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転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


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9/42

温室の土

昼の鐘が鳴ってしばらくすると、クロードが盆を抱えてやってきた。


「厨房に頼んで、喉に優しいものを作ってもらったよ」


盆の上には、湯気の立つ麦の粥と、薄く切った梨が載っている。

戸口では、ジルベールが腕を組んで立っていた。食事は騎士の立会いで、という決まりは、相手がクロードでも変わらない。


「ありがとう、兄様」


匙を取ると、クロードは寝台のそばの椅子に腰を下ろした。

私が一口飲みこむのを、ほっとしたように見守っている。

昨日までのレティシアなら、きっと「こんな貧乏くさいもの」と盆ごと払いのけていただろう。そう思うと、粥の温かさが少しだけ胸に痛かった。


「朝は驚かせてごめん。眠り草の根は、先生に届けておいたよ。レティがいらないなら、しばらくは使わないように伝えてある」

「うん。助かる」


私は匙を置き、できるだけ何気ない調子で切り出した。


「ねえ、兄様。毒の瓶のこと、覚えてる?」


クロードの手が、膝の上で止まった。


「……忘れられるわけがないよ。法務院で、何度も見せられたから」

「どんな瓶だった? 私、自分の部屋から出てきたっていうのに、形すら思い出せなくて」


クロードは、ちらりと戸口のジルベールに目をやった。

ジルベールは動かない。止めるつもりはない、ということだ。


「小さな緑の硝子瓶だよ。親指くらいの大きさで、銀の栓がついていた」


彼は指で、宙に小さな形を描いてみせる。


「実はね、あれと同じ形の瓶が、温室にもたくさんあるんだ。叔母上――レティのお母上が、薬草の抽出液を保存するのに使っていた瓶。王都の硝子工房に、まとめて作らせたものだよ」


母の瓶。

その言葉に、胸の奥がざわついた。


「じゃあ、毒は温室の瓶に入っていたの?」

「わからない。ただ、法務院もそこは調べたよ。温室の奥の薬品棚には鍵がかかっていて、瓶の数は帳面と合っていた」

「鍵は誰が持っているの」

「侍女頭と、僕。棚の掃除や瓶の補充は、マルトがよく手伝ってくれていた」


クロードは、困ったように眉を下げた。


「誤解しないでね。マルトを疑っているわけじゃない。あの子は真面目で、言われたことをきちんとやる子だ。ただ、温室のことなら、僕の次に詳しいのはたぶんマルトだと思う」


