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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【今を生きる】

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159 すべてを知らなくてもいい

 暗号漏洩問題を片付けて、ジェイコブの身柄は宰相の預かりとなった。

 これから陛下と宰相、貴族議会の協議を経てジェイコブへの処分が下される。本物のイブリンとその母親もそう時間がかからず捕まるだろう。

 久しぶりに完全な休日になったクラークは、ノンナと歌劇を楽しみ、レストラン『アイビー』で食事をしている。


「このレストラン、来たことがあるの。私がまだお母さんのことをビッキーって呼んでいた頃に、お父さんが連れてきてくれた」

「へえ。そうだったんだ?」

「うん。おしゃれなお店だよね。六歳の子供が入ることを、レストランはよく許してくれたと思う」

「ジェフおじさんは第二騎士団長だったからかもね」


 そこで前菜が運ばれてきた。ニンジンとハムを細く切って爽やかなソースで和えてある。刻んだクルミが味のアクセントになっていて歯ごたえが美味しい。


「美味しいね」

「うん、美味しい」


 続けて運ばれてきた肉料理も、ノンナは「お肉が柔らかい」と言いつつ気持ちよく皿を空にしていく。その様子を微笑ましく眺めているクラークに、ノンナがぽつりと尋ねた。


「クラーク様は仕事が楽しい?」

「うん。楽しいよ。すごくやりがいがある」

「今はどんな仕事をしているの?」

「書類を読んだり書いたり、ちゃんと法が運用されているかなって確認したりだね」

「ふうん。じゃあ、異動になる前の仕事とあんまり変わらないのね?」


 クラークは諸制度維持管理部で働いているということになっている。だからノンナの質問にも「そうだよ」と答えるのに迷わない。

 この程度のことで動揺する時期は終ったと思っている。

 その夜は二人で楽しく食事を終えてクラークは家までノンナを送り、ビクトリアに挨拶をしてから帰った。


 クラークを見送ったノンナはすぐに気楽な室内着に着替え、それまで本を読んでいたらしいビクトリアの隣にぺたりとくっつくようにしてソファに腰を下ろした。

 テーブルの上に置かれている本は、いろいろな国を旅して様々な図案を収集してきた刺繍作家の本だ。


「クラーク様と二人で出かけるのは久しぶりだったわね。お出かけは楽しかった?」

「楽しかったよ。『アイビー』っていうツタがびっしり絡まっているレストランに連れて行ってもらった。あのお店、お父さんとお母さんと私の三人で行ったことあったよね」

「ああ、あのレストランね。懐かしいわ。今度家族で行きましょうか」

「うん、そうだね……」


 ノンナの返事が上の空なことに、ビクトリアは気がついた。


「どうしたの? 何か気になることでもあったの?」

「んんん……気になるっていうか……。ねえお母さん、諸制度維持管理部って、若い女の人がいる?」


 若い女性はいる。工作員だが。

 ビクトリアは勘のいいノンナを用心して、曖昧な答えを選んだ。

 

「どうかしら。いたかもしれないけど、どうして?」

「ええと、クラーク様の返事に違和感みたいなものがあったの。クラーク様は部署を異動になってから、仕事の話になると少しだけ嘘くさい笑顔になる」

「嘘くさいなんて言い方をするものじゃないわ。クラーク様に失礼よ」

「本当だってば。仕事の話になると、いつもの笑顔と少しだけ変わるの。今日なんか、どんな仕事をしているの? って聞いただけなのにだよ?」


 ノンナは三つ編みの毛先を指先でクルクルと回しながら口を尖らせている。

 ビクトリアはノンナの勘の良さと観察眼の鋭さに驚いた。

 大切に育てた娘が優秀なのは嬉しいが、その勘の良さと観察眼の鋭さでクラーク様を困らせないといいが、と思う。


「クラーク様の職場に若い女性がいたら困るの?」

「エリザベスがね、この前、『クラーク様の部署には若い女性がいるのか』って私に聞いたの。いるかもねって私が言ったら、『同じ部署に若い女性がいるのなら、浮気されないようにしっかり手綱を握っておくべき』って言うの」


 ノンナが気にしているのはそっちだったかと理解して、ビクトリアはにっこりと微笑んだ。


「クラーク様はノンナ以外の女性には目を向けない人だと思うわ」

「そう?」

「ええ。だってクラーク様はノンナのことが大好きだもの」

「そうかなあ」


 そうかなあと言いつつノンナは嬉しそうだ。


「あのね、ノンナ。ノンナはいずれクラーク様と結婚するでしょう? 一緒に暮らすようになってからクラーク様の全てを知ろうとすると、ノンナは疲れるだろうしクラーク様のことも疲れさせると思うわよ」

「そういうもの?」

「そういうものよ。私はジェフに私の過去のすべてを話してはいないし、ジェフも同じだと思う。私はジェフが心の奥にしまってあることを、全部知りたいとは思わない。だって、逆に私の過去を全部知りたいと思われたら……息苦しいもの」

