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「ネンオシャ・チェブク・トウバシメ」
彼女がそう呟くとリアシートから笑い声が聞こえた。
「あははッ。古いおまじない」
「バイク乗りは信心深いの」
彼女はそう言い放つと軽くメーター周りに視線を落とした。ワーニングランプ、フューエルを見る。燃料はフルゲージだ。警告灯にも何も表示はなかった。
それからクラッチレバーを力強く握りしめた。そして軽い踏み応えを感じる爪先。チェンジペダルを更に踏んでいく。
ギアの切り替わるガチャンという音と、エンジンの出力がチェーンに伝わるジャラっという音が入り混じる。
彼女はフっと息を吐く。軽い精神統一。これから操るのは人間の力を遥かに超えたマシンだ。浮つくいたままの気持ちではこちらがやられてしまう。
ビルの谷間に図太い重低音が響き渡る。
赤いテールランプの波をキセノンヘッドの青白い光が切り裂いていく。
スクリーンからバイザーへとベロリと舐めるように空気が通り抜ける
「ねぇ、どこに行くの?」
「決めてない」
目的地なんて当然決めてない。移動の手段であるバイクなのに行き先を決めない。
まるで意味のない行為にみえるが、そんな事は関係ない。
アスファルトにタイヤを刻み付ける。それだけでいい。バイクは走る事事態が目的なのだ。
乗り疲れて止まった所が目的地であり、あらたなる出発の地。そしてまた走り出す。
それがバイクでありバイク乗りだ。
十代の収まる事のない欲望のように、ガソリンが、体力が、続く限り走り続ける。
月明かりの届かない都会。走る車の列をパイロンスラロームのように縫いながら追い越していく。クラクションとパッシングの罵声が浴びせられる時もあるが、そんなものはそよ風みたいなものだ。すぐに野獣の猛り狂った叫び声になりを潜める
「いいぞー!イケイケーー!!」
彼女はリアシートの挑発に乗った。右手をさらにひねる。舞い上がるタコメーター。一般道に一際大きく響く排気音。グォッと地を這うように鳴り渡る重低音はそれだけで凶器だ。
道路に書かれている白線をまるでサーカスの綱渡りの如く渡っていく。
世にいるであろう常識人からしたらその行為は自殺的としか言いようがない。
なぜそんな事をするかって? 下らないことを聞くんじゃないよ。
バイクに乗ってるからさ。
本能の趣くままに走り抜ける。すり抜けはバイクの特権だと言わんばかりに車列の間を抜けていく。そいつがそうさせる。
気がつけば開けた道路に出た。先ほど渋谷を抜けたからここは広尾か麻布辺りだ。
マダムの園。白金を横目に四の橋の交差点を抜ける。
その先はT字路となっていて国道一二二号線はここで一旦途切れる。変わりに現れるのは国道一号線だ。
「右か?左か?運命の分かれ道ね」
リアシートの彼女の意地悪い質問が飛ぶ。
でも、正直自分でも少しそう思っていたのでシャクだ。
左・六本木、赤坂、都心方面→昔に逆戻り
右・横浜、横須賀方面→何か変わるかもしれない
さしずめそういったところだろうか?
ウィンカーのスイッチを入れた。その時チラとバックミラーを見る。金髪のヤツは思い切りニヤけた表情をしている。
こうなればヤツも共犯だ。付き合ってもらおう。
彼女はグッと脇を締めた。軽く右ステップに力を入れる。するとステアリングは自然と右に向き始めた。車体も右側にバンクする。何かに引き寄せられるようにバイクは右へと曲がって行った。
国道一号線。日本の大動脈。コクイチの愛称で親しまれている幹線道路。
「出来すぎじゃない?旅の始まりがコクイチなんて」
リアシートのアイツが茶化す。
「素敵でしょ?」
彼女も負けじと言い返した。すると金髪の彼女はニッと笑うだけでそれ以上は言わなかった。
「サクラ!」
彼女は突如叫ぶ。
「何!?」
リアシートから返事を求められた。
「私の名前!」
屋上でうだつの上がらなかった女性はサクラと名乗った。
「ヨシ!」
「はっ?何?!」
「私の名前!!」
金髪の氏神様はヨシと己を名乗った。




