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第七話 暮色蒼然(4)堕ちる日

 会社には退職の意向を記した届けが提出されており、葵が住んでいたマンションの三階の部屋は、知らぬ間に解約されて空き家になっていた。ただ、あまりに急なことで社内——特に葵の所属していた黒衣部門は混乱を極め、また非常に有能な黒衣が欠けることは今の会社にとっては大きな損失であるため、葵の退職届は受理されず、一旦保留されることとなった。

 今世間を騒がせている『失踪事件』に関連しているのでは、とも考えられたが、葵の場合、きちんと自分で家を片付け、会社に届けまで出して姿を消しているため、何かに巻き込まれた可能性は低く、自分の意思でいなくなったと考えるのが妥当だろう。

 誰がどう見ても、葵が行方不明になったことで最もショックを受けていたのはチーフで、自分のせいだと何度も口にした。一緒に住むようになり、前日も、あの日の朝も話をしたのに、その予兆にはまったく気が付かなかったという。

 しかし——。

「たしかに……思い返せばちょっと、変ではあったんだ」

 前の日の晩、急に一緒に寝てほしいと頼んできたり、クリスマスパーティーに出掛けたチーフのことをずっとベランダで見送ってくれたり、思い返してみれば何となく、何かが違っていたとチーフは言う。それはきっと真理子にはわからない、チーフだからこそ感じる違和であったのだろう。

「……ごめん。あの日家に誘ったりしなかったら——」

「いや」チーフは即座に遮った。「違う。葵は、たぶん、決めていたんだ」

 あの日、いなくなることを——葵は常に先のことまで見通している人だったから、おそらくはじめからクリスマスパーティーにも行かないつもりだったのだろうと、チーフは推察した。葵という人を誰よりも知っているチーフがそう言うのだ。きっと見立ては外れてはいない。

「……アタシ、何か嫌なこと、したかなァ……?」

 いなくなった原因を考えた時に思いつくことといえば、それは葵に対して、ずっと抱いていた気持ちを口にしてしまったことくらいだと、チーフは言う。自分が本心を表に出すと必ず悪いことが起きる、だから言わないように、言わないように、抑えてきたのだそうだ。たしかに、葵に自分の気持ちを伝えることをチーフは散々渋り、迷っていたのを真理子は知っている。

 しかしそんな馬鹿なことがあるわけないし、決して、それだけはあり得ないと真理子は思う。チーフと一緒にいる時の葵は、幸せそうだった。チーフのことが嫌でいなくなったのではない。彼女のことだから、本当に何か訳があって姿をくらましたのだろう。

 チーフだって本当はわかっているのではないかと思う。ただ、おそらくそう思っていたいのだ。何でも良いから理由がほしい、そうでなければ、平静を保っていられないようにも見えた。

 きっとそのうちひょっこり帰ってくる——と励ましてもやりたいが、それは葵が元気な状態であればこそ言える台詞だ。

 チーフの話を聞く限り、葵は限界が近かったと思う。

「勝手だって、わかってるけど、一人では、絶対に逝かせたくないんだ……」

 そう言って、チーフは忙しい仕事の合間に彼女を探し回る日々を送るようになった。気持ちは理解できるし、そうしなければ納得しない性格も、真理子はもうよく知っている。しばらくは黙って見守るに徹しようと決め、個人的な連絡は控えるようにしていた。

 しかし一方で、年が明けても失踪事件は落ち着く気配が見えなかった。毎日、あちらこちらで行方不明者は増え、暴力事件や野良動物の被害も減らず、年始のめでたい雰囲気はすっかりその異様な状況に呑まれ、まるで葬式のようであった。そして相変わらず誰一人として生存者は発見されず、遺体の一部すらも見つからない。あまりに不可思議で警察の手にも余るようになり、やがては自衛隊が出動するほどの事態へと発展してしまった。

 藁にもすがる思いでヒーローへ捜索依頼を出す人も現れ始め、討伐任務との両立は、真理子も含めヒーローたちを急速に疲弊させた。朝から晩まで走りっぱなし、少しでも空き時間があれば休息をと皆が考えている中、チーフだけは葵の件もあり、ほとんど休みなく動き回っている状態であった。

