めることもなかった。
『それとな、脱落が確定したプレイヤーには“追跡者”を送ることになっとる』
追跡者。
その語感だけで、背筋に冷たいものが走った。
『せやから、みんな必死で頑張ってや。
細かいルールはイベント概要欄に書いとるから、ちゃんと目ぇ通しとき』
道化師は最後に、両手を広げて大仰に一礼した。
『ほな――せいぜい生き残ってや』
笑顔のまま、言い放つ。
『おもろい人生、見せてくれるのを期待しとるで』
言葉が頭に入ってこなかった。
思考が途中で途切れ、俺はベンチに腰を下ろしたまま、ただ視線を宙に彷徨わせていた。
突然、視界の奥に現れたかと思えば、次の瞬間には、顔も名も知らぬ者同士で殺し合えと平然と告げられる。
――正気の沙汰じゃない。
だというのに、不思議なほど現実味がなかった。
背凭れに体を預け、空を仰いでも、胸の奥はひどく空虚なままだ。
まるで出来の悪い悪夢を、目覚めきれないまま眺めているようで。
これが自分の身に起きている出来事だとは、どうしても思えなかった。
「……」
画面の向こう側。
チャット欄に集う“神々”は、この惨劇の予告を娯楽として咀嚼し、歓声を上げている。
:久々におもろそうなイベントキター
:お前らがつまらん配信してるからやぞ
:これで少しは見応え出るな
:バトルロワイヤルは流石に草
:運営、本気すぎて震える
無数の文字列が、雪崩のように流れていく。
そこには血の匂いも、死の重さもない。ただ、退屈を紛らわすための期待だけがある。
「……次から次へと、なんなんだよ」
吐き捨てるように呟いた声は、誰に届くこともなく、街の雑踏に溶けて消えた。
あの地獄じみた修行を、ようやく生き延びたと思った矢先だ。
ルークはルークで、俺に一言の相談も寄越さぬまま、パーティメンバー募集に応募している。
気づけば俺だけが取り残され、その隙を狙ったかのように、得体の知れない道化師が現れ、殺し合いへの強制参加を宣告した。
「……どうして、俺ばっかりがこんな目に……」
言葉にした瞬間、胸の奥で何かが鈍く軋んだ。
怒りとも、嘆きともつかない感情が、行き場を失って澱のように溜まっていく。
思い返せば、歯車が狂い始めたのは、あの日からだった。
ユリアナが――│権能に目覚め、愛子になってから。
それを境に、俺の人生は、まるで厄災に目をつけられたかのように、転げ落ちていった。
選択の余地も、立ち止まる暇も与えられぬまま、不運だけが律儀に追いすがってくる。
……本当に、笑えない話だ。
:嘆いてたって仕方ないぞ
:まずは状況を整理しろ
視界の端で、チャット欄がざわめいた。
嘲りでも、慰めでもない。淡々とした言葉の応酬が、かえって現実味を帯びて胸に刺さる。
:配信者同士で殺し合いさせるってことは、他の配信者が近くにいるはずだ
:他の新人には、十日前からクライシス王国の王都を目指せって指示が出てたろ
:……ああ、確かにそんな告知があった
:このためだったのか
:ってことは、クレームは建前で、最初から戦わせる気だったってわけか
:だろうな
:相変わらず、えげつねぇ運営だ
無責任な傍観者の言葉――そう切り捨てることもできた。
だが、不思議と反論する気にはなれなかった。
……その通りだ。
ここで嘆いても、怒鳴っても、状況が好転するわけじゃない。
生き残りたければ、やるべきことは一つしかない。
頭の奥で、熱を帯びていた感情が、ゆっくりと冷えていく。
代わりに、乾いた思考が浮かび上がってきた。
――まず、情報だ。
「……イベント概要欄、か」
声に出したことで、散りかけていた意識が一点に集まる。
嘆いている暇はない。考えろ。考え続けろ。それしか、生き残る道はない。
あの日――
│権能に目覚めた、その瞬間から、俺の人生は“配信”という檻に放り込まれた。
逃げ道など、最初から存在していなかったのだ。
ならば、選ぶしかない。
何も知らぬまま踊らされるか。
すべてを理解した上で、歯を食いしばって抗うか。
俺は後者を選ぶ。
たとえ結末が同じだとしても――
目を閉じたまま死ぬつもりはなかった。




