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転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


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夜番の騎士

夜が更けると、東翼の廊下は驚くほど静かになった。


開け放たれた扉の向こうに、椅子が一脚置かれている。

そこに座っているのは、ルネではなかった。黒い騎士服の背中が、燭台の灯りの中でまっすぐに伸びている。


私は寝台の上で膝を抱え、その背中を眺めていた。

眠れるはずがなかった。

引き出しの隅から出てきた、ひとつまみの土。それが頭から離れない。


「眠れないなら、目を閉じて横になっていろ。それだけでも体は休まる」


振り返りもせずに、ジルベールが言った。

私が起きていることに、とっくに気づいていたらしい。


「ロシュ卿こそ、眠らなくていいんですか」

「三日は平気だと言った」

「それ、昨日の分も数えてますか」

「……数えていない」


思わず、小さく笑ってしまった。

喉がひりついて、すぐに咳に変わる。


ジルベールが立ち上がり、卓の上の水差しから杯に水を注いだ。

部屋に一歩だけ入って、それを寝台の脇の台に置く。


「ありがとうございます。……昼間の粥より、ずっと喉に効きます」

「ただの水だ。礼はいらない。あなたが咳きこんで死んだら、私の報告書がまた一枚増える」


言い方はぶっきらぼうなのに、杯を置く手つきは丁寧だった。


   *


水を飲み終えても、彼はすぐには廊下へ戻らなかった。

扉の枠に背を預けて、腕を組む。


「一つ聞いていいですか」

「答えられることなら」

「さっきの土。どうして、すぐに温室の土だとわかったんですか。普通の騎士は、土の匂いなんて嗅ぎ分けられないと思います」


ジルベールは、しばらく黙っていた。

燭台の炎が揺れ、彼の影が壁の上で伸び縮みする。


「母が、王都の外れで薬草畑の手伝いをしていた」


ぽつりと、彼は言った。


「貴族の屋敷に納める薬草を育てる畑だ。腐葉土に灰を混ぜるのは、根腐れを防ぐためだと教わった。子どものころは、毎日その土を運んでいた」

「騎士になる前の話ですか」

「十二で騎士見習いの試験に受かるまでだ。平民が騎士になる道は、それしかない」


それ以上、彼は語らなかった。

けれど、それで十分だった。

土の匂いを知っている人。平民から騎士になった人。王女殿下の事件で、一行の記録のために居場所を失いかけた騎士。

この人のことを、私はほとんど何も知らなかったのだと思う。


「あなたは」


今度は、ジルベールが口を開いた。


「どうして、急に変わった」


心臓が、跳ねた。


「……変わりましたか」

「五月二日からの十一日間、あなたは誰の話も聞かなかった。花瓶を割り、侍女を罵り、私に向かって『平民の分際で』と三度言った」


耳が熱くなる。

レティシアの記憶の中に、その言葉は確かにあった。


「それが、縄の跡をつけて目を覚ました朝から、別人のように落ち着いている。遺書を読ませろと言い、梁の高さを測り、床を這って破片を探した」


灰色の目が、薄闇の中で私をとらえる。


「首を吊りかけて、人が変わることはある。だが、あなたの変わり方は、何かを諦めた人間のそれではない」


答えられなかった。

前世の記憶がある、などと言えば、今度こそ正気を疑われる。

かといって、嘘で取り繕うことも、この人の前ではしたくなかった。


「……死にかけて、怖くなったんです」


ようやく、それだけを口にする。


「怒っていても、泣いていても、七日後には首を落とされる。それなら、怒るのも泣くのもやめて、やれることをやろうと思った。それだけです」


半分は本当で、半分は言えないことを飲みこんだ答えだった。

ジルベールは、それを見抜いたのかもしれない。

けれど、それ以上は追及しなかった。


「そうか」


短い一言のあと、彼は少しだけ視線を落とした。


「なら、その怖さは手放すな。怖がっている人間のほうが、よく周りを見る」


慰めではなかった。

騎士として、何度も危ない場面をくぐってきた人の、経験から出た言葉なのだろう。


「ロシュ卿も、怖いことがあるんですか」

「毎日だ」


即答だった。


「剣を抜くたびに怖い。報告書に名前を書くたびに、それが間違っていないか怖い。だから、確かめられることしか書かない」


彼は扉の枠から背を離し、廊下の椅子へ戻っていく。

その背中を見ながら、私は思った。

この人が誰の言葉も簡単に信じないのは、冷たいからではない。