 いい加減程々にしなくては、チーフのほうが壊れてしまう——そんな生活が続いてもうすぐひと月になろうかという頃、一緒に討伐に出た帰り道にまたどこかへ寄り道をしようとするシャイニーを堪らず引き止めてしまった。

「今日は一緒に戻ろう? いい加減、体壊しちゃうわ?」

 案の定、シャイニーは鬱陶しそうな視線をマリーに向けた。だが、そろそろ黙って見ているのも限界である。「自分でわかるでしょう? あんた足上がってないし、集中も途切れてる。こんなのいつものシャイニーじゃないわよ。あんたが言うんじゃない、危ないって」

「……平気。それくらい何とかできる」

 まるで聞く耳を持ってくれず、埒が開かない。先ほどだってモンスター相手に至近距離での射撃もまともに当てられない場面があったことに、自分で気付いていないはずがないのだ。シャイニーをマリーがフォローするなんて前代未聞である。

「葵ちゃんが心配なのはわかるわ。けどあんたまで怪我したらあたしたちも困るし、何より葵ちゃんが悲しむってわかるでしょう?」

「だから……アタシは大丈夫なんだって」

「大丈夫じゃないの! ねェ一人で抱え込もうとするのやめて? みんなあんたのこと心配してる」

「ありがたいけど、心配なんてしなくて良いわ。関係ないでしょう」

「そんなわけないでしょ、これ以上無理しないで? あたしを辞めさせようとした時から思ってたけど、あんたは優しすぎてこの仕事に向いてない」

「アンタに何がわかんの⁉︎」

 シャイニーは制止を振り払い、一瞬声を荒げたが、ハッとして下を向いた。「お願い、もう放っておいてほしいの。みんなには迷惑掛けないようにするから」

「……」

 その時、ポケベルの音が沈黙に割って入った。マリーのものも鳴っているが、同時にシャイニーのほうも鳴っている。帰還命令だった。

 ——何かあった……?

 わざわざこんなものが届くなんて、緊急の何か——

「戻るわよ」

 考えている間もなく、シャイニーは先に本部へ戻ってしまった。慌ててマリーもその後を追う。ここのところ、モンスターの出現頻度が多くなっていると感じる。今も討伐してきたばかりだというのに、どれも比較的小型で強敵ではないことだけが救いだ。

 本部に戻り、状況を確認すると、このまますぐに調査に出るよう指示が出た。隣県の立入禁止区域の海岸沿いで、識別不明の反応を感知したらしい。

「反応の正体がモンスターかどうかは、まだ……例の、新種の可能性もありますし」

「わかった。すぐに発つわ」

「えっ⁉︎」不安げに首を傾げていた1号は一瞬で目を見開いた。「そんな、今戻られたばかりなのに——」

「平気。モンスターだった場合は処理してくるから」

「で、でも……、チーフ、——」

 心配そうな面持ちの1号が、即座に踵を返そうとするシャイニーを引き止める。が、言葉は何も続けられない。結局、そのままシャイニーは部屋を出て行った。

「大丈夫大丈夫、あたしも行く! 無理はさせないわ! 1号もちゃんと休まなきゃダメよ?」

「……すみません。よろしくお願いします」

 肩を落とす1号を鼓舞して、マリーも部屋を出る。更衣室に戻って一旦変身を解き、荷物をまとめて会社を出る。チーフのことだから置いて行かれるのではと不安になったが、急いでエントランスへ行くと外の柱に凭れながら待っていてくれた。

 チーフはちらりと真理子のほうを見やると、言葉もなく歩き出した。その後ろを少し距離を開けてついて行く。隣県の海岸沿いにある立入禁止区域は本部からやや距離があるため、まずは公共交通機関を使って近くの自衛隊の常設テントまで行かなくてはならない。

 向かう場所は同じだ。しかしそこに会話はなく、終始、沈黙だけがそこに横たわっていた。何か話したいという気は持っているが、何を話せば良いのか見当がつかない。チーフはずっとドアのところに立って、窓の外に流れて行く景色をぼんやりと眺めていた。もしかしたらその間も、彼女の姿を探していたのかもしれない。