私は黙って梨を一切れ口に入れた。

みずみずしい甘さが、言葉の苦さをごまかしてくれる。


昨日、蜂蜜の壺の件で、マルトの名前が使われた。

今日、温室の瓶の話で、また彼女の名前が出た。

クロードの言葉には、少しの悪意もない。むしろ、マルトをかばおうとしている。

それなのに、私の頭の中で、マルトの立っている場所が、少しずつ暗いほうへずれていく。


――これも、偶然なのだろうか。


「兄様、もう一つだけ。茶会の日の朝、温室の薬品棚は開いていた?」

「朝? どうだったかな」


クロードは少し考えるように天井を見上げた。


「花を飾るために、朝から人の出入りは多かったよ。レティも、花を選びに来ていたよね。覚えてない?」


覚えている。

茶会の日の朝、温室で花を選んだ。抜け落ちた午後の、直前の記憶だ。

けれど、その場面に薬品棚があったかどうかまでは、霧の向こうに沈んでいる。


「……ごめん。花のことしか」

「いいんだよ。無理に思い出そうとしなくていい」


クロードは立ち上がり、空になった粥の器を盆に戻した。


「何か思い出したら、すぐに教えて。僕にできることなら、何でもするから」


盆を抱えて出ていく背中を、私はしばらく見送っていた。

この屋敷で、私の無実を口にしてくれたのは、今のところ彼一人だ。

その人の言葉を疑うようなことを考えた自分が、少しだけ嫌になる。


   *


クロードが去ったあと、ジルベールが部屋に入ってきた。

手帳を開き、何かを短く書きつけてから、私を見る。


「温室の薬品棚の帳面は、法務院が押収している。瓶の数が合っていたのは事実だ」

「でも、帳面の数なんて、書き換えようと思えば」

「書き換えられる。だから、数が合っていることは、何の証明にもならない」


ジルベールは、あっさりとそう言った。

私は少し驚いて、彼の顔を見た。


「……私の言いたいことを、先に言わないでください」

「あなたの考えそうなことは、だいたいわかるようになった」


それが褒め言葉なのかどうか、判断がつかない。

けれど、昨日の朝よりも、彼の声から棘が抜けている気がした。


「それと、今夜から夜番の配置を変える」

「ルネを外すんですか」

「外せば、気づかれる。昼番に回す。夜は私が立つ」


私は思わず、寝台から身を乗り出した。


「あなたが? 昨日も一昨日も、ほとんど寝ていないでしょう」

「騎士は三日くらい眠らなくても死なない。あなたは七日後に死ぬかもしれない」


身も蓋もない言い方だった。

けれど、その身も蓋もなさが、今の私には妙にありがたかった。慰めの言葉より、ずっと信用できる。


「理由は、ルネに何と説明するんですか」

「監視対象が夜中に床を這い回って困る、と言っておく」

「……それ、本当のことですよね」

「だから、疑われない」


ジルベールの口の端が、ほんのわずかに動く。

笑ったのだと気づいたのは、彼が背を向けてからのことだ。

この人も笑うのか、と思う。そんな当たり前のことに驚いている自分が、少しおかしい。


   *


午後、見張りの交代の時刻に、ルネが廊下に現れた。

ジルベールから配置換えを告げられると、彼は一瞬、目を見開いた。


「昼番、ですか」

「不満か」

「いえ、とんでもない! 夜番は冷えますから、むしろ助かります」


ルネは明るく笑い、きびきびと敬礼する。

その笑顔は、昨夜と同じように人懐っこかった。


けれど、私は見てしまった。

敬礼を終えて下ろした彼の右手が、腰の剣の柄を、一度だけ強く握りしめたのを。


安堵か、焦りか。

それとも、全く別の何かなのか。

遠目には、私にはまだ判断がつかない。


   *


夕刻前、マルトが水差しを替えに来た。

今日は、昨日ほど冷たい目をしていない。けれど、私に向ける言葉は相変わらず最小限だった。


「マルト。温室の薬品棚の手伝いを、よくしていたんですって?」


水差しを置く手が、ぴたりと止まる。


「……どなたから、それを」

「クロード兄様から。温室のことなら、兄様の次にあなたが詳しいって」


マルトの頬に、ふっと赤みが差した。

怒っているときの赤さではない。耳の先まで、薄く色づいている。


「サン=ロラン様が、そんなことを」


彼女は小さくつぶやき、それから慌てたように表情を引き締めた。


「瓶を拭いたり、乾かした薬草を袋に詰めたり、その程度でございます。棚の鍵をお預かりしたことは、一度もございません」

「茶会の日も、温室に?」

「お茶の支度で、朝からずっと。……それ以上は、法務院で全部お話ししました」


マルトは一礼し、足早に出ていった。

去り際、扉の脇で一瞬だけ立ち止まり、廊下の奥――小書庫のほうへ目をやったのを、私は見逃さなかった。


あの子は、何かを隠している。

けれどそれは、私を陥れるための嘘とは、少し違う色をしている気がした。


   *


日が傾きはじめたころ、私はもう一度、化粧台の前に座った。


三つ目の百合の花芯を押す。天板の下の飾り板を、手前に引く。

かちり、と音がして、浅い引き出しが滑り出てくる。


今朝、ジルベールがこれを開けたときは、中が空だと確かめただけだった。

けれど、瓶が禁固初日の夜、ここに置かれたのなら。

置いた人間が、何か痕跡を残していないだろうか。


「ロシュ卿、燭台をお借りしてもいいですか」


戸口のジルベールが、黙って燭台を持ってきた。

昨夜と同じように、低い位置から光を当ててくれる。


引き出しの底板は、白木のままだった。

騎士たちが何度も開け閉めしたのだろう。手の脂で、縁がうっすらと黒ずんでいる。

奥の隅に、指先を沿わせる。木目の溝に、何かが溜まっている感触があった。


爪の先で、そっと掻き出す。


燭台の光の下に現れたのは、ほんのひとつまみの、黒っぽい粒だった。

指でこすると、乾ききった細かな粒が、ぽろぽろと崩れる。


「……土?」


部屋の中に、土がこぼれるような場所はない。

床は毎日掃かれ、窓は閉ざされ、庭へ出る扉もない。


ジルベールが、燭台をさらに近づけた。

彼は黙って粒を一つ指先に取り、鼻に寄せる。


「腐葉土に、灰が混ぜてある。普通の庭の土ではない」


彼の灰色の目が、窓の外へ向いた。

夕日に染まった庭の奥。硝子の屋根が、赤く光っている。


「薬草を育てるための土だ。この屋敷で、これを使っている場所は一つしかない」


温室。


今朝、湿った黒い土をつけた手袋を、軽く振ってみせた人の姿が、頭をよぎった。

私は慌てて、その姿を打ち消す。

温室に出入りする人は、何人もいる。マルトも、侍女頭も、侍医も。


それでも、引き出しの隅に残っていたこの土は、確かに語っていた。


禁固初日の夜、眠る私の枕元を通って瓶を置いた誰かは――温室から、まっすぐこの部屋へ来たのだ。

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