間違えたときに失われるものの重さを、誰よりも知っているからなのだ。


   *


真夜中を過ぎたころ、私はもう一つの疑問を口にした。


「ロシュ卿。毒の瓶の中身は、何だったんですか」

「月下草の抽出液だ」


彼は手帳を開かずに答えた。

きっと、何度も読み返して覚えてしまったのだろう。


「無色で、かすかに甘い。飲んでから半刻ほどで、息ができなくなる。王女殿下の症状と一致した」

「月下草も、温室で育てているんですか」

「鎮痛の薬として、亡き侯爵夫人が栽培を始めた。今も奥の畝に残っている」


また、温室だ。

眠り草も、月下草も、瓶も、土も。すべての糸が、あの硝子の建物に向かって伸びている。


原作の一場面が、ふいに浮かんだ。

ヒロインのミレイユが、誰かに向かって言う台詞。

『犯人は、いちばん近くにいた人』


いちばん近く。

茶会の日、王女殿下のいちばん近くにいたのは、お茶を淹れたマルトだ。

温室のことを、クロードの次によく知っているのも、マルト。

昼間、彼女は何かを隠している顔をしていた。


でも、と私は首を振る。

原作の台詞が、誰を指していたのか、私は知らない。知らないまま当てはめれば、それはただの思いこみだ。

ジルベールが、推測で名前を出さないように。

私も、半分しか覚えていない原作で、誰かを決めつけてはいけない。


「ずっと引っかかっていることがあるんです」


私は膝の上で、指を組んだ。


「瓶を後から置いた人がいるとして。その人は、二度目の捜索で必ず見つかるように置いたはずですよね。見つからなければ、意味がないんだから」

「そうなる」

「でも、隠し引き出しの仕掛けを知っている人は、多くない。私自身、知らなかったくらいです。一度目の捜索でロシュ卿が開けられたのは、侍女頭に聞いたから」

「ああ」

「なら、二度目の捜索の騎士たちは、どうして隠し引き出しを開けたんですか。誰かが、教えたんじゃないですか」


ジルベールの腕が、ほどけた。

彼は燭台を手に取り、廊下の椅子の脇に置いてあった革の書類鞄を開ける。


取り出したのは、二度目の捜索記録の写しだった。

昼間、ルネの名前を見つけた、あの紙だ。


「昼には、発見者の欄しか見ていなかった」


彼は写しの一枚目に戻り、冒頭の数行を指でなぞった。

燭台の灯りを近づけ、目を細める。


「捜索の経緯。……五月三日朝、騎士団本部宛てに書面あり。『令嬢の私室に、一度目の捜索で見落とされた箇所あり。化粧台に隠し引き出しが存する。再度の捜索を願う』」


彼の声が、そこで止まった。


「差出人は」


聞かなくても、私には予感がある。

それでも、聞かずにはいられなかった。


ジルベールは、紙から目を上げずに答えた。


「ヴァルモン侯爵家」


部屋の空気が、冷たく張りつめる。


私の家だ。

私を守るはずの家が、自分の娘の部屋を指さして、ここを調べろと騎士団に願い出た。

父オーギュストは別邸にいる。娘との絶縁を表明し、この屋敷には一度も顔を見せていない。


なら、その書面を書いたのは誰なのか。


「薬湯を求めた書面と、同じですね」


かすれた声で、私は言った。


「侯爵家の名前で出された、代筆の手紙」

「ああ」


ジルベールは写しを畳み、しばらくそれを手の中で持て余すように眺めていた。

やがて、低く呟く。


「この屋敷で、侯爵家の名で書面を出せるのは、執事と書記くらいだ」


それ以上の名前を、彼は口にしなかった。

推測で名前は出さない。それが、この人の決まりだ。


けれど、私の頭の中には、もう一人の顔が浮かんでいた。

字の書き方を、根気よく教えてくれた従兄。

侯爵家の書記として、帳簿も手紙も預かっている人。

この屋敷で、ただ一人、私の無実を信じると言ってくれた人。


「……違う」


声に出してから、自分でも驚いた。


「書記だから、書面を書いただけかもしれない。お父様や執事に頼まれて、言われたとおりに書いただけかもしれない」

「その可能性もある」


ジルベールは、否定しなかった。


「だから、確かめる。書面の原本は騎士団本部にある。筆跡も、指示を出した人間も、記録に残っているはずだ」


彼は写しを鞄に戻し、再び廊下の椅子へ腰を下ろす。

その背中は、来たときと同じようにまっすぐだった。


私は寝台に横たわり、天井を見上げた。

信じたい人と、信じてはいけないかもしれない人が、同じ顔をしている。

そのことが、首の傷よりもずっと痛かった。

暗闇の中で、優しい声がよみがえる。


――レティ、何か思い出したら、すぐに教えて。


眠れない夜が、また一つ、更けていく。

夜が明ければ、処刑まで、あと五日。

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