 電車を二回乗り継ぎ、最後にモノレールに乗る。昔は長く繋がって人々の生活を支えていた路線だが、古くからのモンスターとの戦闘により街が壊れ、復興されないまま立入禁止区域に指定されたことで、途中から廃線になった。今は始発からたった五駅で終点になる。そこから先は、歩きだ。

 ボックスシートの一つに座りながら、窓の外を見る。モノレールに揺られながら見下ろす街並みは、あるところを過ぎると徐々に崩れ始め、黒々とした土や瓦礫の色に変化していく。それが、人がいるかいないかの境界線であり、これから真理子が向かう場所だ。何度も何度も破壊を重ねられたそのエリアは、正に『終末』という言葉が相応しい。

 終点まで行く客はまばらで、真理子とチーフの他には片手で足りるほどしかいなかった。改札を出ると、その微かな人波とは逆のほうへ、チーフは迷いなく足を進める。

 数十分歩いて、漸く常設テントまで到着。再びマリーに変身し、装備を整える。その間、既に準備を終えていたシャイニーは、探知したという反応について隊員から聞き取り調査を行なっていた。

「……わかりました。モンスターであれば、討伐します」

「応援が必要な場合は連絡を」

「了解」

 シャイニーは淡々と頷いた。その手にはお馴染みの短距離型の銃と、いつもの如くサバイバルナイフを足元に仕込んでいる。

 目が合うと、そこには、温度も光もないように見える。

「OK? 行くわよ」

 ひとまずは調査だから、装備は軽くて良い——そんなことを言われたが、通常装備にして正解だったと思った。

 反応が確認されている海岸付近まで、ここからさらに徒歩。第一報から既に一時間以上が経過しているが、その間も同じ位置から反応が数回見られ、大きく移動する気配は今のところ見られないとのことだった。反応のすべてが同じ個体のものである確証はないが、おそらくはそう——まるで、誰かが来るのをそこで待っているかのようにも思えた。

 かつて街であったことすら、今は想像し難い。静寂の中に、二つ分の足音だけが不自然なほどに木霊する。少し前を行くシャイニーのオレンジ色のマントが、なんだか分厚い壁のように見えて、やはり声を掛けることは躊躇われる。

 やがて、風の中に波の音が微かに聞こえてきたところで、シャイニーはぱったりと歩くのを止めた。

「……どうかしたの?」

 隣まで歩み寄り、顔を覗き込む。シャイニーは今にも泣き出しそうな顔をして、その視線は、ある遠い一点に釘付けになっていた。

 ゆっくりと、マリーもそちらに目を向ける。遠くに一点の黒い影——見覚えがある。すらりとした細いシルエット。風に靡く長い黒髪は、毛先だけが青い。

「……葵ちゃん?」

 シャイニーは駆け出していた。反射的に後を追う。

 見間違い?

 まさか、でも——しかし、なぜこんなところに?

「葵‼︎」

 シャイニーの呼び掛けに、ぬるりと振り返る。こちらの姿を認めた瞬間、葵はホッとしたように微笑んだ。

「ああ……良かったァ。来てくれたのが、あなたたちで」

 微妙な距離を残して、何となく足が止まる。それは横にいるシャイニーも同じだった。


 何だろう? この違和感は——?