「夫婦なのに?」

「夫婦だからよ。夫婦になってからは秘密は作らないほうがいいでしょうけど、まったく別の世界で生きてきた他人同士が夫婦になるんだもの、過去については本人が言わないことは知らなくてもいいと思ってる。まだノンナには難しいかな」


 小首を傾げて聞いていたノンナが「じゃあさ」と口を開いた。


「お母さんはお父さんが浮気するとは……思わないか。お父さんはお母さんが大好きだもんね。大好きすぎるくらいよね」

「ふふっ。そうね」

「はい、ごちそうさま」


 そう言ってノンナは立ち上がり、「お湯を浴びたらもう寝るね」と言って居間を出ていった。

 ビクトリアは再び本を手に取ったけれど、数ページも読まずに本をテーブルに戻した。

 小さくため息をついたのは、ノンナの勘の良さに緊張したからだ。

 

 ビクトリアは自分が育った養成所のことを思い出していた。

 その子供が工作員に向いているか向いていないかは、訓練や努力だけでは測れない部分がある。

 工作員として優秀だった仲間たちを思い出すと、彼らは全員勘がよかった。

 ビクトリアは『勘の良さ』は生まれたときにはもう、赤子が手に握っている才能だと思っている。


(ノンナはその才能を持っている。でも、あの世界に足を踏み入れたら最後、途中では抜け出せなくなる。そうなればクラーク様との結婚は無理だ。互いに相手の存在が重荷になってしまう。私がノンナの人生を決めるつもりはないけれど、工作員にだけは……なってほしくない)


 ノンナが仕事のために好きでもない人の恋人のふりをしている場面を想像して、思わず目を閉じて首を横に振った。相手の善意を利用して必要な情報を引き出すなどということもさせたくない。

 だがノンナにはそう願いつつ、自分は訓練生たちにその手段を教えている。

(私は利己的な偽善者だ)と思う。

 帰宅したジェフリーと二人になってからその話をすると、ジェフリーは意外なことを言う。


「ハグルの特務隊員や訓練生がどうだったかは知らないが、アシュベリーの第三騎士団員は自分たちのことを、『選抜された優秀な人間の集団』と思っているはずだ。危険と背中合わせの仕事だから賃金はとてもいいし、引退後の生活も保障されているそうだ。平民出身の子供たちにとっては誇りある役目を担っているという認識だと思う」

「そうなの? お金と引き換えに売られてきたわけじゃないの?」


 ジェフリーがうなずいた。


「彼らは自ら進んで国のために働いているはずだよ。幼い子供をお金で買って工作員にさせるなんてことを、効率を重視する兄上がするわけがない。兄上は、はっきりと工作員に向いているかどうかわかる年齢になってから採用していたと思う。そもそも養成所に、幼い子供はいるの?」

「そう言われると確かに、養成所には幼い子供はいないわね。私は私が教えている生徒たちより幼い子供は、別の場所で訓練を受けているのかと思っていたけれど」

「それを他の教官に聞いたことはないのかい?」


 ビクトリアが苦笑した。


「私は経歴が経歴だから、工作員養成の仕組みを他の教官に質問するのはちょっと。あらぬことを疑われそうだもの」

「前の宰相が『第三騎士団員の待遇はとてもいい』と言っていたよ。実際、引退した第三騎士団員は、豊かな暮らしをしているという話だ。まあ、俺が聞いたのは、どれも伝聞だけどね」


 翌日、ビクトリアは授業の終わりに、さりげなく子供たちに養成所に入った経緯を聞いてみた。すると、想像していなかった答えが返ってきた。

 彼らはほぼ全員が自薦他薦の違いはあるものの、王城務めの下級文官を採用するための、平民向けの選抜試験を勝ち抜いてきたという。選抜試験は面接が中心らしい。


「選抜試験を通ったら、無料で読み書きと計算を教えてもらえるんです。勉強する日は美味しいお昼ご飯も出ます。休み時間は、教官と一緒にいろんな場所で追いかけっこやかくれんぼをして遊びました」

「そのまま文官になった人もたくさんいます。僕の友達は文官になりました。でも僕はこの仕事に選ばれて嬉しかったなあ。第三騎士団の養成所に入らないかって言われたのは、最後の最後でした。選抜試験を受けてこの養成所に入ったのは、七十人か八十人いた中で、僕だけです」

「俺のときは百人以上いる中で俺だけだったぞ」

「そうだったの……」


 周囲の生徒たちが誇らしげな顔でうなずいている。

 

「先生は知らなかったんですか?」

「ええ、知らなかったわ」


 ハグル王国とアシュベリー王国は、工作員候補生を採用する段階からだいぶ違っていた。


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書籍『手札が多めのビクトリア』1~4巻
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コミック『手札が多めのビクトリア』1~7巻
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