 近づいてみると、葵は随分と小さく感じる。

「どこ行ってたの? ずっと探していたんだよ?」冷静さを保とうと必死なのは伝わってくるが、声が潤んでいる。

「ごめんね」

「体調は? 怪我してない?」

「それ以上近づいてこないで」

 突然のその一段強い一言に、踏み出そうとした一歩が固まる。決して鋭くはない彼女の視線が、体を押さえつけて前に行けない。

「……どう、したの? アタシ、何か葵に嫌なことした?」

「ううん」

「ちゃんと言って? ごめん、そういうの、わかんないんだよ、全然」

「知ってる。英斗って、そういうの、ほんと下手だもん」葵は苦笑いを浮かべている。「でも、英斗のせいじゃないよ。あんたは何にも悪くない」

「ならどうして——」

 シャイニーが堪らず一歩を踏み出した瞬間、葵の姿が消えた。

 ——いや、違う。

 吹っ飛ばされた。

 速すぎて、何も見えなかった。

 反射的に受け身を取り、体勢を立て直す。シャイニーが葵の体を両手で押さえて堪えている。

 頭が混乱する。無防備な葵に対して、シャイニーは力を開放した状態で応戦している。

「なんで攻撃するの⁉︎」

「だって、来ないでって言ってるのに」

「葵、一回力抜いて——」

「ごめん、受け身取って」

 葵はそのままシャイニーの腕を振り切り、手加減もなく蹴り飛ばしてしまった。

 見ただけでわかる。葵のあの力は、3号のものだ。

「シャイニー‼︎」

 受け身は取ったようだが、蹴られた脇腹を押さえながら咳き込み、立ち上がることができずにいる。その様子を見ても、葵はシャイニーに手を差し伸べようともしない。

 あれは、本当に、葵なのか?

 まったく想像のつかない姿に、マリーはただ困惑するしかない。葵はいつだって優しくて、時折スカートを捲って意地悪もするが、それでもいざという時は優しくて、シャイニーのことを誰よりも心配するし、誰よりも大好きだったはず。そんな彼女が、あろうことか攻撃するだなんて。

 助けに入りたいが、迂闊には近づけない。先ほどマリーを吹っ飛ばし、庇ってくれたのはシャイニーだ。あの速さで接近されたら、マリーの反応では間に合わない。

 ——どうしよう? どうしたら良い?

「ねェ、英斗」

 シャイニーが立ち上がるのを待たず、葵は低い声で呼び掛けた。訳がわからないというシャイニーの顔を葵の真剣な眼差しが貫く。


「私のこと、殺してくれない?」


「……え……?」

 聞き違いかと思ったのは、マリーだけではなかった。シャイニーは呆然と彼女の能面のような顔を見上げるばかりで、何も言えずにいる。

 葵は徐ろに、どんよりと重たい雲がひしめく灰色の空を見上げ、大きく一つ息をした。

「……三十年だよ。長かったんだよねェ、三十年……何にもしないで家で寝ていた奴と、その間、必死に自分を磨いてきた奴と……差がつくのは当たり前だよねェ」

 まるで鼻歌でも歌うかのように、葵は脈絡のない話をする。シャイニーも混乱しているのが滲み出ている。

「ねェ。最近、人がいなくなって、大騒ぎだったでしょう。あれねェ、私がやったの。私が()()()()。だから探しても、見つからないよ。あの人たちは、もう人間じゃないから、何にも残らなかった。私も……」

「何、を、言っているの……?」シャイニーは漸く声を絞り出した。「葵、疲れているんだよ。帰ろう? 一緒に……——」

 葵は静かに頭を振る。「あんたが、ここで、殺して」

「何言ってるの? できるわけない、そんなこと……!」

「待っていたんだよ。来てくれると思ってた」

「なんでそんなこと言うの⁉︎ ねェ意地悪してるの? 嫌なことしたんなら謝るから、そんなこと言わないで、ちゃんと話してよ、葵!」

「あんたは何にも悪くないんだよ」シャイニーが何を言っても、葵はただそう繰り返すばかり。

「葵ちゃん……!」堪らず、声を掛けてしまった。「シャイニーは、ずっと探していたのよ、葵ちゃんのこと、本当にとっても心配して……」

「うん。わかってるよ。ありがとう、真理子ちゃん」葵はそう言って微笑み、目を閉じて、また大きくひと呼吸する。「……聞いて? 私には、もう時間がない。あの新種のモンスターのガスね……あれを吸うと、段々、幻覚や幻聴を見るようになるの。そのうち、自分自身をコントロールできなくなって、理性が消える、たぶん、自我もなくなる」

 要するに、モンスターみたいになっちゃうってこと、と真顔で話しているのは間違いなくあの葵である。

 本当にそうなのか? 葵の口から語られているとは思えぬほど、現実味のない話である。しかし彼女は表情一つ変えず、淡々と話し続ける。「一般人は、大体処理したと思うんだけど、そろそろ、私が限界なんだ。あんまり、言うこと聞いてくれなくて……ごめんね、痛かったでしょう?」

「大丈夫、大丈夫だから葵、もう、帰ろう? 一緒に帰って、どうするか考えよう?」

「駄目」シャイニーが手を伸ばそうとすると、葵は後退りしてしまう。「私、ヒーローだったから、力のリミッターの外し方、体が覚えちゃってるんだよね。ヒーロースーツなんかなくても、同じ力が使えちゃう。このまま帰って、私の理性がなくなったら、止められないよ、誰にも……あんたなら、何とかしてくれるよね?」

「何とかする。何とかするよ、だから、お願い、一緒に帰ろう?」

「ごめんね」

 葵を捕まえようと伸ばしたシャイニーの右手は、葵に素早く掴まれ、地面に捻り倒されてしまった。もし葵に左腕があったら、きっとその瞬間にシャイニーは殺されていただろう。

 咄嗟に飛び出し、馬乗りになっている葵を羽交締めにしようと試みたが、想像以上の力にどうすることもできない。

 蹴り飛ばされそうになったところを間一髪抜け出したシャイニーに庇われた。葵に掴まれた右手を押さえ、顔を歪めている。おそらく捻挫か、骨に異常をきたしているだろう。

 圧倒的な、力の差。現実離れしすぎた彼女の話も、その力を見せつけられてしまうと納得せざるを得ない。

 もし葵の話が本当で、葵が勝手に暴れ回るようになってしまったら、それこそモンスターとしては最強クラスだろう。その昔、モンスターを生け取りにして研究しようと試みた結果最悪の大惨事を起こしたという歴史があるが、それ以上の惨事になる可能性が高く、もはやヒーローが総出でかかっても、討伐できるかどうか——いや、おそらく、答えは『ノー』だろう。

「お願い。私はもう、半分人間じゃない。私と同じようにガスを吸った人は、みんな、消えてしまうの。砂みたいに。私が私でなくなる前に、ここで殺してほしい」

 シャイニーはまだ迷っている。頭の中では、何とかして連れて帰ることを考えているだろう。だが、実際に葵の攻撃を受けてしまった今、その思考の先に打開策がないことも、わかってしまっている。

 何よりそうすることが最善だと言っているのがあの葵であるという事実が、その他に選択肢がないことを如実に物語ってしまう。

「私にあんたを殺させないでよ。英斗」

 葵は自分でわかっている。まだ自我があるからブレーキを掛けられる。それがなくなったら、誰も自分に勝てない。シャイニーであっても、きっと、自分は躊躇なく殺してしまう。

 それは、最も『あおい』が望まない結末。

 精一杯に、叫んでいるのだ。助けてほしいと、彼女は。

「……頼む、マリー」シャイニーが声を絞る。「救護と、応援を、呼んできて」

「……あんたどうすんの?」

「葵を連れて帰る」

「どうやって?」

「……何とか、する。何とか……」

「一人じゃ、……」そこで、言葉が切れる。自分がいたところで何にもならない。かえって庇われて、足手纏いになるだけだ。

 それでももし、ここで一人残して、万が一のことがあったら?

「……()()()()

 一瞬、頷くのを躊躇った。その間に、彼ははっきりとそう言い切った。

 顔を見上げる。

 その目はただ真っ直ぐに、一点を見つめて。

「もしも……仮にもしも、()()()()()()()()()……あれは、僕のだから。絶対、他の誰にも、やらせたくない」

 悟った。

 この人は、既に、覚悟を決めているのだと。

「……死ぬんじゃないわよ」

 地面を蹴る。

 きっと、英斗は葵の願いを叶える。

 この世界の誰よりも愛する人の、最期の依頼を。


* * *


 銃は使わない。

 ナイフを仕込んできて正解だった。今持っている中ではこれが最も殺傷能力が低い。

 右の手首が痛い。たぶん、ヒビくらい入っているんじゃなかろうか。最初に蹴られた横腹も、肋骨が何本か逝っている気がする。当たりどころが悪ければ内臓が死んでいてもおかしくない一撃だった。

 葵の速度はマリーでは到底追いつけない。だから、退避していてもらう。少なくともこの場で葵に殺されるということだけは避けられる。

「やろうか」

 一言掛けると、葵はこの上なく嬉しそうに頬を赤らめた。こんな形でその三日月のような瞳に見つめられたくはなかった。

「ねェ、葵」

 これは訓練(あそび)ではないとわかっている。それでももし、ほんの僅かでも、その可能性があるのならと、思った。

「アタシが勝ったら……また、ラーメン連れて行ってくれる?」

 葵は嬉しそうな顔をして笑って、もちろん、と言った。


 ——ああ……。


 その瞬間、悟った。

 もう彼女と踊ることは二度とない。彼女が名前を呼んでくれることも、馬鹿だねェと叱って頭を撫でてくれることも、可愛いと言って三日月の形をした目を向けてくれることも。

 全部、もう、終わり。

 今、ここで、この手で、すべてを終わりにしなくてはならないのだと。

 地面を蹴る、よりも先に、防御を取ることとなった。リミッターが外れ、一切の手加減もしなくなった葵は目で追うことができない。攻撃されても、だいぶ後に痛みが追撃してくることで気付く。

「遅い!」

 嘘みたいな話だ。

 ライフルも、ナイフも持っていない、完全な丸腰。ヒーロースーツすら着ていない、ただの、葵。

 追いつけない。

 こっちは変身していて、武器まで持っているのに、触れることすら敵わない。

 あわよくば気絶させて、連れて帰ることを考えていた。だが、そんなことできない。怪我をさせないとか、急所を外すなんて気を遣っていたら、こっちが殺られる。

 でも、——。

「教えてあげる」

 葵は至極冷静な声で言った。「私が知ったことを、伝える。一度しか言わないから、覚えておいてね」

 淡々と話す葵には、呼吸の乱れすらない。表情と、声と、動きが、まるでそれぞれ別の生き物であるかのようだ。

「私たちは、ただ本能のまま、生きようとしているだけ。他のことは何も考えてない。だから、当然、敵意を持って近づいてくる者は、排除しようとする。自分が生きるため、何を犠牲にしても」

 ひらり、ひらりと、逃げられる。

 速すぎる。訓練場で何度も勝負して、何度も彼女の動きを見た。敵わなくとも、視覚で挙動を捉えることはできていた。

 でも、今は——。

 まだ余裕だとでも言いたげに、笑いながら、脇腹の辺りを蹴られた。

 躱したつもりだった、が、一瞬遅れて打点を認識する。直撃してはいないと思うが、どこかにヒビくらい入っているかもしれない。

「あんまり抑えていられないんだよ。だから、早くして? ちゃんと来ないと、殺すよ? たとえ、あんたでも」

 抑えている? これで?

 初めて葵が片腕で良かったと思った。完全なフルパワーで来られていたら、一瞬であの世行きだ。考えるまでもない。

 こんなのが自我を失って世界に放たれたら、間違いなく、葵の言うとおりの結末を迎えることになるだろう。一般人ならおそらく気付かないうちに死んでいる。葵がこの短期間に処理したという一般人は皆、死んだことすら認識していないだろう。

 呼吸が乱れたまま、戻らない。

 体が痛い。

「ねェ。もうおしまいなの? 英斗」

 顔を上げると、少し離れたところで、葵がステップを踏んでいる。「期待外れだなァ。あの最強の伝説の子が、こんなもん?」

「……」

 手も使わずにバク転や側転をしながらこちらに近づいて来たかと思うと、乱暴にツインテールの片側を掴まれ、引っ張り上げられた。

「ねェ、ほんとはもっと、デキるんでしょ? ねェ、はやく!」

 屈託のない、子どものような目に、無垢な笑顔。

 立たなくてはと思うが、体がついてこない。容赦なく髪を引っ張り、頭を振り回して、地面に向かって叩きつけられる。

「ねェ、はやく。たってよ、英斗」

 どんな葵だって、葵だ。自分は良い。

 でも葵は、嫌だって言っているから。

 嫌だって、泣くから。

「もっときて。私のこと、ゾクゾクさせてよ」

 葵は笑いながら涙を流して、早く攻撃しろとせがむ。

 やめろ。

 その顔で笑うな。

 葵はもっと綺麗に笑う。美しい、澄んだ夜空に浮かぶ、三日月のような目をして、キラキラと星屑を散りばめたように、笑うんだ。

 それ以上、葵を穢すな。

「おいで?」

 3号にも弱点はある。

 自分はそれをよく知っている。何度も、何度も、彼女と手合わせをして、共に前線で戦ってきたのだ。知らないはずがない。彼女は失った左腕の後ろ側から攻撃を受けた時、他に比べて反応が一瞬遅れる。

 ずっと気付いていた。その上で、そこを突くのは、卑怯だと思っていた。だから一度だって、たとえ彼女に夕食のラーメンを奢る羽目になろうとも、自分はそこを攻撃したことはない。

 彼女だって気付いていたはずだ。その一瞬は、命取りになりかねない。それでも、彼女は英斗に、左側を歩けと言った。

「……」

 そこを守ることこそが、自分の使命だと思ってきたのだ。

 立ち上がる。足が震える。全身が痛い。

 マリーたちが戻って来る前に終わらせなくてはならない。もう自分も限界だ。

 おそらく勝負は瞬きの間に着いてしまうだろう。自分が彼女を殺すのが先か、彼女が殺すのが先か。


 いやだ。いやだ——。


 でも、やらなきゃいけないんだ。この手で。

 彼女が嫌だと言うほうが、嫌だから。

 そう言う自分に負けぬよう、ナイフの肢を握り締めて。

 ——これで刺したら痛いよなぁ……?

 やっぱり銃のほうが良かっただろうか? でも、きっと——。

「英斗」

 顔を向ける。

 彼女はやはり泣きながら、それでも笑って、頷いた。その手を使えという意味だ。唯一英斗が勝つことのできる、卑怯で、どうしようもない手を。

 ——ああ、もう、本当に、終わりなんだなァ……。

 一歩踏み出す。

 追いつけないなら、先を読んで回れ。

 彼女が言ったのだ。キミはそれが得意なはずだ、と。

 彼女なら、どちらへ動くか、どこへ跳ぶか、右か、左か、手を伸ばせば、どう体を捻るか。

 一つでもわからなかったなら終わらせずに済む。

 なのに、なんでわかっちゃうんだろう?

 それだけ、一緒に歩いて来たのだ——。

 捕まえた腕を引っ張り、手繰り寄せたその小さな体に、左手でナイフを突き立てた。

 右腕で必死に彼女を抱いた。葵は逃げようとしなかった。

「あおいは、英斗のことが好きだよ」

 腕の中でこちらを見上げる彼女の顔を見た。

 思い出す。あの時も、葵はこんな顔で微笑んでいたんだ。

 眠れない夜をひっそりと見守る三日月のような瞳で、君は一人ではないのだと、照らしてくれた。

「本当だよ。世界中の誰よりも英斗が好きだよ」

 そうだったんだ。ずっと。

 ——勘弁してくれよ。

 好きって何だよ。好きなら、こんな、最高にタチの悪い意地悪なんかしないでくれ。

 嫌いでも良い。恨んでいても良い。

 ただ、そこにいてくれたなら。

「ぼくは、——ッ」

 ただ一緒に生きてくれるだけで、良かったのに。

「ありがとう。約束を守れなくて、ごめん」

 ナイフを抜いた瞬間、弾けた月の欠片は、まるで夜空に散りばめた星屑のように、キラキラと、太陽の光を反射する。こんなにも美しいものがこの世界にはあったのかと、思わず手を伸ばしてしまう。

 掴んだつもりで、手を広げても、そこにはもう何もない。


 ——何を望んだのがいけなかったのか。


 世界なんて、いらない。

 何もいらない。

 ただ、君さえここにいてくれたら、それだけで良かったのに——。



To be Continued...

【ヒーローずかん】※抜粋


◆ピンキー・マリー(8号)

 〜恋とチェリーは春の色

   凍った心に光れ 追い風〜


 かなしいとき さみしいとき

 がんばる みんなに おいかぜを ふかせて

 おうえんするよ!


☆いろ ピンク

☆ねんれい えいえんのハタチ

☆おおきさ 158cm

☆おもさ ひみつ

☆とくぎ スマイル

☆すきなたべもの なんでもたべるよ!

☆きらいなたべもの からいものはちょっとにがて


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